よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

音楽評論家・矢澤 孝樹さん

音楽評論家・矢澤 孝樹さん

矢澤さん 水戸映画祭


第27回水戸映画祭で上映された、「オープニング・ナイト」の上映に先立ち元・水戸芸術館音楽部門主任学芸員であった矢澤孝樹さんがジョン・カサヴェテス監督と「オープニング・ナイト」の見所などを話された。
矢澤さんは家庭の事情で実家のニューロン製菓の経営に携わるため水戸芸を辞されたが、水戸の人達に愛された学芸員であった。
仕事の傍ら音楽評論・映画評論家として活躍されているのは嬉しい。
2月16日のプレトークについて、矢澤さんの記事がFBに投稿されいたので転載させて頂くことにした。


第27回水戸映画祭に出演し、ジョン・カサヴェテス監督『オープニング・ナイト』のプレトークをしてまいりました。NPO法人シネマパンチの皆さん、水戸芸術館の皆さん、そしてご来場くださった皆さん、本当にありがとうございます。上映終了まで誰も席を立つことなく、終わった後に深い衝撃と感動が客席を包んでいるのが、共に客席にいる僕にもしっかり伝わってきた。何回もこの種の企画をやったので、客席の「空気」がわかるのだ。ああ、皆さんカサヴェテスの強烈な引力にとらえられている。息を呑むように画面を見つめ、その世界の住人となっている。それが場内の闇を通しても濃密な手ごたえでしっかり伝わってくる。その媒介役を務めることができた幸せをひしひしと感じる。これまでの僕の『オープニング・ナイト』鑑賞体験の中でも、もっとも感動的な時間だったことは間違いない。

 終映後、多くの方々が、口々に熱気あふれる感想を直接聞かせてくださった。「矢澤さんのプレトークだけ聞いて帰ろうと思ったけれど、結局最後まで観ちゃったよ、いやあすごい映画だね」とおっしゃってくださった方もいた。ああ、やっぱりやってよかった。カサヴェテス監督、あなたの映画の力は世紀を超えた日本でも確実に多くの人々に伝わっていますよ。あなたの映画に打ちのめされて20年、ささやかながらようやくオフィシャルな形であなたの映画を伝える役を果たせたことで、「カサヴェテス組」の遠い遠い末席に加わることができたと、僭越ながら誇りに思ってもよろしいでしょうか?

 それにしても、プレトーク20分はやはり短かったな。機関銃のようにしゃべりまくったけれど、最後の方で尺が足りなくなり(だいたい僕は脱線が多すぎるんだ、サム・ショウがマリリン・モンローのスカートが風でまくり上がる有名なポートレイト撮った話とか省けよな~)、駆け足になってしまったのは相変らずの矢澤です。

 実はFBに、きのう話したことを全文再現してアップしようと思い実際書き始めていたのだけれど、前半は伝記的事実の話も多いので、ここに上げる意味が見出しにくく、なにより良くも悪くもプレトークで爆発させていた熱量を再現することがどうもできないので、最後、時間が足りなくて端折ってしゃべった部分をもう少し詳しく書いておく。

 カサヴェテス映画の「計算」と「即興」と「俳優との極限的に深く激しいセッション」の化学反応によって生まれるドキュメンタリーのようなリアリティが、「演劇」という設定によっていっそう複雑で高いレヴェルに到達したのが『オープニング・ナイト』なのだ、と思う。主人公の大女優マートルが、そして演出家も共演者も潜在的に抱いている「老い」への恐れが、それをテーマにした戯曲を上演することによって顕在化し、登場人物たちを追いつめてゆく。登場人物たちが「演ずる」舞台、彼女たちの映画内における「現実の」生、それを演ずる俳優の生(なま)の身体、この3つの層が、「老い」への恐怖と格闘する姿を通じ軋みをたててぶつかり合い、互いの境界線を壊してゆく(実はマートルの幻想という別の層もあり、それが映画内の現実をいっそう複雑にしている)。その尋常ならざる熱量と巧緻にして大胆な仕掛けが、スクリーンと鑑賞者の間の壁までも溶解させ、観客という第4の層である僕たちを巻き込んでゆく。僕たちはそこから逃れる事ができず、映画の中を終始吹き荒れる感情の暴風雨の中を共に生きることを課せられる。『オープニング・ナイト』とは、そういう映画なのだ。

 そして僕たちは、この映画の4つの層の境界線が完全に破壊される驚異のクライマックスにおいて気づくのだ、僕たちの生もまた、与えられた役割を生きることを課せられた「舞台」なのではないかと。その役割の意味は容易に見つからず、だからこそ人は苦しみ悩むのだが、それでもその役割に正面からぶつかり、格闘することでしか道は拓けないのだと。『オープニング・ナイト』は演劇の製作という過程を描くことで、それをメタファーとして僕たちに伝えてくれているのだろうか。いやメタファーというにはそれはあまりに熱く激しく、冷静に観察することを決して許さない。僕らがこの映画から何かを得るためには、「学ぶ」のではなく、「体験」するしかないのだ。

 とはいえ、回を重ねるごとに、この映画に張り巡らされた緻密な計算と登場人物に割り当てられた役割の意味、それを一点の曖昧さもなく描く正確な叙述力に、驚嘆するばかりだ。今回も観ていて新たな発見がいくつもあった。たとえばマートルの幻想に登場する事故死した17歳の少女が「好きだ」という音楽は、すでに映画の冒頭のマートルへのサイン責めのシーンで(正確には、「まだ生きている」彼女の登場と共に)すでに鳴っている、とか。そして、鑑賞の回数を重ね、映画の細部まで観られるようになってあらためて素晴らしいと感じられるのは、この映画ではすべての登場人物(小道具係からメーキャップ係まで)に「役割」が与えられており、彼らが輝く瞬間が分け隔てなく用意されているということだ。登場人物の誰もがいとおしい。(ようやくここに来て、ついにこの言葉を解禁するのだけれど)それをカサヴェテスの人間への「愛」と呼ばずしてなんと呼ぶ?

 この映画が観る者に課すあらゆる困難を超えて、その「愛」がきのうの場内にすべからく沁み渡ったことを。終映後に起こった控え目な拍手は、映画の衝撃の大きさが直接的に支配する空間の中で、その「愛」がしっかりと受け止められていたことの証明だと信じたい。

  1. 2013/03/02(土) 00:09:19|
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離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
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