よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

大佛次郎を歩く其の4 港の見える丘公園へ

大佛次郎を歩く其の4 港の見える丘公園へ

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間が開いてしまったが、鎌倉~横浜「大佛次郎を歩く」の続編。
鎌倉を愛し、鎌倉の風致保全のために尽力しました大佛次郎は横浜が大好きだった。没後、遺品は横浜市に寄贈され港の見える丘公園のイギリス山地区にある大佛次郎記念館に収められている。と云うことで横浜に。


鎌倉駅からJR「石川町駅」に。

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元町商店街。
1階部分をセットバックさせて、歩道部分を生み出した。
水戸でも「くろばね」で見習おうとしたが、完全には出来なかった。

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洋品店の店頭に真っ赤なMGがいつも在る。
MGのコンバーチブルは、憧れの車だった。

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みなとみらい線の駅舎からえ直結のエレベーターで公園の入り口に。


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間もなく、右手に「外人墓地」が。

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左手に「横浜地方気象台」
「水戸気象台」と似たアールデコの雰囲気がする建物だ。

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外人墓地は祝祭日などに維持費捻出のためか200円で開放している。

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資料展示館も在る。
開国当時の資料などが展示されていた。

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墓域の1部を巡って見た。
異国で果てた様々な墓地が。

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港の見える丘公園に。
この一角に「大佛次郎記念館」がある。
横浜の景勝地、散策するには最適の場所だ。
  1. 2017/03/17(金) 02:51:56|
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大佛次郎を歩く其の3/寿福金剛禅寺

寿福金剛禅寺@鎌倉市扇ヶ谷
大佛次郎を歩く其の3


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大佛次郎(本名:野尻 清彦)のお孫さんにあたる、大佛茶廊主人:野尻 芳英さんのお話しで、墓所が臨済宗建長寺派の寿福金剛禅寺(寿福寺)と知った。
茶廊から歩いて15分位の場所だ。

鶴岡八幡宮に出て、今では閉館してしまった「鎌倉近代美術館」の建物を横目に見て、小町通を越して横須賀線の踏切方面に。

途中に「川喜多映画記念館」。
この記念館は映画界に大きな足跡を残した川喜多夫妻の邸宅を記念館としたもので、ここも見所が沢山だ。
以前に来館したこともあり今回は先を急ぐ。

横須賀線の踏切を渡れば「寿福金剛禅寺」

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門前に「源氏山」の碑。
源頼義(ともよし:988-1075)、源義家(よしいえ:1039-1106)の親子が奥州に行く時、 この山に旗を立てたことにより、旗立山ともいわれた源氏山。
山の麓の寿福寺付近は、昔から代々源氏の邸宅であったと伝えられている。

館があった地に1200年(正治2年)に頼朝夫人政子が建てた臨済宗建長寺派の寿福金剛禅寺(寿福寺)。 
大佛次郎はこの寺の墓域奥に両親とともに眠っている。
命日は1973年(昭和48年)4月30日 享年75歳。

「寿福金剛禅寺」は2015年4月に訪ねた。
奥の墓域は一般の人の立ち入りは出来ないので、山門前で拝する。

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隣が鎌倉の水戸の御寺といわれる英勝寺。

徳川家康の側室で、大田道潅四代の太田康資息女とされるお勝の方は、家康との間に生まれた市姫が幼くして亡くなった後、家康の命により、後に初代水戸藩主となった徳川頼房の養母を務めた。家康の死後は落飾して英勝院と称したが、その後、三代将軍家光より父祖の地である扇ガ谷の地を賜り、英勝寺を創建した。

代々、水戸家のお姫様が住持する尼寺で住職の他の僧侶、寺侍、医師、料理人達の下御殿、御長屋、代官所も整えられていたので、水戸家のお寺として歴史を重ねてきたが、現在は水戸家を離れている。

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大田道潅邸旧居の碑。

この二つのお寺を門前で拝し、鎌倉駅に。
  1. 2017/03/09(木) 15:36:55|
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大佛茶廊(大佛次郎別邸)@鎌倉市雪の下 1-11-22

大佛次郎を歩く其の1
大佛茶廊(大佛次郎別邸)@鎌倉市雪の下 1-11-22


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水戸市泉町の古着屋「ストレイシープ」は店主がヨーロッパで買付けしてくるマニアックな品揃えで遠来の客も多い。
店主の世田 匡典さんは遠方のお客様の要望に応え、川崎市に支店を出すことにした。偶々、打ち合わせに上京する高速バスに乗り合わせ、隣の席だったので雑談を交わした。僕が横浜に行くとの話から「店のお客様に鎌倉で土・日・祭だけ喫茶店をなさっている方がいらっしゃいます。祖父が大佛次郎と云う小説家で、その屋敷を使用しているらしいです」と云う。

大佛次郎(1897年 - 1973年)は、『鞍馬天狗』シリーズの作者として有名だが、現代小説、歴史小説、ノンフィクション、さらには新作歌舞伎や童話などまでを幅広く手がけた作家。『水戸黄門』『天狗騒動』など水戸に関する著作も多く、『天皇の世紀』冒頭の「黒船到来」では水戸藩主・徳川斉昭が重要な部分を占めている。
水戸に所縁の作家のお宅、とあれば訪ねておくべきだ。
横浜の「港が見える丘公園」には「横浜市立・大佛次郎記念館」も在る。

青春18切符春の陣第1弾は「大佛次郎を歩く」とした。

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鎌倉駅から鶴岡八幡宮に向かう大路の右側、雪の下郵便局の少し先を見火に曲がると住宅街の路地、黒板塀に囲まれた邸宅がある。

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門柱に「大佛茶廊」の小さい表示、可愛い猫が描かれている。
大の猫好きとして知られている。

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大正8年に建築された茅葺き屋根の数寄屋造り。
鎌倉市の文化財に指定されている。

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青竹に赤い椿が、
竹の器は出入りの大工さんが毎年暮れに届けてくれると。

部屋の中には遺品などが若干展示されてある。

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生前のお姿。

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特に重要と思えたのは、鎌倉の自然を守る「風致保存の会」の中心人物だったこと。
鎌倉の宅地開発による自然破壊を心配し、歯止めをかけるべくイギリスのナショナルトラストを日本に紹介し実践した。
これにより、鎌倉の開発にブレーキがかけられるようになった。

遺品の多くは鎌倉市に寄付され、港が見える丘公園内の「大佛次郎記念館」に収蔵され、公開されている。


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熊谷守一の書を配した屏風。

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手入れの行き届いたに庭。
梅は盛りを過ぎたが、桜の頃に再訪したいと思っている。

  1. 2017/03/07(火) 15:59:59|
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陸平貝塚「Tabi-ぶら in 美浦村」其の5

「Tabi-ぶら in 美浦村」其の5 陸平貝塚

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「里山交流館」で「陸平をヨイショする会」の皆様が作られたおもてなし料理でお腹も心も大満足して、いよいよ貝塚に。


「美浦村文化財センター」で出土品を拝見し解説を伺ったが、何といっても現場に立つことが重要。その場所を見ることが、博物館で観るものとは異なった体験が出来る。

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貝塚に至る道の脇に水田が在る。
ここで「陸平をヨイショする会」の方々が、先程食べた古代米を栽培されておられとのこと。

谷あいの地は縄文時代には海で、弥生時代以降は田圃となった地形が良く分かる。

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斜面を登る途中辺りが古代の水際。

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草と落ち葉の間には、貝が露出している。
縄文人が食べて捨てて以来、数千年の年を経て自分が手にすることになる。
古代の人と間接的に手を触れたことになる。
貝殻は幾分金属的な音がする。

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発掘調査された際、貝の層は数メータにも及んでいた。

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陸平貝塚公園は幸いにして、台地のほぼ全域が保存されている。

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縄文時代の竪穴住居が復元されている、


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水は生活に欠かせない、少し下ったところに湧水地。
「ブクブク水」の表示、埋まってしまっているが本来はもっと綺麗なはずだ。

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「美浦村文化財センターと陸平貝塚 陸平貝塚公園」
https://www.vill.miho.lg.jp/page/page003579.html
「美浦村文化財センターと陸平貝塚 陸平貝塚公園」
  1. 2017/03/03(金) 07:50:37|
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美浦村文化財センター(別称 陸平研究所) 「Tabi-ぶら in 美浦村」其の3

美浦村文化財センター(別称 陸平研究所)
「Tabi-ぶら in 美浦村」其の3


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美浦村への「旅ブラ」今回のメインは「陸平貝塚」だ。

Wikipediaには《「陸平貝塚」は1879年(明治12年)当時、東京大学生でエドワード・S・モースに学んだ佐々木忠次郎、飯島魁によって日本人で初めて発掘調査が行われた遺跡であり「日本考古学の原点」と称され、考古学史の観点からも重要な遺跡である。》とあるように。縄文文化に興味があれば一度は訪ねたい場所なのだ。

今回の旅ブラで、念願がかなったのは嬉しい。

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「美浦村文化財センター」で集合写真。
元美浦村村長・市川紀行氏は「陸平貝塚の保存と活用」に長い間尽力されている。今回の企画に大いなる協力を戴いた。(後列の左から2番目)
陸平貝塚などの遺跡から出土した遺物の収蔵・整理施設であったプレハブ小屋に「陸平研究所」という看板が掲げられたのが「美浦村文化財センター」の前身で、現施設は2004(平成16)年にオープンした。

陸平貝塚は霞ヶ浦南岸の標高20~30mの独立した台地に、縄文時代早期から晩期までに形成された大規模な遺跡。

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貝はハマグリを主体としてシオフキ、オキシジミなど、魚骨ではクロダイ、スズキ、獣骨ではイノシシ、シカなどが検出されている。
道具類としては、土器以外に石皿、石鏃(せきぞく)、磨製石斧、骨角器、石錘(せきすい)など多様な出土物があり、様々な海や山の幸を食料としていたことがわかる。

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明治時代の発掘時の調査報告や出土した土器の模造品が展示されている。

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双口土器は珍しい。

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猿投窯の灰釉陶器(平安時代・9世紀)
信太入子台遺跡(シダイリコダイイセキ)、美浦トレーニングセンター乗馬苑建設時の発掘調査で出土。現在の愛知県北部で焼かれた蔵骨器だか端正な形で、かなり身分の高い人のためであろう。

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木原城址より出土した「十一面観音像」鎌倉時代。
高さ5センチ足らずの小さな像で鍍金が良く残っている。
武士が身に着け、お守りとしたものであろうか。

  1. 2017/02/28(火) 17:48:46|
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プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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