よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

北斎ゆかりの地を巡る 其の四

北斎ゆかりの地を巡る 其の四

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水神大橋を渡って隅田川の対岸に。
向島方面を望む、墨田公園の後ろのスカイツリー。
墨堤通りの高速道路が目立つ。

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今戸神社

今戸神社の辺り今戸焼(いまどやき)が焼かれた。
日用雑器、茶道具、土人形(今戸人形)、火鉢、植木鉢、瓦等を生産した。
天正年間(1573年–1592年)に生産が始まるといわれる。
現在も土産用として人形の類が生産されている。

水戸でも日用雑貨や人形などを焼いた「台町焼き」が最近まで有った。

今戸焼


歌川広重『名所江戸百景』
今戸の窯から煙が昇り対岸の向嶋の奥に筑波山が望める。

山谷堀公園

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山谷堀(さんやぼり)は江戸初期に荒川の氾濫を防ぐため、箕輪(三ノ輪)から大川(隅田川)への出入口である今戸まで造られた。現在は埋め立てられ、日本堤から隅田川入口までの約700mが台東区立の「山谷堀公園」として整備された。
江戸時代には、新吉原遊郭への水上路として、隅田川から遊郭入口の大門近くまで猪牙舟が遊客を乗せて行き来し、吉原通いを「山谷通い」とも言った。
落語の世界に良く登場する。

待乳山


山谷堀入口から待乳山を望む。(明治中期)

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待乳山聖天(まつちやましょうでん)。

隅田川べりの小高い丘(待乳山)にあり、595年(推古天皇3年)9月に出現して龍が守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となったと伝えられる。601年(推古天皇9年)この地方が旱魃に見舞われたとき、歓喜天と十一面観音が安置されたと伝えられる。
待乳山は、かつては周囲が見渡せる山であり、江戸時代には文人墨客がこの地を訪れている。

池波正太郎生誕地。

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池波正太郎(1923~1990)の生誕地は「待乳山聖天」の南側にあたる。
関東大震災によりこのあたりは焼失し、生家は残されていないが平成19 年(2007年)に記念碑が建立された。

ここから徒歩15分の台東区立中央図書館内に「池波正太郎記念文庫」が在る。

葛飾北斎終焉の地

金龍山 遍照院(東京都台東区浅草6-37-12)
江戸時代に「遍照院長屋」があり、 そこに葛飾北斎が一時住んでいたことがあるといわれる。
探してみたが見当たらなかった。

この日の締めくくりは
蛇骨湯@台東区浅草1-11-11

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江戸切絵図にもある「蛇骨長屋」その地に在るので「蛇骨湯」と言うらしい。
浅草の寿司屋横丁の奥、少々わかりづらい場所だ。

今回で2度目の訪問。
始めて行った時、職人さんの多い街と言う土地柄か刺青のお客が多いのに驚いた。
温泉などで「刺青・タトゥーはご遠慮下さい」等の場合があるが、ここはOKだ。

沸かし湯ではあるが、温泉法第2条に適応する、「メタけい酸」及び「重炭酸ソーダ」の天然温泉。
黒褐色澄明、微塩味無臭の通称「黒湯」と呼ばれる温泉。

黒湯は、火山性の温泉と異なり、古生代に埋もれた草や木の葉の成分が地下水に溶け込むことによりできた冷鉱泉。茨城県では鉾田の健康センターが同質、
混雑しているので長湯は出来なかったが、正月2日の初旅の疲れを充分に癒すことが出来た。
  1. 2017/01/10(火) 22:42:48|
  2. 旅行
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Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
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重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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