よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

水戸の空襲 1945年8月2日

水戸の空襲 1945年8月2日

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1945(昭和20)年8月2日未明、轟音とともに水戸上空に姿を見せたアメリカ空軍のB29爆撃機、午前0時31分から2時16分までの1時間45分間に160機が約1145トンの爆弾を投下した。

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水戸駅前から銀杏坂方面。

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2012年8月3日の同じ辺り。

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旧水戸市庁舎(現京成ホテル)前の大銀杏の木。

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郵便局辺りから南町方面。

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2012年8月3日の同じ辺り。

この空襲で水戸市街のほとんどが焦土と化し、罹災戸数1万104戸 罹災人員5万605名死者242名 重軽傷者1293名が犠牲となった。
8月15日の終戦を迎える約2週間前のことだった。


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事前に撒かれた空襲予告ビラ。


8月2日に空襲を受けたのは、水戸・富山・八王子・長岡の4都市。
空襲の前に予告のビラがまかれたので、母と姉と私の3人は父親の里の栃木県に疎開したので、空襲を体験することはなかった。

終戦後の10月に水戸に戻ったが、焼け野原だった。
当時4歳だった私は、断片的な事しか覚えていない。
空襲に先立つ7月17日、勝田(現・ひたちなか市)が艦砲射撃に遭った。
母に背負われ、千波方面に逃げたことだけは今でも鮮明に覚えている。

明日3日の夜は水戸の黄門祭りの花火大会だが、夜空に上がった花火のような閃光と、パーンと云う鈍い音、そしてズーンと云う響き。
花火大火を見る度に、艦砲射撃の爆音を思い出す。

あれから67年、当時の痕跡を見出すのは難しい。
終戦時の焼野原を知る人も少なくなりつつある。

昨年3月の東日本大震災と原発事故の悲惨さは、その時以上だろう。

何れ全ての記憶は風化する。
しかし、戦争、津波、原発の事故は語り継がなければならない。
誤りを再度繰り返さないために。
  1. 2012/08/02(木) 21:45:58|
  2. 平和
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:1
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コメント

私達家族と母の妹家族は、千波南台に疎開してました。千波湖に爆弾が落ち防空壕で過ごしました。又、戦後アメリカ兵がジープで来て、チョコレートを貰い❗初めて食べた記憶が、、、、。
  1. 2017/08/04(金) 00:34:03 |
  2. URL |
  3. 嘉成貴美子ふ #-
  4. [ 編集]

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Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
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