よーちゃんの雑記帳  

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後藤清一作「薫染」(くんぜ)

後藤清一作「薫染」(くんぜ)


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彫刻家・後藤清一(1893-1984)は水戸市本町に生まれ、東京美術学校を卒業し構造社展に出品、のち帝展に招待され、文展・日展の審査員・評議員・参与を歴任した。
ロダン以来の近代彫刻に学びながらも、生涯を通して東洋古代美術を構想の因とし、自己の信仰と思索の象徴とし、仏像などを生涯作品のテーマにした。。

今は亡き古川敏郎に連れられ、水戸市谷田町のアトリエを訪ねたのは1974年。
後藤さん81歳の時。以来、90歳で亡くなるまでの約十年間、暇をみてはおじゃました。
古美術・古民芸の蒐集談や失敗談を面白おかしく話された。
美味しいお茶や、時にはお酒をご馳走になりながらの数時間は、桃源郷での夢幻の一刻だった。
市外の畑の中の小さな一軒家、茅葺の草庵の生活はまさしく『今良寛』と感じる、清らかで温かい人柄であった。
作品は人柄を映す。と言われるが、後藤さんの作品は『静謐』という言葉がぴったりとする。

代表作の一つともいえる「薫染」(1941年・木彫)は、1938年に続き、再度の李王家買い上げとなった。

李王家は明治43年に朝鮮が日本に併合されてからも朝鮮総督府の管理の下で存続し、歳費を支給されていた。

1938年 徳寿宮の石造殿周辺に李王家の美術館を設立。
1945年 朝鮮総督府から業務を引き継ぎ、国立博物館となる。
1950年~1953年 - 朝鮮戦争に伴い釜山へ避難。
1953年 景福宮に移転。 11月 - 徳寿宮の石造殿に再移転。
1972年 景福宮に再移転し、国立中央博物館と改称。
1986年 旧中央庁(旧朝鮮総督府庁舎)に移転開館。
1996年 光化門付近に移転。
2005年 龍山区の龍山基地から米軍が移動した跡地に移転し「韓国・国立中央博物館 龍山」として開館。

李王家のコレクションは変転を重ねたが、新博物館に安住の地を得たわけだ。
「薫染」も中央博物館に保管され展示されていたことが確認された。
2008年の日本展示室の企画展『日本美術の復古風ーアジアの伝統に憧れて』の図録が手に入ったことによる。

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多くの日本の美術作品が紹介されている中「薫染」は表・裏表紙の裏面、図録の扉、本文と4ページに掲載されている。自己の信仰と思索の象徴としての造型は現代日本を代表する仏像彫刻と言えるだろう。

後藤さんの人と作品をもっと多くの人たちに知ってほしいと『後藤清一~ひとつの象徴の造型~』を出版したのは1990年、22年前のことだ。

中央博物館の企画展の図録は、より多くの人に“後藤さんの人と作品”を知っていただく機会になれば、と願っている。

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12日に逝去したK先生は、後藤さんの人と作品をこよなく愛していた。
この図録を霊前に捧げたい。


  1. 2011/01/14(金) 01:19:19|
  2. 後藤清一
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離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
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