よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

旧水中天海先生のこと

水中(現・水戸一高)生の坐禅会 @ 江山閣

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伊豆山善太郎著の『水戸茶道史考』(新いばらきタイムス社, 1988.7.)は本編と同じ位のページを費やした「茶の精神と禅」と題した中に約20篇も加えられている。
講演記録を加筆したものや、新聞に連載された記事が再録されている。
禅や石州流のお茶、岡倉天心についてなど多方面にわたっている。
「茶道随筆」の中には「江山閣で坐禅会・旧水中天貝先生のこと」と題する一文もある。ここには旧水中(現・水戸一高)において漢文の教諭・天海謙や学生との交流が述べられている。
旧制中学生は15歳にも満たない少年達が「坐禅会」参集し、現代の大学生以上の知的好奇心に満たされていた。
明治・大正時代の先達を大いに見習うべき。と心を新たにした。

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旧水中天海先生のこと

 私は大正大震災後焦土の東京を遁れて、文部省学術研究会議書記兼文部属の身分から旧水戸中学教諭に転じた。大正十三年四月である。塚原校長が上級四・五年生の修身教師を求めて大塚の高師講堂の文部省仮庁舎に山内督学官を訪ねられた時、私かその推薦を受けたのである。
 山内氏の計らいで二十台の若輩がイキナリ奏任(高等官) 待遇で赴任したため、年長の一部の先生達から嫉視され、初めはかなり心苦しかった。ところが親子程もとしが違う年長の漢文担任天海謙(号雲濤)先生は少しのわだかまりの念も無く、私のどこを見込まれたのか「水戸のために出来るだけ永く水中に居て下さい」と言われたのには感激した。
 先生は赤ら顔の巨大漢で悠揚迫らずといった風格の人、温顔に絶えず微笑を湛えていた。いたずらをする生徒をしゃがれ声を張り上げてよく叱られたが、そのあとけろりとすぐ温顔に戻られるのであった。生徒達は「テンカイさん」とか「テンカイ入道」の愛称を先生に奉っていた。
 先生は下市花畑に住まわれる水戸藩士分の家柄の人である。茨城師範を出、検定試験で中等教員資格を得られた。先生は水戸藩先哲の遺文を博捜し「水戸漢文抄」を編集して教科書に使われた。早大英文科出身の加唐先生が、ある時天海先生不在の折、机上のその本をとり上げてこっそりページを繰ってみたら一つも書き入れが無かったと言って舌を巻いていた。大変な実力者である。大東文化学院(今大学)が出来た時、先生を教授に推した県の政界有力者がいたと聞いたが、残念ながら実現しなかった。
 先生は、東京外語中国語科出身で英語を担当された鈴木先生に中国語を学ばれたそうであるが、生徒の有志に課外授業として中国語入門を教えておられた。更に驚嘆に値いするのは独逸語を解しておられた事である。どこで学ばれたのか伺いそこなった。独学かも知れない。私は水中には二年いただけであるが、一年以上過ぎた頃、先生からカントのプロレゴメナ(序説。カント哲学入門書)を一緒に読んでほしいと頼まれた。その任ではないのだが、辞するに由なく、東大で数えを受けた桑木博士の訳を頻りに、たしか毎週一回、昼休みに宿直部屋に籠って、レクラム文庫本を使って訳して行った。先生はワンウンうなずきながら聞いておられた。全く先生好学の念の致す所で、驚嘆の外は無い。
 当時、出身地単位の生徒の親睦団体があり、生徒達は時折那珂川べりの繁みの中にある畳敷の集会所江山閣に集って、茶菓を喫しながら談笑した。
 先生は下市出身者の団体湖東会の責任者であった。或る時先生から「湖東会の生徒に坐禅を教えて下さい。ただ無駄話をしているだけでは惜しい」と頼まれ、会合に出て坐禅の仕方を教えた。三十名内外いたように思う。その時の経験により先生に「強制的ではよくありませんから全校に呼びかけ有志の会にした方がいいと思います」と申し上げてその諒解を得、毎週土曜午後七時から二時間江山閣で坐禅をする「湖東静坐会」が生れた。少くとも七、八名、多い時は十数名集った。汽車通学者で一旦帰宅し夕方また汽車で駆けつけるのがあると聞いて感心した。
 禅堂の型通り警策・引鏧(インキン)・析(タク)を備え、壁には私の師心学参前舎主早野柏蔭先生筆「思無邪」の軸と、円覚寺太田晦巌老師筆達磨図が掛けられた。達磨は国語の富岡良夫先生の物と記憶する。同先生も私に協力して下さった方である。坐の途中二、三十分を限度に私が禅を語った。この会は私が水中を去った後も天海先生御逝去の時迄続いた。中学の静坐会としておそらく全国に比類無き物と思う。尚天海先生と二、三の下市在住の先生方の御尽力で早野先生をお招きして下市の会館で道話会が開かれた事も忘れられない。
 先生こそ思無邪で道心を具え無類篤学の模範的教師であったと信ずる。酒門の墓域に眠られる先生の御冥福を祈ってやまない。
     (昭和六十一年一月十五日付新いばらき紙掲載)

㊟「江山閣」
生徒の合宿等にあてた施設で、1912 (明治45)年 新築落成。
第二次大戦により焼失。

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2000年、創立120周年を記念して再建された。設計は卒業生の妹島和世。

  1. 2015/01/07(水) 21:06:48|
  2. 人と作品
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離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
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