よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

年年歳歳花相似 歳歳年年人不同

年年歳歳花相似 歳歳年年人不同

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那珂川河川敷の菜の花。


八郷町の筧次郎さんの影響で、水戸市岩根町の友人Sさんの畑を借りて日曜菜園を1985年頃から7~8年間したことがある。
那珂川の河川敷だったので、新堤防の工事が始まる頃に止めた。

無肥料・無農薬を旨とし、種と苗を植えたら収穫を待つ手抜き農法だが、雑草の間に実を付ける作物もあり、収穫の喜びもあった。
畑で食べたミニトマトの味など絶品だった。

畑の周りの河川敷や堤防でクコの実や甘草の根っこを採集して食べたのも愉しい思い出。
早朝の那珂川の風物を楽しんでいた、というのが実態だ。

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4月は流域一面が真黄色の花畑になるが、3月の今頃は菜の花が咲き出す頃で、寒風にさらされながら摘み草して、お浸しや辛子味噌で味わうのは、苦みを含め季節を味わえるので、毎年楽しみだった。

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昨年も3月3日に行ったが、今日も偶々行くことになった
蕗の薹を3個見つけ、夕餉の味噌汁に刻んで散らした。

3月1日は高校の卒業式があって、市内で大勢の袴姿を見かけた。
先程、水戸一高の女生徒の親御さんに会ったら、女子の99%が袴姿で、洋服は1人だったと聞いて驚いた。
専門学校・短大・大学の女子学生の卒業式が袴姿とは知っていたが、高校生までも、とは知らなかったから。

僕の在学当時、女子は学年で1~2名だったが、現在は半数近くが女子だから時代は変わった。男子学生は全てがスーツ姿だったという。
我々は全員学生服だったし、式も簡単で、父兄の出席など考えられないこと。

年年歳歳花相似 歳歳年年人不同(唐詩選)

唐代の詩人、劉(りゅう)希夷(きい)(651~680?)の「白頭(はくとう)を悲しむ翁(おきな)に代(かわり)て」と題する詩の第4節、

古人(こじん)復(また)洛城(らくじょう)の東に無く
今人(きんじん)還(また)対す落花の風
年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず
言(げんを)寄(よす)全盛の紅顔の子
応(まさに)憐(あわれむべし)半死の白頭翁

先日、河鍋 暁斎の『暁斎鈍画』の骸骨の画にふれたが、正にこのこと。
心して、日々を送るべし。
  1. 2017/03/03(金) 21:53:22|
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陸平貝塚「Tabi-ぶら in 美浦村」其の5

「Tabi-ぶら in 美浦村」其の5 陸平貝塚

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「里山交流館」で「陸平をヨイショする会」の皆様が作られたおもてなし料理でお腹も心も大満足して、いよいよ貝塚に。


「美浦村文化財センター」で出土品を拝見し解説を伺ったが、何といっても現場に立つことが重要。その場所を見ることが、博物館で観るものとは異なった体験が出来る。

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貝塚に至る道の脇に水田が在る。
ここで「陸平をヨイショする会」の方々が、先程食べた古代米を栽培されておられとのこと。

谷あいの地は縄文時代には海で、弥生時代以降は田圃となった地形が良く分かる。

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斜面を登る途中辺りが古代の水際。

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草と落ち葉の間には、貝が露出している。
縄文人が食べて捨てて以来、数千年の年を経て自分が手にすることになる。
古代の人と間接的に手を触れたことになる。
貝殻は幾分金属的な音がする。

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発掘調査された際、貝の層は数メータにも及んでいた。

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陸平貝塚公園は幸いにして、台地のほぼ全域が保存されている。

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縄文時代の竪穴住居が復元されている、


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水は生活に欠かせない、少し下ったところに湧水地。
「ブクブク水」の表示、埋まってしまっているが本来はもっと綺麗なはずだ。

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「美浦村文化財センターと陸平貝塚 陸平貝塚公園」
https://www.vill.miho.lg.jp/page/page003579.html
「美浦村文化財センターと陸平貝塚 陸平貝塚公園」
  1. 2017/03/03(金) 07:50:37|
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里山交流館のおもてなし。「Tabi-ぶら in 美浦村」其の4 

里山交流館のおもてなし。
「Tabi-ぶら in 美浦村」其の4 


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「美浦村文化財センター」で発掘品を拝見し、説明を聞いて貝塚に。

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貝塚への途中に「里山交流館」と云う木造の施設が在る。

ここが本日のお食事処。

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食後に記念撮影をしました。

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美浦村のボランテア団体「陸平をヨイショする会」の皆様が手作りした料理の数々。

机の上には”紫はなな”という花が飾られ、器はセンターで体験できる縄文土器作りの作品。

箸置きは竹の枝をカットした素敵な品だ。

極上の香りに包まれたホイル焼きは、地元産の野菜がたっぷり。
鶏肉の塩麹漬け。
山本さん特注の「クラムチャウダー」は縄文人が食べたであろうアサリを使用。
今はこの辺りでアサリは獲れないが、縄文時代は海面が5メートル位高かった。
古東京湾と呼ばれた海は広大で、陸平貝塚は正にその跡。

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「陸平をヨイショする会」の皆さんが栽培している古代米を竈で炊き上げたご飯。
おこげも沢山出来たので食後に、醬油でおにぎりにしました。

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デザートは「縄文クッキー」椎の実を晒して砕いて小麦粉に混ぜて焼き上げてあります。
小麦は縄文時代にはありませんでした。お米も無かったですね。
そう、コーヒーも当時は有りませんでしたが。

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元美浦村村長・市川紀行さんは「陸平貝塚の保存と活用」に長い間尽力されている。
村内のゴルフ場でプレーするゴルファーから幾何かの環境保全の料金を預かり、遺跡の保存費用に充てるシステムを作った。
そのおかげで、ゴルフ場が在りながら乱開発を免れ豊かな自然と共存している。

《水戸市の佐川元市長・東海村の村上元村長・美浦村の市川元村長に類する首長は出現しなのが残念だ
昨日(3月2日)の国会審議、安部首相や麻生財務大臣の答弁はお笑芸番組以上に笑ってしまった。
これで国会の審議なの。誠意を感じられない馬鹿にしたような答弁。
アメリカのトランプ大統領を揶揄した報道が多いが、アメリカの国会審議、こんなバカな話は通らないだろう。》

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ミニトマトとシイタケのオーブン焼き。

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炭を熾し、美浦名産の「マッシュルーム」をあぶって、醬油とオリーブオイルを垂らした香ばしい匂い。

写真には有りませんが特大・直径10㎝のジャンボマッシュルームは絶品でした。

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更には、山本さんが地元のケーキ屋さんに特注した、マドレーヌ。
これまた、普通の品ではありませんでした。

こんなにご馳走になっていいのかな?
と云うほどの「おもてなし」
正に、縄文時代をテーマとした「昼の宴」でした。

  1. 2017/03/02(木) 12:40:17|
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『暁斎鈍画』《1881(明治14)年発行》

『暁斎鈍画』《1881(明治14)年発行》

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河鍋 暁斎《かわなべ きょうさい、天保2年〈1831年〉―明治22年〈1889年〉》は、幕末から明治にかけて活躍した浮世絵師、日本画家。

暁斎が先達の葛飾北斎(1760〜1849年)に私淑したと言われる。
『北斎漫画』に対して暁斎は『暁斎漫画』や『暁斎鈍画』を描いた。

葛飾北斎が絵手本として発行したスケッチ画集『北斎漫画』は、全十五編が発行され人物、風俗、動植物、妖怪変化まで約4000図が描かれている。

それに対し『暁斎鈍画』は筆さばきや描写など北斎に見劣りしない。

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踊りなどの風俗を描いたものは順当だが。

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特骸骨を描いたページは生き生きしている。

「骸骨は己の姿・よく見よ」は古今東西の主題だ。

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踊り狂って、

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三味線を弾き。

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首と首にひもをかけての引き合い。

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囲碁に興じ。

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奥付に蝙蝠の絵柄の中に「酒仲画鬼」の朱印。

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明治14年の出版。


●茨城県古河出身と云う事で、幕末の女流日本画家の奥原晴湖(1837- 1913年)と並び称されたが、今では河鍋 暁斎の評価が格段に高い。

お雇い外国人の建築家ジョサイア・コンドルが暁斎に入門し、イギリスの暁斎を意味する「暁英」の号を与えられるほど2人の交流が親しかったことも知られている。

●号は「ぎょうさい」とは読まず「きょうさい」と読む。
それ以前の「狂斎」の号の「狂」を「暁」に改めたもの。
明治3年(1870年)に筆禍事件で捕えられたこともあるほどの反骨精神の持ち主で、多くの戯画や風刺画を残している。
狩野派の流れを受けているが、他の流派・画法も貪欲に取り入れ、自らを「画鬼」と称した。
その筆力・写生力は群を抜いており、海外でも高く評価されている。

  1. 2017/03/01(水) 14:02:56|
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カピアンコーヒー千波店-@水戸市千波町376

カピアンコーヒー千波店-@水戸市千波町376

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水戸市千波の御茶園の通りの「 サロン・ド・テなかやま」は「サロン」と銘うつように“寛ぎの空間”こだわった珈琲店として繁盛していたのに、閉店してしまって残念だった。繁盛店なのになぜ撤退してしまったのが疑問だった。

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偶々、御茶園の通りを通ったら、同じ場所に「カピアンコーヒー」の大きな看板があったので、入ってみました。

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店員さんに訊くと「ひたちなか市に本店が在り、水戸の笠原、県庁の近くにも店舗が在る」とのこと。

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外装・内装とも「 サロン・ド・テなかやま」の時とほぼ同じ。

メニューも食事・コーヒーもありで、これまたあまり変わらず、の感じ。

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今回はコーヒーだけでしたが、次回は軽食・ケーキなども試してみようと思っています。

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庭を見ながら「ゆとりある椅子でのんびり」はこれも同じ。

近くには「ルブラン」も在りますが、好みの問題と行く時の気分。

北側の根本町の「マイルストーン」がお好みだが、これで南側も揃った。


  1. 2017/02/28(火) 21:16:44|
  2. カフェ・喫茶
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美浦村文化財センター(別称 陸平研究所) 「Tabi-ぶら in 美浦村」其の3

美浦村文化財センター(別称 陸平研究所)
「Tabi-ぶら in 美浦村」其の3


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美浦村への「旅ブラ」今回のメインは「陸平貝塚」だ。

Wikipediaには《「陸平貝塚」は1879年(明治12年)当時、東京大学生でエドワード・S・モースに学んだ佐々木忠次郎、飯島魁によって日本人で初めて発掘調査が行われた遺跡であり「日本考古学の原点」と称され、考古学史の観点からも重要な遺跡である。》とあるように。縄文文化に興味があれば一度は訪ねたい場所なのだ。

今回の旅ブラで、念願がかなったのは嬉しい。

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「美浦村文化財センター」で集合写真。
元美浦村村長・市川紀行氏は「陸平貝塚の保存と活用」に長い間尽力されている。今回の企画に大いなる協力を戴いた。(後列の左から2番目)
陸平貝塚などの遺跡から出土した遺物の収蔵・整理施設であったプレハブ小屋に「陸平研究所」という看板が掲げられたのが「美浦村文化財センター」の前身で、現施設は2004(平成16)年にオープンした。

陸平貝塚は霞ヶ浦南岸の標高20~30mの独立した台地に、縄文時代早期から晩期までに形成された大規模な遺跡。

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貝はハマグリを主体としてシオフキ、オキシジミなど、魚骨ではクロダイ、スズキ、獣骨ではイノシシ、シカなどが検出されている。
道具類としては、土器以外に石皿、石鏃(せきぞく)、磨製石斧、骨角器、石錘(せきすい)など多様な出土物があり、様々な海や山の幸を食料としていたことがわかる。

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明治時代の発掘時の調査報告や出土した土器の模造品が展示されている。

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双口土器は珍しい。

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猿投窯の灰釉陶器(平安時代・9世紀)
信太入子台遺跡(シダイリコダイイセキ)、美浦トレーニングセンター乗馬苑建設時の発掘調査で出土。現在の愛知県北部で焼かれた蔵骨器だか端正な形で、かなり身分の高い人のためであろう。

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木原城址より出土した「十一面観音像」鎌倉時代。
高さ5センチ足らずの小さな像で鍍金が良く残っている。
武士が身に着け、お守りとしたものであろうか。

  1. 2017/02/28(火) 17:48:46|
  2. 旅行
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妙香寺の薬師如来@美浦村土浦 「Tabi-ぶら in 美浦村」其の2

妙香寺の薬師如来@美浦村土浦
「Tabi-ぶら in 美浦村」其の2


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トレセンから今回のメインと云える「陸平貝塚公園」に向かう。
公園入口の駐車場の脇に天台宗「妙香寺」が在る。


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元は蔵後池の畔にあった旧薬師堂に安置されていた「薬師如来」が妙香寺に移され、近年新築された御堂に。


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薬師堂前で集合写真。

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「丈六の薬師」と呼ばれる高さ4.8mにもおよぶ木造仏。
一木造で体躯は幾分雑に感じられるが、美しい顔立ちの仏様で、室町時代の作と思われる。

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大きさが良く分かる。
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同じ絵柄の「絵馬」が何枚もありました。
昔は薬師如来の眼の病が多かったのでしょうか。

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本堂の本尊。


「Tabi-ぶら」の良さは何か所か集合地点があり、何処からでも参加や退出が出来ること。
この日の集合は午前9:30に美浦村中央公民館駐車場(美浦村役場わき)。
主宰の山本さんの運転で水戸を7:45に出発。
写真家の皆川三男さんとご一緒に。

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集合場所の手前に霞ヶ浦航空隊の記念館が在ったので立ち寄る。

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零銭の復元模型が展示されていた。

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記念館本館には入る時間がなく、後日に。
  1. 2017/02/27(月) 20:48:53|
  2. 旅行
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水戸ホーリーホック開幕戦@ケーズデンキスタジアム水戸

水戸ホーリーホック開幕戦@ケーズデンキスタジアム水戸
2月26日(日) キックオフ:14:00


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昨日のJ1に引き続いて本日(2月19日)はJ2が開幕。
水戸ホーリーホックはケーズデンキスタジアム水戸に湘南ベルマーレを迎えての開幕戦だ。
「水戸の梅祭り」が始まって初めての日曜日、偕楽園周辺は交通渋滞とは予想し遠回りしてスタジアムに向かう。
車中で出陣テーマ曲、リーモーガンの「ザ・サイドワインダー」を繰り返し聞きながらテンションを上げる、この時が一番楽しいかもしれない。
勝負は時の運、素晴らしいゴールシーンを見られるに越したことはないが、「何だよ、何やってんの!」とボヤクことがない好ゲームなら満足。
毎試合1万とは言えないが、8000人以上の観客が入れば文句ない。

予定時間を過ぎて清掃工場脇の駐車場に。

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“アウェイ自由席完売”とのことだから湘南のサポも沢山来ている。
2000~3000人は居そうだ。
水戸がアウェイで平塚の場合、これ程の人が行くだろうか?
観客動員と順位は比例する、と思っている。

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今季は昨年以上の人数であれば順位も上昇する

再三危ういシーもあったが、後半21分、セットプレーで一瞬の隙を突かれ、先制点を許してしまった。
反撃はならず、ホームで迎えた開幕戦で白星を挙げることはできなかった。
昨季J1で戦った湘南を相手に0-1は好し、とすべきか。
 
観衆は8636人。
  1. 2017/02/26(日) 21:25:44|
  2. 水戸ホリーホック
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美浦トレセンの「ターフセンター」@美浦村大字美駒

美浦トレセンの「ターフセンター」@美浦村大字美駒
「Tabi-ぶら in 美浦村」其の1


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2月25日(土)今年初めての「Tabi-ぶら」に参加した。

今回は美浦村の「美浦トレセン」や「陸平遺跡」を巡る。
美浦村にお住まいの増尾 尚子さんの企画で、増尾さんは「陸平をヨイショする会」のメンバーで、「ヨイショする会」の皆様から心温まるもてなしを戴き、天候に恵まれた春の1日、数々の貴重な体験が出来た。


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ターフプラザ(広報会館)。
日本中央競馬会「美浦トレーニング・センター」内のターフプラザ(広報会館)。
4階ないしは屋上から調教馬場や厩舎地区を眺める。

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広すぎて全貌は望めないし、馬や調教を身近に見ることは出来ないが巨大な広さに驚くだけ。

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筑波山も遠望できる。

【Tabi-ぶら】でもない限り、訪れることはなかったろう。


●日本中央競馬会の「美浦トレーニング・センター」は1978(昭和53)年4月に開設された。約224万m2(東京ドーム約48個分)の広大な敷地に南北2つのトラック型調教コース、1,200mの坂路調教馬場、競走馬スイミングプール、森林馬道といったさまざまな調教施設を有する。

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上空からの写真が展示されている。

約2000頭の競走馬と騎手(約70名)・調教師(約100名)・調教助手(約730名)・厩務員(約480名)がいるという、競走馬の街だ。
「 獣医も20~30名はいますね。」(斉藤 健さん情報)

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美浦トレセン所属馬のGI優勝パネルやレプリカゼッケン。
その他美浦トレセンに関する様々な展示物。

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記念のメッキされた蹄鉄。

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ゼッケンなどを利用したバッグが展示されていた。
水戸の福祉施設で作られているらしい。
なかなか、お洒落。何処かで販売されているらしい。


●山本 哲士さんが主宰するこの旅の会は、現地の方やその「こと」や「モノ」に詳しい方の企画立案に拠る。
会員相互の企画運営や役割分担がなされる素晴らしい会、何時も参加するのみで、役割りを果たせなく申し訳なく思っている。

  1. 2017/02/26(日) 11:41:03|
  2. 旅行
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インド料理カルマ@水戸市中央2-8-10

インド料理カルマ@水戸市中央2-8-10

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久し振りに元・市役所の近所の「マサラ」に。
市役所の再建工事が始まったが、軟弱な地盤に建てるとあって、工事の進捗率はどの位か、何時迄かかるのか?等、気がかりなことが沢山。

現場周辺の店はイマイチに思えるが、夕飯時の「マサラ」は相変わらず繁盛で、旨い店なら場所に関わらず繁盛することが証明される事例だ。

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「ラム」と「豆」のカレー2種、チャパティとライスのセットを注文。
久し振りにラムの香りと味の豊かなラムカレーを味わった。

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ご主人とお手伝いの女性の“美しい笑顔”も相変わらずなのは嬉しかった。


今では本格的なインド料理を食べさせる店は沢山あるが、以前は少なかった。
30年前頃、米沢町に「ベンガルベイ」と云う専門店が出来た。
名の通り南インドのカレーは本格的な味のように思えた。
その後、南町の新井ビル2階に移転しライブハウス兼インド料理屋の様な店となり、更に那珂市の「花木センター」に移転。同じ時期に水戸市天王町に「まつりや弁駈」なる居酒屋も開くなど、あちこち移転・開店を繰り返した末に筑波研究学園都市に移った。
経営者の「マヒ」なる人物はアイデア豊かなユニークな外国人だった。

同じ米沢町だが、大分離れた場所に「マサラ」と云うインド料理店が開業。
どちらが先だったかは覚えていないが、ココナツミルクが入った本格的なカレーやナンを提供し評判になった。当時の水戸では一番店だったろう。

裏南町の居酒屋「こもれび」の弥生ちゃんが、実家の眞壁に戻ることになって閉店した後に「カルマ」という女主人のカレー屋さんが開店した。
味が「マサラ」に似ていると思ったら、元・マサラのシェフだったとのこと。
家からも近いのでお好みの店となったが、2年位経ってから駅南の市役所の近くに移転した。
距離的なことや、基本的には3食全てが自宅と云う事もあって年に数度、今回は1年振り位か、変わらぬ味に満足した。
  1. 2017/02/24(金) 00:23:29|
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西成田洋子展「記憶の領域2017」@ギャラリーしえる

西成田洋子展「記憶の領域2017」@ギャラリーしえる
2017年2月21日~3月5日


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西成田洋子さんの「記憶の領域」シリーズが始まったのが1991年。
自分の身の回りに有る廃物、布きれ・ボタン・ビニールチューブ・テープ・針金、新聞紙などを縫い合わせ、針金などで繋ぎあわせて形を造り、着色しニスで仕上げる。
怪獣のようでもあり、おどろおどろした感じは不気味でもあったが、現在の社会に対する悲しい抵抗にも見え、愛すべき存在にも思えた。

パーツのそれぞれには何らかの「記憶」が宿されているので「記憶の領域」と云うタイトルとなり、新たな「モノ」との出会いは発掘作業にも似て、尽きることなくシリーズ化した。

2002年、文化庁派遣研修員としておのーヨークに滞在してから、大分変化したように思う。

当初のジャンクアート的なものから、発表ごとに洗練され造形作品として完成度を高めてきたように思える。

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中央にドンと置かれたこの作品は、見る角度によっていかようにも変化する。

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縫い合わせて作られたこの作品は、ふっわとした毛のマフラーが付いている。
今までにない作風で、何か心境の変化でも?
写真が良く撮れていませんが、かなり精緻で濃密な作品です。

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最近は平面作品も制作されている。
作家は心のままに気軽に描いているように思えるが、立体の要素を平面に凝縮された感じがする。


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奥の部屋には身近な材料を使用した愛らしい小品が数点ならんでいる。
大作は手元に置けないが、これらは身辺の愛玩品として最適。

  1. 2017/02/23(木) 12:33:28|
  2. 美術展
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伝わる声のつくり方(+ちょっと演劇)

伝わる声のつくり方(+ちょっと演劇)
2月22日(水)13:30~15:00 水戸芸術館 リハーサルルームA


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水戸商工会議所主催する「水戸まちなかゼミ」が2月から3月にかけて70講座が開講している。
市内在住の専門家が幅広い分野で講座を担当している。しかも、受講料が無料。
今日(2月22日(水)13:30~15:00は水戸芸術館 リハーサルルームAでACM専属俳優・塩谷 亮さんが講師をつとめる「伝わる声のつくり方(+ちょっと演劇)」が開催された。

“発声が悪く、声が通らない”のが悩みの僕にとって『伝わる声の作り方』は魅力だ。

講師:塩谷 亮さんの自己紹介。

1967年北海道に生まれる。
茨城キリスト教大学文学部在学中より演劇活動を行う。
卒業後、1992年より水戸芸術館の劇団ACMに舞台俳優として所属。
ACM劇場主催公演に出演。さらに、太宰治や宮沢賢治などの文学作品を構成・演出・朗読。また近隣図書館での朗読会や幼稚園への訪問公演、小学校への訪問公演なども行なっている。2015年より茨城キリスト教大学兼任講師。

●水戸芸術館の素晴らしさは音楽・演劇・美術の3部門が教育普及のプログラムを充実させていること。これにより多くの小・中学生が受講しその後、専門家となった人も多いが、本物に触れたことは生涯の宝物だ。


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*伝わる声にするのには、「自分の身体を楽器のつもりで、全身で発声する」
そのために、先ずは柔軟体操、筋肉をほぐすと響きのよい声が出る。

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発声練習、[響き」「い」「え」「あ」「お」「う」の発声の方向。
[滑舌]口の形と動きを意識する。

声の要素(ボリューム、滑舌、距離、方向)をコントロールする。
大きな声は包み込むように。
よく「聞く」。


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一応の訓練が終わって紫式部の「源氏物語」(瀬戸内寂聴・訳)を朗読。

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20人が2グループに分かれ朗読してみる。

●約1時間半の講座であったが、あっという間に過ぎた。
短時間でも発声の基礎を教えて頂いただけで、大分通るようなった。
意識するだけで、これ程まで異なるとは驚き。

講師の塩谷さん、芸術館・商工会議所のスタッフの皆様有り難う御座いました。


  1. 2017/02/23(木) 00:16:56|
  2. 水戸芸術館
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偕楽園は「一張一弛(いっちょういっし)」

偕楽園は「一張一弛(いっちょういっし)」
ブラタモリ#61水戸編、其の四


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2月17日からの3日間「エンジン01文化戦略会議オープンカレッジin水戸」と云う鳴り物入りの催事があった。
18日(土)から3月末まで「水戸の梅まつり」が開催される時期でもあり、週末の水戸市内は日頃より人通りも多かったようだ。

今回の企画は実行委員と講師に著名な経済人・文化人が並び、茨城県や水戸市も参加した官民一体の大プロジェクトだった。

運営には県や水戸市の職員が多く携わり、多数のボランテアも加わったようで、
知り合いには大忙しの方もおられたようで「御苦労さまでした」

著名人が講師として多数参加されたが、手弁当で地方文化振興のボランテア、とも思えず「地方巡業」の営業と推測した。
とは言え、内容は講師と受講者の熱意、発信者・受信者の響き合いに帰結する。

その様な状況を思うと、今回は気乗りしなく、他の予定もありプレ企画のシンポジュウムに出席したのみで、講座に出席する機会はなかった。

受講者で「感激した」と云う方も多いので、それなりの成功なのでは、と好意的に見てはいるが、成果は受講された皆様がこれからの暮らしに活かせるかどうかに掛かっている。

さて、「ブラタモリ」の場組拝見の感想文は最終回。

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偕楽園は「一張一弛(いっちょういっし)」弘道館での学びの緊張のあとの精神の安らぎをテーマとして作られている教育施設だった、と案内人。

●「偕楽園記」の碑に趣意が述べられていることに基づく。
第九代水戸藩主徳川斉昭公は、天保12年(1841)から13年にかけて偕楽園を造成したが、碑はそれに先立つ天保10年に建てられ、園を造る趣旨を公示した。

本文は大きく前段と後段に分かれ、
前段は、天地自然の間に厳存する陰と陽の相反するものの調和によって、万物は健全育成するという原理に基づく。人間もまた身体の保全をはかり、あわせて他の生物と異なる特性の修養につとめよと説いている。
後段は前段の屈伸緩急の理論を実行する場として、学び勤めかつ遊ぶという勉励と休養のバランスを常に心がける者こそわれと偕に楽しむ資格あり、として「偕楽園」と命名した真意を示している。

二代藩主・徳川光圀公は特に学問を大事にし、歴史編纂の「彰考館」を作った。
九代・徳川斉昭公は藩校「弘道館」を創設し、学びの後の休養の場として「偕楽園」を設けた。
弘道館と偕楽園は1双の施設だった。

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表門~竹林~好文亭~梅林と廻ったが、大名庭園につきものの「池」がないのは、近くにもともとある「千波湖」を池と見立てたからだという。

●江戸小石川の「後楽園」は大名庭園だが「偕楽園」は大名庭園ではなく、弘道館の付属で、戦乱が予想される状況に対応の「西方の砦・物見、梅林による兵糧供給」と考えるべきと思っている。
1年足らずで作った「偕楽園は」高松の栗林公園・岡山の後楽園・金沢の兼六園のような大名庭園とは比較できない
しかし、作庭の心は中国の西湖や水戸藩駒込邸からの不忍の池を眺めた景観に倣っている。

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「この借景も水戸藩のあるものを生かす精神」とコメントだが、借景によって成り立っている庭園は多い。

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全ては水戸藩二代藩主光圀公「水戸黄門」から始まった。
「偉い人です」が締めの言葉、そのとおりです。

先達の「あるものを大切にする」精神が、大型プロジェクト目白押しの今日、特に必要とされている。

  1. 2017/02/20(月) 17:52:13|
  2. テレビ
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EATABLE CITY 水戸@泉町会館

EATABLE CITY 水戸@泉町会館

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2月18日(土)11時半~14時迄泉町会館「月イチ310食堂」が開かれたが、
14時からは2階で、水戸芸術館が3月11日から開催する「藤森照信展―自然を生かした建築と路上観察」展に向けたワークショップが開催された。

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食堂に集まった規格外の野菜たちを素材に、建築家の藤森照信先生と一緒に未来の都市プラン「EATABLECITY水戸」を自由に創り上げるワークショップ。


未来の都市プラン「EATABLECITY水戸」に至る説明。

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1946年生まれの藤森先生は『当時の“未来都市”とは現代科学の粋を凝らした、超高層ビルが立ち並び高速道路・鉄道が走る夢の都市だった。建築を学び始めた頃、疑問を呈したのは1961年にイギリスで結成された前衛建築家グループ「アーキグラム」。実際の建築より、紙の上のドローイングのほうがよりアイデアを鮮明に表現できる。極端な例は「インスタント都市」想像力で一瞬の間に街を出現させることも出来る。
藤森先生は野菜は人間に一番近い植物と考えた。
何故なら選別を繰り返しながら『人間と自然の接点』となった。
水田・茶畑・果樹園など農産物を作る畑はどれも美しい。

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そこで「タマネギ、」のような小学校、「バナナ」の様なホール等を考えた。

そんなアイデアに共感したのが近江八幡のお菓子商「たねや」。
依頼に応えて、野菜などが植えられた庭や植物が植えられた屋根。

自然と共生した庭や建物が出来た。

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(写真は「たねや」グループのHPから)

●結果は「ラ ・コリーナ近江八幡」の屋根に植物を植えコメや野菜を作り、それらを素材にお菓子を作る「農は藝術「を実践した施設として話題を呼んだ。僕は昨年に近江八幡と彦根に2度旅したが売店(と言っても素晴らしい店だった)には行ったが「ラ ・コリーナ」には行けず。

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藤森先生も参加者と一緒に制作。

僕は次の予定があったので、説明を聞いただけで退席したが、参加者の皆様は建造物の様なものを作られ、鑑賞した後に食べられたらしい。


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●追記
最後まで出席された佐藤 誠二さんのFBの記事が素晴らしいので添付させて頂きます。
『水戸は文教の街と私は思っています。
金土日と市内では大きな文化的イベントがありました。
そんな中、私は仕事休みの18日は、それとは別に行われた「310食堂×藤森照信×水戸芸術館ワークショップEATABLE CITY 」
に参加しました。
会場の泉町会館には小学生から年配の方、20名弱が集まり
藤森先生のなぜ野菜を使った未来都市なのかのレクチャーを受け
野菜を使って未来の街を作り、その作品を写真におさめ、作品や
余った野菜、制作過程で出た皮や野菜くず全てを使って料理しそれをみんなで食べるというものでした。
【作品の写真は。3.11からの藤森照信展で展示されるようです。】
藤森先生のお話で、野菜は人間が作った植物、そして田や畑は造形としてもとても美しい。自然と人間社会を繋ぐものである。というのが印象に残りました。
そして、ワークショップ
藤森東京大学名誉教授の作品作りに隣の小学生がツッコミを入れる。それを先生が普通に返す。参加者みんながフラットな関係で作品作り。とても素敵な時間でした。』



  1. 2017/02/19(日) 17:14:25|
  2. 水戸芸術館
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プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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