2008/12/03
松本安良展「類似の関係」@ギャラリー しえる
松本安良展「類似の関係」@ギャラリー しえる
2008年12月2日〜7日
最近、水戸市内に2つのギャラリーが開店した。
どちらも、水戸市の中心部ではないが、周りの環境が素晴しい。
立地は対照的で、片や南側の雑木林の中で別荘風、もう一方は北側の那珂川の縁で、水戸の台地を望む景勝の地である。
画廊主が共に女性であるのは、偶然、或いは女性上位の最近を象徴しているのかも。

水戸市見川町の雑木林の中の一軒や「ギャラリー しえる」
で松本安良さんの個展が開かれている。
松本さんは茨城大学の教育学部美術科を1971年に卒業した。当時の卒業生の殆どは教員の職に就いたが、彼は大勢に反して相馬画材の関連会社、共同企画のグラフィックデザイナーとなった。その頃からの付き合だから40年近くになる。
1970年年代は美術の世界も活気があり、多くのアートイベントなども開催された。
彼の仲間の現代美術の作家たちと共に『真夏の召集命令』『もろこしぽっと』などに参加したり、お手伝いなどもして楽しんだ。
1974年『第1回 北関東美術展』が栃木県立美術館で開催され、その頃は、あちこち観に行ったりした。
1979年松本さんは、茨城在住の美術家と「アートシンポジュウム茨城」結成参画し、発足展を開催した。1988年まで、展覧会やシンポジュームを開催した。僕も展覧会やシンポジュームに参加して、現代美術の何たるかを体験できた。
松本さんは、事務局的な仕事をこなし、まとめ役としての役割を果たしたようだ。
仕事の合間に、毎年個展を積み重ねている。グラフィックデザインを生業としているから、多くの困難が有っただろうが、貫き通しているのはたいしたものだと思う。
会場で久し振りに顔を合わせた。この10年以上は、年に数回偶然に出会う付き合いだ。
「今年、還暦を迎えました。今回の展覧会は再出発の決意を表明するつもりでやりました。」と熱く語った。作品は2005年から始まった『類似の関係』と題するシリーズ。

会場での松本さん。
明るい色調で、デザイン的な要素が強い、楽しく飛び跳ねたい作品。画廊に降り注ぐ暖かい冬の日差しがまぶしい。
新設の「ギャラリーしえるが」が画廊として軌道に乗ること。
松本安良さんが本格的に美術家として制作を続け、驚くような作品を発表してくれることを願っている。
2008年12月2日〜7日
最近、水戸市内に2つのギャラリーが開店した。
どちらも、水戸市の中心部ではないが、周りの環境が素晴しい。
立地は対照的で、片や南側の雑木林の中で別荘風、もう一方は北側の那珂川の縁で、水戸の台地を望む景勝の地である。
画廊主が共に女性であるのは、偶然、或いは女性上位の最近を象徴しているのかも。

水戸市見川町の雑木林の中の一軒や「ギャラリー しえる」
で松本安良さんの個展が開かれている。
松本さんは茨城大学の教育学部美術科を1971年に卒業した。当時の卒業生の殆どは教員の職に就いたが、彼は大勢に反して相馬画材の関連会社、共同企画のグラフィックデザイナーとなった。その頃からの付き合だから40年近くになる。
1970年年代は美術の世界も活気があり、多くのアートイベントなども開催された。
彼の仲間の現代美術の作家たちと共に『真夏の召集命令』『もろこしぽっと』などに参加したり、お手伝いなどもして楽しんだ。
1974年『第1回 北関東美術展』が栃木県立美術館で開催され、その頃は、あちこち観に行ったりした。
1979年松本さんは、茨城在住の美術家と「アートシンポジュウム茨城」結成参画し、発足展を開催した。1988年まで、展覧会やシンポジュームを開催した。僕も展覧会やシンポジュームに参加して、現代美術の何たるかを体験できた。
松本さんは、事務局的な仕事をこなし、まとめ役としての役割を果たしたようだ。
仕事の合間に、毎年個展を積み重ねている。グラフィックデザインを生業としているから、多くの困難が有っただろうが、貫き通しているのはたいしたものだと思う。
会場で久し振りに顔を合わせた。この10年以上は、年に数回偶然に出会う付き合いだ。
「今年、還暦を迎えました。今回の展覧会は再出発の決意を表明するつもりでやりました。」と熱く語った。作品は2005年から始まった『類似の関係』と題するシリーズ。

会場での松本さん。
明るい色調で、デザイン的な要素が強い、楽しく飛び跳ねたい作品。画廊に降り注ぐ暖かい冬の日差しがまぶしい。
新設の「ギャラリーしえるが」が画廊として軌道に乗ること。
松本安良さんが本格的に美術家として制作を続け、驚くような作品を発表してくれることを願っている。
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