よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

ラ チッタデッラ@川崎市川崎区

ラ チッタデッラ@川崎市川崎区

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上京する高速バスで「ストレイシープ」(水戸市泉町)店主の世田さんに会った。
ストレイシープはヨーロッパの古着や雑貨などを年に数度、世田さんが買付けに行き、マニアックな商品が揃っているので人気がある。
仕入れから戻ると県内はもとより、かなり広範囲の地域から顧客が押し掛ける。
2009年10月の開店だが、それ以前から面識があったので、その後の着実な発展は嬉しいことだ。
車中で「今日は何しに」の話となった。

僕は「東博の春日大社展を観て、國學院大學博物館の縄文展に行き、5時に桜木町で友人と待ち合わせ。」と言う予定を話した。
世田さんは「川崎に出店しないかの話を戴いたので、打ち合わせに行くのです」とのこと。何処にとの問いに、川崎駅前の「ラ チッタデッラ」です、と言う。

川崎駅前の「ラゾーナ川崎」は1度訪ねたが「ラ チッタデッラ」のことは知らなかった。時間的に渋谷から川崎を経由、桜木町は治まりが良い。

國學院大學博物館の縄文展で新体験をし、渋谷からJRで川崎に。

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川崎駅の東口から徒歩5分足らずで「シネチッタ」のゲート。
この辺りは以前の映画街で、業界の変遷に伴い1987年、川崎に日本初のシネマコンプレックスとなった。
2002年に商業施設の「ラ チッタデッラ」(小さな街)とライブホールの「クラブチッタ」を中心に、ショップ、レストラン、ウェディング施設などを加え、歓楽街だったエリアのイメージを刷新し、現代的な文化情報発信地となったらしい。(この経過については、水戸に戻って調べて分かった)

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施設案内のパンフには、「この再開発地区の計画はイタリアのトスカーナ地方の丘陵の街をモチーフに、石畳の小道や噴水がイタリア古都の雰囲気を再現した」
とあるように、そのとおりで、らせん状のスロープを登りながら上の階に行く。
勿論、階段やエレベーターも設置されてはいるが。

エリア内を一回りしたが、確かに素晴らしい設計とつくりだ。

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10年以上を経過しリニュアールの一環として「アンティークストリート」を作ることとなって世田さんにもお呼びがかかったらしい。
各地の「アンティークイベント」での実績が評価されたのだろう。

5~6軒が出店予定らしいが、ショッピングセンターを含め商業激戦区の川崎での「アンティークストリート」を成功させるのは難しそうに思えた。

これまでも独自の魅力で進化してきた世田さんのことだから、何か秘策を考えているだろうが成功することを願っている。
  1. 2017/01/30(月) 17:07:27|
  2. 街づくり
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「火焔型土器のデザインと機能」展@國學院大學博物館

「火焔型土器のデザインと機能」展@國學院大學博物館
平成28年12月10日~平成29年2月5日


火炎土器

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縄文時代は約1万年前頃から稲作が始まる弥生時代に至る約3000年前まで続いた狩猟と採取による生活で土器や石器を使用していた。母系社会で争いの無かった時代と言われる。

煮炊きに使用された土器なのに非常に優れたデザインや技術が使用されているものが見られる。

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機能性で言えば上部の装飾は必宝なく、逆に邪魔な訳だが、異様な文様ものも多々ある。今回の説明によれば縄文人の「世界観」と云う事らしい。

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その代表的なものが火焔土器で縄文時代中期を代表する一種で、燃え上がる炎を象ったような形状で信濃川の流域で出土する。

美術家の岡本太郎(1911年- 1996年)は1951年に東京国立博物館で縄文火焔土器を見て衝撃を受け、翌年、美術雑誌『みずゑ』に「四次元との対話―縄文土器論」を発表。この反響によって、日本美術史は縄文時代から語られるようになったといわれている。

今回の展覧会は発端となった火焔土器の特別展。
国際的な評価の高まりを受けての「火焔型土器のデザインと機能 Jomonesque Japan 2016」のタイトルを付けたのであろう。

装飾的な縄文土器の中でも、特に装飾性豊かな土器である。
初めて発見された馬高遺跡を標式遺跡として馬高式とされるものの一部が該当する。


第1章 火焔型土器の誕生

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第2章 火焔型土器と王冠型土器

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国宝の新潟県笹山遺跡出土深鉢型土器(十日町市博物館蔵)

国指定重要文化財の新潟県馬高遺跡出土品(長岡市馬高縄文館蔵)や新潟県堂平遺跡出土深鉢型土器(津南町歴史民俗資料館蔵)なども展示されている。

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第3章 火焔型土器のココロ

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三角形土版。
始めて見たが、他にはあまり類例が無いように思える。

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土偶も珍しい器形があった。


縄文土器のうち深鉢などには煮沸痕を有するものがあることから、食料を煮る(煮沸)ため、あるいは貯蔵するために用いられたと考えられる。
クマ・シカ・タヌキなどの動物、ドングリ・クリ・トチなどの木の実、シャケ・カイなどの川や海の生物など多岐にわたる。

●縄目文様は撚糸を土器表面に回転させてつけたもので、多様な模様が見られる。しかし実際には縄文を使わない施文法や装飾技法も多く様々である。
縄目文様以外の施文法として、爪形文やササの茎・動物の管骨などを施文原体とする竹管文、貝殻を施文原体とする貝殻条痕文などがある。
*火炎土器は縄文は無く紐状の竹管文が施されている。

●縄文土器(縄文時代)の時期区分
草創期:約16,000年前~
早期:約11,000年前~
前期:約7,200年前~
中期:約5,500年前~
後期:約4,700年前~
晩期:約3,400年前~(晩期から弥生時代への移行は地域によって異なる)

  1. 2017/01/29(日) 18:12:02|
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國學院大學博物館@渋谷区東4-10-28

國學院大學博物館@渋谷区東4-10-28

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東博の「春日大社展」を観て「火焔型土器」の特別展が開催されている國學院大學博物館に向かった。國學院大學は遺跡の発掘や神主養成の課程がある。という程度の認識で、どんな大学で何処にあるのかを知らなかったので、事前に住所は確認した。

「渋谷駅」或いは「恵比寿駅」から徒歩で15分位。
どちらからでもさほどは変わらないらしいので恵比寿で下車し六本木方面に。途中に「山種美術館」が在る。

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坂を登って左折すると「國學院大學・渋谷キャンパス」。
住宅地の一角にモダンで都会的なキャンパスが展開されている。
堅苦しく感じる校名とはかなり異なった感じだ。

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平成25(2013)年に開館した國學院大學博物館の館内は、考古、神道、校史の3つの展示ゾーンと、さまざまなテーマによる研究成果を公開するための企画展示室で構成されている。
今回の「火焔型土器のデザインと機能 Jomonesque Japan 2016」展は企画展示室に展示されている。
【入館料】無料 【開館時間】10時~18時(入館は17時30分まで)年末の閉館期間を除き。日・祭日も開館と言うのは嬉しい。

中学から高校時代はトロイアを発掘した『古代への情熱 シュリーマン自伝』に影響を受け、考古学に興味があったからこの手の展示には関心が尽きない。

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火炎土器の特別展に関しては次回に述べるが、樋口清之教授が寄贈した資料を展示した「考古学陳列室」が博物館の前身になった歴史等の説明もある。

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縄文土器

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土偶

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弥生土器

●國學院大學博物館
昭和3(1928)年創立の考古学陳列室(後の考古学資料室・考古学資料館)と、昭和38(1963)年創立の神道学資料室(後の神道資料展示室・神道資料館)の、両組織を統合した施設として、平成25(2013)年に國學院大學博物館が発足した。

●國學院大學

1882年(明治15年)国学教育(日本の古典・礼式など)の普及として設けられた皇典講究所(国学研究機関)が1890年(明治23年)に国史、国文、国法を講究施設として開院した神職養成教学機関の國學院を起源とする。
1920年(大正9年)の大学令によって大学(旧制大学)に昇格し、戦後は、1948年(昭和23年)に現行学制によって新制大学となる。(Wikipediaより)

  1. 2017/01/28(土) 17:06:07|
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春日大社展〈千年の至宝〉@東京国立博物館 

春日大社展〈千年の至宝〉@東京国立博物館 
 2017年1月17日 ~ 3月12日


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世界遺産の一つである奈良・春日大社は、奈良時代の初めに鹿島から武甕槌命が白鹿に乗って御蓋山に降り立ったとされる。
鹿島を地元とする茨城の人間としては良く知っておく必要がある神社だ。
されど、殆どわからないので展覧会を拝観に。

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御蓋山の中腹の本殿(上空から)

第1章 神鹿の杜

鹿島立ち


鹿島立神影図 南北朝~室町時代・14~15世紀春日大社蔵
武甕槌命が鹿に乗り、春日の地に降臨した様子。
春日大社の草創を物語る作例で、後小松天皇奉納と伝えられる。

再現本殿第二殿の

本殿の第2殿を再現。
御殿の間の壁にある「御間塀」は、昨年の式年造替で撤下されたもの

第2章 平安の正倉院
神々の調度品として奉納された古神宝。
春日大社には平安時代に奉納された本宮御料(ほんぐうごりょう)と若宮御料(わかみやごりょう)が伝わり、「平安の正倉院」とも呼ばれる。

太刀

国宝 金地螺鈿毛抜形太刀 平安時代・12世紀 春日大社蔵
柄(つか)や鍔(つば)などの多くの金具は金無垢に文様を彫り出し、鞘(さや)は金粉を蒔き、螺鈿で雀を追う竹林の猫を表現。まばゆく輝く黄金の太刀。

第3章 春日信仰をめぐる美的世界

草創以降、貴族をはじめとする多くの人々が春日の地に参詣し、祈りを捧げた。神と仏が一体であるとする神仏習合の思想を背景に、仏法を守護する春日の神々への信仰も広がりをみせた。

春日曼荼羅


春日宮曼荼羅 鎌倉時代・13世紀 東京国立博物館蔵
春日大社の社殿を中心に、画面上部に御蓋山、春日山、若草山を配している。聖地・春日野を一望にする礼拝画の大作。


第4章 奉納された武具
春日大社には多くの武具が奉納されている。

赤糸威大鎧


国宝 赤糸威大鎧(梅鶯飾) 鎌倉時代・13世紀春日大社蔵

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春日大社の回廊沿いにずらりと並んでいる釣燈籠が23基。
古美術愛好家の憧れだ。

第5章 神々に捧げる芸能
祭礼の際に神前に奉納された舞楽や能など、芸能に関わる作品。

舞楽面


重要文化財 舞楽面 納曽利(ぶがくめん なそり) 平安時代・12世紀 
春日大社蔵

第6章 春日大社の式年造替
春日大社では社殿の建て替えや修繕が約20年に一度行なわれ、平成28年(2016年)の御造替は60回目。

狛犬

獅子・狛犬(第一殿) 鎌倉時代・13世紀 春日大社蔵

●「千年の至宝」のサブタイトルにあるように、平安貴族の美意識を反映した神宝国宝・重文が100件以上展示されている。
この機会に細部まで拝見しておけば、次の機会には理解が深まるように思えた。とは言え度、次回の奈良訪問は何時のことやら。

●春日大社には次の四柱が祀られている。
武甕槌命 - 藤原氏守護神(常陸国鹿島の神)、
経津主命 - 同上(下総国香取の神)、
天児屋根命 - 藤原氏の祖神(河内国平岡の神)、
比売神 - 天児屋根命の妻
  1. 2017/01/27(金) 19:24:31|
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水戸ホーリーホック2017新体制発表

水戸ホーリーホック2017新体制発表

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2017年1月21日(土)15:00~「水戸ホーリーホック2017新体制発表記者会見」がケーズデンキスタジアム水戸で行われた。
(茨城新聞とホーリーホックのHPから)
新ユニフォームやトップチームのメンバー、新加入選手の発表など、今シーズンの水戸ホーリーホックの全容が発表された。

前進

今年のチームスローガンは「 前進!」
前に進むこと。次の段階に進む、ステップアップの意。
チーム一丸となって、着実に一歩、そしてまた一歩と力強く前へ進んでいくこと。

川又南岳先生によるスローガンの揮毫は恒例になった。

3新体制


新加入選手10名の紹介。
背番号32 DF パウロン選手・背番号31 MF クォン ヨンジン選手・背番号38 FW 前田 大然選手など。

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西ヶ谷隆之監督挨拶と一問一答
昨年順位の13位以上を目指す。
全員がキープレーヤー。

2新体制

新ユニホームの紹介。

開幕戦は2月26日。湘南ベルマーレを迎え「Ksスタ」、

●水戸の年間入場者数は112,668名で、J2平均 は146,433。
順位は13位、成績と同じ。
入場者と成績は比例している。
今シーズン、10位以内を目指すには入場者が大きなカギ。
ホームの入場者が基準だが、アウェイでも多くの人数が欲しい。
ホームもアウェイもスタジアムを念頭に応援したい。

ダービー

●水戸ホーリーホック vs. 鹿島アントラーズ
[いばらきサッカーフェスティバル 2017Jリーグプレシーズンマッチ]
2017年2月11日(土祝) キックオフ:14:00 (開門10:00 前座試合11:00)


J1優勝した鹿島に対し気魄ある試合を展開することを期待。

  1. 2017/01/27(金) 05:44:24|
  2. 水戸ホリーホック
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笠原水道・龍の道ウォーキング@水戸マニアの会外伝

笠原水道・龍の道ウォーキング@水戸マニアの会外伝

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上水道としては日本国内で18番目に古いと言われる笠原水道。
明治時代までは使われていたらしい。

水源池には神社や碑もあり、何度か訪れてはいるが途中はどのような経路なのか、まるで分らなかった。
水戸マニアの会が主催する「笠原水道・龍の道ウォーキング」が1月22日(日)に開催されることを知り申し込んだところ定員30名、ギリギリで参加出来することが出来た。

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午前9時半、笠原水源も守り神「水戸神社」の階段下から出発。
「龍頭栓」下市地区で使用されていたものを移築して設置。


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中央は井戸と水のプロ西原さん。左は会長の 山口晃平さん。
NHKの取材が有りましたが、稀勢の里の優勝で、翌日の県域放送で紹介されました。

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彰考館総裁を務めた藤田幽谷撰文の「浴徳泉記」の碑。
文政9年(1826)5月建立。


地質学のプロ西原さんと茨大の天野先生のすばらしい解説。

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逆川沿い崖線に敷設された岩樋を辿りながら。

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大正時代の地図。建設時と変わらない。

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現在の地図。駅南開発などで崖を崩し湿地を埋め立てたのでかなり変わった。

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出土した岩樋の前で西原昇治さんの説明。
岩樋は通水路と思っていたが、崖から湧き出た地下水を集めながら流す構造。
従って、完全にふさがれていない。
切り出した水成岩の大きさは約30キロ、人が運べる重さ。
30㎝×60㎝位、厚さは10㎝位か。
切り出した穴が、常磐線の線路際に残されているが、そこから船で運び出したのであろう。穴の深さは数十mに達するらしい。
今では、その穴に天然記念物の「光り藻」が繁殖している。

別な場所に設置された模造品は石質や形状がまるで異なるものとか。
早急に撤去して本物を展示すべきだろう。

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笠原水道の素晴らしいところは僅かな高低差なのに、「水戸層」と呼ばれる地層に沿って地下水が流れ、湧き出す。其の湧水を集めて供給している点だ。

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地層が顕われている場所で、茨大の天野先生と西原さんの説明。
水戸の台地は12万年前に出来た。2万年前頃に現在の地形に。
6千年前の縄文海進の際の水位は今より6m位高かった。
(この年代については記憶で、不確実ゆえに後日訂正します)

豊富な湧水を確認できる場所は何か所も在った。

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ここは民家の裏、きれいな水を利用し山葵とクレソンを栽培。

藤柄町を通って今回の一応の終点・備前堀の「魂銷橋」に。
ここから下市地区5千人に水が供給された。

この後「武隈市民センター」に移動し水源の水を使用した「焼鳥バッパ」特製の豚汁を賞味。

天気にも恵まれ、素晴らしい講師の話を実証しながらの「龍の道ウォーキング」
素晴らしい一日に感謝です。

●笠原水道

2代藩主徳川光圀は藩主就任直後の寛文2年(1663)町奉行望月恒隆に下市の水不足に対処するための水道設置を命じた。
調査に当たった平賀保秀は笠原を水源地に選び、工事は永田勘衛門が担当した。笠原から逆川に沿い藤柄町まで岩樋を用いた暗渠を作り、備前堀を銅樋で渡して市街に入り、細谷まで全長約10kmの水道が翌年完成した。
*工期約1年は驚異的な速さらしい。工区を分割して一斉に進行したのであろうと云う西原さんの見解。
  1. 2017/01/23(月) 23:17:41|
  2. イヴェント
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稀勢の里が優勝、横綱昇進が確実に

稀勢の里が優勝、横綱昇進が確実に

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大関稀勢の里は22日の大相撲初場所千秋楽で横綱白鵬に勝って14勝1敗の好成績で優勝し、横綱昇進が確実になった。
横綱誕生となれば1998年の3代目若乃花以来で19年ぶりに日本出身の横綱ということになる。外国㔟が多い大相撲界の転期になるかもしれない。

中学校の卒業式を待たずに入門、17歳9カ月で新十両、18歳3カ月で新入幕と、貴乃花に次ぐスピード出世を果たし、将来を嘱望されながらあと一歩のところで足踏み状態が続き、30歳の節目の年にようやく大願成就となった。

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国技館で観戦していたご両親の心はいかに。

茨城県出身の横綱は江戸期の稲妻雷五郎(第7代横綱、現稲敷市出身)、明治・大正期の常陸山谷右衛門(第19代横綱、水戸市出身)、昭和期の男女ノ川登三(第34代横綱、現つくば市出身)の3人。
男女ノ川が横綱を務めたのは1936年から42年までで、以来、本県出身の横綱は出ていない。75年ぶりの快挙だ。

私の子供の頃は娯楽が無い時代で、大相撲中継のラジオ放送は楽しみだった。
表で遊んでいる時間帯なので、八百屋の店先から聞こえる中継を聞いた。
那珂湊出身の大関・大内山(1926-1985)が活躍していた時代、力士の紹介は尺貫法、何尺何寸、何貫目であったから、隔世の感がある。

その後、白黒テレビ・カラーテレビの時代となり、水戸泉・武双山・雅山など未来の大器と期待されながら、横綱に手が届かなかったから、今回は夢のようだ。

遅咲きの優勝と横綱昇進だが、真価が問われるのはこれからである。
白鵬の力に陰りが見え始め、存在感を持つ力士の登場が必要だが、稀勢の里がその任を担って名横綱と呼ばれるように大成することを願う。


  1. 2017/01/23(月) 18:18:44|
  2. スポーツ
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プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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