よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

徳川慶喜「常陽藝文」1997年12月号

徳川慶喜「常陽藝文」1997年12月号

P3032003.jpg


茨城県立歴史館の特別展「徳川慶喜」(2月7日~3月22日)が開催されている。
水戸の梅祭りに合わせ、遠来のお客様に観て戴く企画であろうが、地元の我々も知っておかねばならない。水戸人でありながら、知らないのは恥ずかしい、とは思うが、よく分からない。

展覧会は観たが、もう少し資料はないかと探したのが「常陽藝文」1997年12月号の特集/徳川慶喜。
60頁に渡る大特集で、新書版1冊に相当する内容だ。
写真や図版も多用され、詳しい内容ながら比較的分かりやすく書かれている。

年代とタイトルを記しますが、詳しくは図書館・資料館などで読んで下さい。

1837年 慶喜誕生―徳川斉昭(烈公)の7男で七郎麿―
1838年 水戸に移住―9年余を水戸で過ごす―
1841年 弘道館で学ぶ―追鳥狩にも参加―
1847年 一ツ橋家当主に―水戸家世子の予備的立場から一転―
    八代将軍・吉宗の血を守る三卿。*一橋家継承の持つ意味
1855年 美賀と結婚。
1856年 将軍継嗣争い渦中の人となる。
1859年 安政の大獄により隠居謹慎に。
    
1862年 将軍後見職にー朝廷・外様雄藩の圧力により―
    *開国論を唱えるも実行せず *水戸藩士を伴い上洛。
    *参豫会議を解体―公武合体雄藩の支持を失う―
    *将軍継承抗争の内幕を探る。
1864年 朝廷の命により禁内守衛総督に。
    禁門の変(蛤御門の変)で実践指揮をとる。
1866年 征夷大将軍に叙任。
1867年 大政奉還 -王政復古のクーデターにより1転―
    *慶喜のブレーンは水戸藩士だった。
1868年 弘道館で謹慎―静岡と東京で暮らす― (32歳で隠居、大正時代まで生きる)*明治維新につながる 慶喜の近代化政策。

西暦と年号、慶喜関連事項、水戸の出来事、国内の出来事を対照した項目。
詳細な徳川家系図。
瀬谷義彦・佐久間好雄・宮澤正純・小松徳年など歴史家の見解。など多様な内容が記されている。
将軍職に在ること1年余、政治の表舞台で約10年。
32歳で表舞台を去り、1913(大正年2)年に77歳で没した。
徳川幕府260余年の幕を引き、新時代の扉を開けたことは歴史的な事実。

「常陽藝文」は財団法人常陽芸文センターが毎月発行する文化情報誌で郷土の歴史、民俗、芸術、自然などのテーマを様々な角度から掘り下げて紹介している。月刊誌ゆえに、その月で読み去られてしまうことが宿命、と言えるが特集号などは単行本として刊行すべき内容だ。

P3032004.jpg

1998年10月号は慶喜の弟「最後の水戸藩主・徳川昭武」を取り上げている。
最新の2015年3月号は「徳川御三家水戸藩とその御連枝高松藩(Ⅰ)」とし、香川県高松市ほかを取材した記事。
水戸と高松の縁を詳しく紹介している。
  1. 2015/03/09(月) 22:29:30|
  2. | トラックバック:0
  3. | コメント:0
<<あの震災から4年。 | ホーム | 青い灯@水戸市大工町1-3-16>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://yochan310.blog98.fc2.com/tb.php/2033-e81a7fb8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する