よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

「ファンキー・ジャズ」の時代

「ファンキー・ジャズ」の時代

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アート・ブレイキー( Art Blakey) モーニン(Moanin')


昭和35年(1960)に高校を卒業し、東京で生活するようになった。
住まいは中央線の大久保、学校は新宿で国電(今のJR)の初乗り運賃が10円だった。
東口には三越や伊勢丹が在ったが、西口の駅前は3階建のスバルのビルだけ。京王線は路上を入っていたし、脇を神田川が流れていた。
少し先には東京瓦斯の大きい丸いガスタンクが2基見えるだけ。
現在の都庁舎の辺りは、浄水場で広大な敷地内は外から見えない。

今にして思えば、水戸とさほどの違いは無かったが、沢山のカルチャーショックを受けた。
その一つが「アートブレイキーとジャズメッセンジャーズ」の来日公演。
ブルースやゴスペルなどの黒人音楽の影響が強く、「モーニン」は大流行した。
訳は分からずに「ファンキー・ジャズ」「モダンジャズ」を聴く様になった。
演奏者は殆んどが黒人、白人を中心に流行したウェスト・コーストジャズからイースト・コーストのジャズへ変わる時代だった。

LPレコードやオーディオ機器は非常に高価で、普通の人は所持出来ない時代、、ジャズ喫茶で聞くのが当たり前で、学校帰りに新宿駅周辺のジャズ喫茶に通った。コーヒー1杯で数時間を過ごす毎日。
薄暗い店内のスピーカーから流れる大音量の曲を、深刻な顔で耳を傾ける客が大勢いた。お喋り厳禁で、店内の会話といえば、注文とリクエスト程度。

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Sonny Clark / Cool Struttin' (1958)

カウンターに置かれているレコードジャケットを見て曲を感じ、演奏者も曲名も知らずに聴いていた。何といっても、ジャケットのデザインがよかったな。

南口の近くの「ヨット」「汀」「キーヨ」。
都電の角筈駅前の「木馬」(のち歌舞伎町に移転)
ジャズ喫茶ではなかったが、当時の進歩的な学生や文化人の溜り場の「風月堂」にもたまに行った。独特の雰囲気で馴染めなかった。
僕には分からなかったが、「モダンジャズ」は文学や哲学や学生運動と関連するものが有ったようだ。

新宿ばかりでなく有楽町と八重洲の「ママ」上野の「イトウ」渋谷の「スイング」、店名は忘れたが巣鴨、浅草、御茶ノ水などのジャズ喫茶にも遠征した。
何処にでも多くの店が在ったが、今では数少なくなったようだ。

「モダンジャズ」も50年以上を経過し、旧世紀の遺物かもしれないが、良いものは好い。自分の気持ちが弱い時は、曲に負けてしまって聴き続けることが出来ないこともあるが、ともかくイイのだ。

今にして思えば、ジャズ喫茶ばかりでなく、東京の下町の江戸情緒の名残を探っておくべきだった。との後悔することもある。
  1. 2012/07/25(水) 23:37:18|
  2. 音楽
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離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
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