よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

白磁の人 @TOHOシネマズ ひたちなか

白磁の人 @TOHOシネマズ ひたちなか


CA3G0006_20120615222647.jpg

CA3G0005_20120615222717.jpg


古美術好きが憧れる品の一つに、李朝の白磁や木工品がる。
しかし、それらの品々が愛好されるようになったの、はさほど昔の話ではない。
日本が韓国を併合していた時代(1910年~1945年)朝鮮の美に魅せられた浅川伯教・巧兄弟の活動によって李朝の陶磁器や工芸品は一躍注目を浴びることになった。


兄の伯教は、1913(大正2)年朝鮮に渡り、700箇所にも及ぶ朝鮮王朝陶磁の窯跡を調査し研究し、陶磁器の時代的変遷を明らかにした研究成果は、朝鮮陶磁史の基本文献としてまとめられ今日に至っている。
兄を慕い、その影響を強く受けていた巧も朝鮮行きを決意し、翌年には就職していた秋田県大館営林署を辞め、朝鮮に渡って朝鮮総督府農商工部山林課林業試験所の雇員として働きはじめた。
林業技師として荒廃した山々の緑化に奔走するかたわら、兄とともに「朝鮮白磁」をはじめとした朝鮮陶磁の研究に心酔し、『朝鮮陶磁名考』を書き残した。

巧はまた、木工芸品の中に民衆芸術の美を見出し、優れた文化として日本に紹介している。1915年12月、巧は兄伯教と柳宗悦を千葉我孫子に訪ねる。
兄は前年、朝鮮白磁を持って柳をたずね、柳もまた朝鮮白磁の美しさに打たれ、にわかに朝鮮陶磁器に対する関心を高めることになる。

tirasiura_1.jpg


この実話に基づいて制作されたのが「白磁の人」
映画は巧の仕事先の林業試験所で、伐採で山肌が見えるようになった朝鮮の山々を緑に戻す事に寝食を忘れるほどに働く、
共に働く朝鮮人の職員チョンリムから朝鮮語を習い始め、朝鮮人に溶け込もうとする巧。
当時の朝鮮半島は日本による植民地統治のもと、朝鮮の人たちへの蔑視や差別が当然のように行われていた。そんな社会情勢の中、彼は自らの意志で朝鮮の国と文化と人々を理解しようとし、心から愛した。

「白磁」に関する話より、日本による植民地統治下に繰り広げられた人間模様は、涙腺が壊れたかと思えるほど泣けた。

IMG_0252.jpg

IMG_0222.jpg


昨年末、韓国で観た品々。



  1. 2012/06/15(金) 22:33:07|
  2. 映画
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
<<「茶房 李白」と韓国喫茶「李青」 | ホーム | 紀州堀緑地と西の谷 @水戸市>>

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://yochan310.blog98.fc2.com/tb.php/1306-20ed7290
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する