よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

渡岸寺の十一面観音@長浜市高月町渡岸寺

渡岸寺の十一面観音@長浜市高月町渡岸寺
湖北の観音様を訪ねる 其の6


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今回の旅の目的は「渡岸寺の十一面観音」を拝すること。
その他も、ほとんどが集落で守っているお堂が多く、拝観しようと思ったら事前に予約しなければないところ多い。
お寺と言うより地域の「観音堂」等で大切に守られことにより「観音の里」と呼ばれるようになった、その風土を幾分でも理解すること。

白洲正子『十一面観音巡礼』湖北は早春の雪に埋もれ、稲を掛ける稲架”の風景写真が印象的。
正反対の8月下旬、琵琶湖畔の早場米地帯は既に一部は黄金色で、既に刈り取られた田圃もある。
現在は刈り入れと同時にモミにしてしまうから、「オダガケ」の必要はなく、稲架けの柱も使われないのはいささか寂しい。

渡岸寺1

「渡岸寺(向源寺)十一面観音」
「渡岸寺」というのは集落の名前で、集落の人達によって観音堂に祀られ伝わってきた。国宝指定を受ける際に所属するお寺が必要で、近所の「向源寺」所蔵にしたことで、渡岸寺(向源寺)とややこしい呼ばれ方をする。

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この日は夏休み中と云う事もあろう、地域の子供達による「冷たい飲み物」の接待所が在った。
子供の時から、この様なことを通して観音様と共存していることが良く判る。

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この観音堂の脇に10年前頃に新たな収蔵庫が出来た。

現在はそこに祀られているが、以前に比べかなり広く、木の柵で囲われたている。一回りして後姿まで拝観することが出来る。
月末に近い月曜日とあって、拝観者も多くはなく心行くまで眺めることが出来た。とはいえ、お姿なりを気の利いた表現で述べられないのは残念だが、心に留め置くことは出来た。

戦国時代、浅井・織田両軍の戦いで堂宇は焼失したが、本尊の十一面観音立像は土中に埋められて災禍を免れた、と伝えられる

高さ1.95m、平安初期の一木造。
身体を捻り右足を軽く

渡岸寺2

後姿を含めて秀麗且つ官能的。

渡岸寺3

頭上の十一面、細心の工夫がなされている。

渡岸寺4

暴悪大笑相(ぼうばくだいしょうめん)の薄気味悪い笑いは強烈な印象が。

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井上靖の『星と祭』や水上勉の『湖の琴』、にも描かれている。


国宝の十一面観音像は、日本全国に七体ある。
•室生寺(奈良)•法華寺(奈良)•聖林寺(奈良)•道明寺(大阪)•観音寺(京都)•六波羅蜜寺(京都)•向源寺(滋賀)。
道明寺•観音寺•六波羅蜜寺の3体は拝観していない。

  1. 2016/08/31(水) 17:24:15|
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「国友鉄砲の里資料館」@長浜市国友町

「国友鉄砲の里資料館」@長浜市国友町
湖北の観音様を訪ねる 其の5


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長浜の観光地図に「国友鉄砲の里資料館」というのが、面白そうだから行ってみようと。

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昭和55年(1980)、自治会の姉川リゾートリバー計画に端を発して、草の根の労働奉仕活動が発端で昭和62年(1987)にはこうした国友の歴史を伝える核として「国友鉄砲の里資料館」が開館した。という稀なる博物館だ。
先ず1階で歴史をDVDで鑑賞。
江州國友(滋賀県長浜市)は古くから刀鍛冶が有名な土地だった。
1544年(天文13年)種子島に伝わった鉄砲を知った将軍足利義晴が鍛冶氏國友善兵衛に鉄砲の製作を依頼したのが、國友鉄砲鍛冶の始まり。

1560年(永禄3年)、桶狭間の戦いで、織田信長は日本で初の鉄砲を使用した戦を行った。これは國友鉄砲鍛冶の製作で、火縄銃ブランドの地位を確立した國友鉄砲衆は、信長の下で量産体制に入った。

信長亡き後も豊臣秀吉、徳川家康の庇護のもと成長し、江戸時代には幕府直轄の銃砲製造所となった。
鉄砲の最盛期には、70軒の鍛冶屋と500人を越す職人がいた。

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鉄砲は、銃身を作る「鍛冶師」銃床を作る「台師」と引金や火ばさみ部分(カラクリ)を作る「金具師」の3人(分業)で1挺の鉄砲が出来る。また、彼らは、年寄・年寄脇・平鍛冶と組織をつくり大量の鉄砲の注文に対応した。

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鉄砲は口径によって細筒(小筒)・中筒・大筒・短筒・脇差鉄砲等幕末まで制作し、現存する火縄銃の大半は江戸時代中期から後期のもの。
見たことも無いような、大きく重いものもある。

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火薬入れ、弾丸、等の付属品も展示されている。

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国友の鉄砲鍛冶は全国に広がった。
常陸の国の水戸・笠間・土浦にも。
水戸や笠間の「坂場」はその末裔。

「戦(いくさ)」のなくなった「江戸時代後期」は「金工彫刻」「花火」へと「事業形態」の変更を余儀なくされた。

茶室の灯具に使われる「短檠(たんけい)」

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徳川斉昭が編纂した「諸物会要」に灯具の「ねずみ 短檠」があり、国友一貫斎が納入した。現物が失われその図を基に復元された。との説明。
思わぬところで水戸の話。
旅は予定以外に楽しいことに巡り合う。

追記・稲葉 寿郎さんからのコメント。
●国友家には水戸家が請うて分家があり水府系纂に国友家の名があります。
国友家は水戸家鉄砲指南役です。この水戸国友家に師事した宮田栄助がはじめた宮田製銃所は現在のミヤタサイクルにつながります。
●鉄砲衆集団として活躍した雑賀衆の棟梁の後裔・鈴木孫一がその後水戸家に仕えて重臣となったことも、きわめて重要なことですね。
なぜ水戸家に鉄砲に縁ある二つの家を預けたのかが理由が知りたいところです。鈴木家は諸生派だったために幕末悲惨な末路をたどり、本家筋は水戸を離れざるを得ませんでした。
●慶喜公の最側近として原市之進と並び称せられた水戸藩士梅沢孫太郎も水戸国友家出身。鉄砲だけでなく、儒学者もでて国友尚克は弘道館教授頭取代になって常磐共有墓地にお墓があります。
分家の国友家は鉄砲鍛冶を越えて水戸藩にかなり定着しています


  1. 2016/08/31(水) 07:14:40|
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安土城跡@近江八幡市安土町下豊浦

安土城跡@近江八幡市安土町下豊浦
湖北の観音様を訪ねる 其の4


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安土城は織田信長(1534-1582)が天下統一の拠点とした城で、天正4年(1576年)から約3年の歳月をかけ、五層七重の豪華絢爛な城として完成した。
天守内部は吹き抜けとなっていたと言われ、イエズス会の宣教師は「その構造と堅固さ、財宝と華麗さにおいて、ヨーロッパの最も壮大な城に比肩しうるものである」と母国に驚嘆の手紙を送っている。
安土・桃山時代の幕開けとして築城されたが、織田信長が倒れた本能寺の変後、焼失し埋もれた。

平成元年より学術調査と整備事業が行われ、時折、発掘の情報が伝えられる。
天守閣への大手道の石垣。

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1992年(平成4年) セビリア万国博に、「天主指図」を基に復元された安土城天主の一部(5・6階部分)が出展された、こと等々。
(この写真は駐車場脇の待合所に展示された模型)

NHK の特集番組でCGを利用した画面も放送されたこともある。

織田信長という類い稀な強烈な個性の持ち主が造った、朱色・青色・あるいは白色、そして最上層は金色と言う絢爛豪華な城も、残るは石垣のみ。

近江八幡市の郊外、標高199mの安土山の全山丸ごとが城跡。

明治頃までは琵琶湖が城を取り巻いていたが、その後、徐々に干拓され湖は後退してしまった。彦根城や長浜城も同様で、道路や田圃となった面積は可なりに思える。

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上・下の地図を見比べて場一目瞭然だ。

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安土城を400年にわたり管理してきたのが織田信長の菩提寺・臨済宗妙心寺派の摠見寺で、全山全てが摠見寺の寺域。
ここで入場券を買って入山する。

降りてきた女性に上まで登って戻ってくるまで時間を訊くと、1時間以上は必要らしい、
同行の仲間は、上まで行く気はないらしい。
1人で行って、1時間以上待たせるのも申し訳なく、残念だが断念した。
機会を改め、一人でも訪ねてみたい。

大手門址近くに居た、犬を連れた近所の方は「つい最近まで、何もなくて自由に散歩が出来た」と話していた。(調べてみると、2006年9月から城跡への有料入場になった)

その頃から発掘・復元が始まったのだろう。

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あちこちに石垣が散見できる。

  1. 2016/08/30(火) 19:12:41|
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ウィリアム・メレル・ヴォーリズ@近江八幡市

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ@近江八幡市
湖北の観音様を訪ねる 其の3


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比叡山のほんの一部を拝観しただけで奥比叡ドライブウェイを堅田方面に。
琵琶湖大橋を渡ると間もなく「佐川美術館」が在る。
昨年9月に訪れ、水面下の展示室に感激したので、再訪と思ったがこの日は月曜で休館日なので先を急ぐ。
琵琶湖畔を大津から湖北まで通じる道を「さざなみ街道」と呼んでいる。
この道路は戦後、びわ湖を干拓し新田開発したように見えた。

30分位走って近江八幡への分岐点。
近江八幡は近江商人のふるさと。

商人屋敷の建物が残っている一角に市営の駐車場。

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駐車場の近くの「新町通り」3人揃って記念撮影。

文化財指定の大店や「重要伝統的建築群保存地区」もあったが、写真はなし。

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八幡山のふもとの「八幡堀」
豊臣秀次が琵琶湖往来の荷船を寄港させるために整えた。
近江商人の守護神「日牟禮八幡宮」はすぐ近く。

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「白雲館」は明治10年に八幡東学校として建てられた擬洋風建築物。
近江商人の子弟のための学校だった。現在、1階は観光案内所。

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近江商人の主力商品のひとつは「蚊帳」(かや・見かける機会は少ないが、懐かしい)今でも商っている店があった。

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ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964)像

ヴォーリズは明治38年に八幡商業高等学校の英語教師として来日し、昭和39年に83歳の生涯を終えるまで彼は近江八幡市に留まり、キリスト教の伝道とその主義に基づく社会教育、出版、医療、学校教育などの社会貢献活動を続けた。

これらの事業を経済的に支えるべく多くの人々と力を合わせ、建築設計会社やメンソレータム(現メンターム)で知られる製薬会社・近江兄弟社などの企業活動を展開した。
生涯、個人資産を持たなかったヴォーリズの精神は、今の近江八幡市に脈々と流れ、全国の個人や団体に影響を与えた。
我が家の前の「フレンド教会・小友幼稚園」も幾らかの関連があるらしい。

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本社ビル1階に「メンターム資料館」

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旧八幡郵便局
ウィリアム・メレル・ヴォーリズの作品で大正10年(1921)建築。
スパニッシュと和風の町屋造りを折衷した、個性的なデザイン。

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ヴォーリズ記念館
旧ヴォーリズ邸を記念館として開放しているが、月曜は休館だった。


  1. 2016/08/29(月) 23:09:05|
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比叡山・延曆寺@滋賀県大津市

比叡山・延曆寺@滋賀県大津市
湖北の観音様を訪ねる 其の2


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四条烏丸のホテルの前でFさんをピックアップ、琵琶湖周遊の旅に出発。
Fさんの希望で比叡山に行くことに。
この旅は2泊のホテルはFさんの奥様が予約してくれたこと以外は時に応じて気楽に決める。

比叡山ドライブウェイで“延曆寺”に向かう。

ドライブウェイを登ると、稜線からは京都市内が望める。

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御所の敷地の緑は広大だ。

比叡山は平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれたのは平安京の「北の守り」を担っていた。

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東側に琵琶湖と大津の市街。
標高848mの比叡山全域を境内とするが、行政区域は京都ではなく滋賀県大津市。

「延暦寺」は単独の堂宇の名称ではなく、比叡山の山上から東麓にかけて位置する東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)などの区域(これらを総称して「三塔十六谷」と称する)に所在する150ほどの堂塔の総称。

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東塔(とうどう)
延暦寺発祥の地であり、本堂にあたる根本中堂を中心とする区域。
今度で3回目だが、このエリアのみ。
何れの機会にもう少し広い範囲を歩いてみたい。

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西塔(さいとう)
釈迦堂を中心とした地域。鸞聖人等も修行した。

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横川(よかわ)
四季講堂(元三大師堂)や日蓮上人修行の地。

東塔(とうどう)の大講堂・国宝館・根本中堂を拝観しただけだったが、ここだけの方が大多数だろう。

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国宝殿
延暦寺の国宝・重要文化財などの収蔵・展示室。
季節ごとに展示替えもある。
これでもか、と言うほどあるが、良く分からず。

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根本中堂(国宝)は最澄が建立した一乗止観院の後身。
現在の建物は織田信長焼き討ちの後、寛永19年(1642年)に徳川家光によって再建された。(国宝)
入母屋造で幅37.6メートル、奥行23.9メートル、屋根高24.2メートルの大建築である。
土間の内陣は外陣より床が3メートルも低い、独特の構造に驚いた。
観光客も少なく、僧侶がお経をあげている姿をじっくりと拝見が出来、いささか身が引き締まった思い。

  1. 2016/08/29(月) 14:55:06|
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湖北の観音様を訪ねる 其の1

湖北の観音様を訪ねる 其の1

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東京藝術大学大学美術館で7月5日-~8月7日に開催された「観音の里の祈りとくらし展Ⅱ-びわ湖・長浜のホトケたち-」を観て、びわ湖・長浜の「観音の里」を訪ねたいと思った。展覧会場の仏様は、明るい照明の下で良く観ることは出来たが、多くの仏様は土地の人達によってお寺と言うより地域の「観音堂」等で大切に守られたものが多く、その風土を体験したいと思ったからだ。
会場の入り口で「長浜・観音の里」のパンフレットが配布され、市役所の観光課の方も会場に居られた。

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白洲正子の『十一面観音巡礼』(昭和50年・新潮社)の「湖北の旅」に渡岸寺の「十一面観音」が紹介されてある。『芸術新潮』に連載されたものが纏められ単行本となった。その頃(1975年)に友人3人と渡岸寺の辺りから小浜まで旅した。


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渡岸寺を始め羽賀寺の十一面観音など、多くの観音像との出会いに感激したのに、詳しくは憶えていない。


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今回は、近江八幡~安土城址~彦根~長浜~木ノ本~菅浦、更には竹生島などを予定したが、主に長浜市に属する。更には、湖西線沿いに大津まで。琵琶湖を一回り、びわ湖の周りは全て滋賀県だ。

中・高校時代からの友人で、大阪在住のTさんと横浜在住のFさんに一緒にどうかと連絡したら、両氏とも8月下旬ならOKとの返事だ。
僕を含めたこの3人は60年に渡り、関西或いは関東・水戸で毎年とは云わぬが酒を酌み、旅をする、気心の知れた得難い友達である。

青春18切符で大阪に。

僕は21日の早朝4時30分、常磐線の水戸発で新大阪に向かった。
乗り換えること9回、距離は682㌔で「千里中央駅」に4時半着。
約12時間の行程だった。

「青春18切符」を何度か使うとこの位は気楽なものだ、

東海道新幹線の登場以降、多くの路線に新幹線が走るように成り便利になったが、走り抜けるだけでは、旅の風情は感じられない、と思うのだが。

千里中央駅でTさんと待ち合わせ、この日は彼の家に泊めて頂く。

横浜のFさんから「台風11号の影響を心配し、京都に入りました」と連絡がある。明日は東海道線に影響がありそうと、当初、明日の9時頃に大津駅で待ち合わせを繰り上げたのだ。翌日9時半頃に京都のホテルに迎えに行くことにする。

再会を祝し乾杯し、早めにやすむことに。
  1. 2016/08/28(日) 20:32:13|
  2. 旅行
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8月28日(日)@水戸芸術館

8月28日(日)@水戸芸術館

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南米初開催となるリオデジャネイロのオリンピックで日本人選手の大活躍と感動の名場面でいささか寝不足の毎日だった。
青春18切符を使用してのホーリホックの松本遠征の応援は引き分け、翌日は甲府に移動し観光。
14日は18切符での千葉から東京へ。
21日から25日まで琵琶湖周遊の旅、と水戸にいる時間が少なかった。
さすがに夏の暑さの疲れもあって26日と27日は家でだらだら。

今日は曇り空で涼しくもあり、水戸芸術館に。

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入り口に「24時間テレビ」のテントが。
この様な番組のあり方に、いささか疑問も感じる。

「記憶の円環|榮榮&映里と袁廣鳴の映像表現」展

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7月23日[土]~ 9月19日[月]は東アジアの写真と映像で過去から現在を観る展覧会だが、映像による表現は一目して分からないのでどうも苦手だ。

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1階の「サザコヒー」で休憩。
この様な公共施設のレストランなどは採算が取れないので出店・撤退の繰り返しになるが「サザ」の義侠心に拠る営業に感謝。

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広場のステージでは「24時間テレビ」関連、或いは関係なしかダンスの練習などが行われていた。

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藝術館の道路の向かいのケーキ屋さんでシュークリームを。
ここは、何時もシュークリームが100円。
ついつい買ってしまう。

明日辺りは「迷走の大型台風10号」が関東に上陸の恐れ、無事であることを願う。

  1. 2016/08/28(日) 14:19:47|
  2. 水戸
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Danny's Bar@「TIKI BAR TOKYO」

Danny's Bar@「TIKI BAR TOKYO」

新丸ビル7階(marunouchi)HOUSE内 「TIKI BAR TOKYO」で2016年8月10日(水)~14日(日) 17時~23時に開催された「Danny's Bar~東京の夜は世界でいちばん美しい~」はーテンダー歴40年の伝説的人物“デニー愛川”のライフヒストリーブック(倉石綾子/著)の出版記念イベント。
14日の最終日、17時の開店と同時に入店した。

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カウンターの中にパナマ帽を被った方がデニー愛川さんのようだ。

アッシュ 青木岳明さんのFBでこのイベントを知り、門外漢であるが参加した旨を説明したら「そうですか、有り難う御座います、ゆっくりどうぞ」と優しく答えてくれた。気難しい方を想像していたのでほっとした。

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「何になさいますか」とのことだが、デニーさんが長年開発に携わった“梅リキュール「星子」”を味わいたく一番シンプルな「星子ミスト」を注文。

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クラッシュアイスに「星子」注いだだけ。
2本の細いストローが添えられているがこのストローもデニーさん考案によるものが一般化したようだ。

梅酒でなく“梅リキュール「星子」”と拘る意味が分かる。
普通の梅酒とはまるで異なる味、酒造会社と何年にもわたる試行錯誤の上に完成したという。

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発売されたばかりの「ライフヒストリーブック(倉石綾子/著)」がカウンターの横に積まれているのを購入しサインをして頂く。

評伝の類だが写真入りでかなりお洒落な本。

著者の倉石綾子さんがまとめたが、多くの方のインタビューなどもあって、時代背景が良く判る。
とはいえ、1970年代頃からの東京のナイトシーン『GOLDの上のラウンジ、LOVE &SEXとか、ハーレー乗りが集まってバイク・コミュニティを築いたSTAR BANKとか、そしてもちろんビートニクス好きにはたまらないhowl』とかは僕には無縁の世界だから、なるほど、と思うほかはない。
ざっとめくって、帰途の電車で読むことにして、お話しを伺う。

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脇に大判の写真集「Trippin' / Danny Aikawa」(2016年4月発売・¥6,800)も置かれてある。
1990年に愛車のハーレーと共にサウスダコタ州スタージスを目指した記録写真集。世界中のバイカーの祭典「ブラックヒルズクラシック 50周年(現スタージスモーターサイクルラリー)」への90日間におよぶ ロードトリップ。
26年の時を経ての出版とのこと、息の長い話だ。

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壁面に映画「Barfly(バーフライ)」のポスターが貼られている。
ミッキー・ロークとフェイ・ダナウェイが主演の 1987年のアメリカ映画。

バーに集う人間模様が描かれている物語にインスピレーションを得て作ったカクテルが映画の題名と同じ「Barfly(バーフライ)」もメニューにあるので、これを注文することに。

次に、「ジン・トニック」も注文してあったので、それを飲み次第と云う事にして更に話を伺う。

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話の合間に、記念写真を写させて頂いた。

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「Barfly(バーフライ)」はウオッカがベースらしく、かなり強そうなので
ゆっくりと飲んだ。

小1時間余りではあったが楽しい時間だった。

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外は既にタイトルの如く「Danny's Bar~東京の夜は世界でいちばん美しい~」東京駅の夜景、素晴らしい時間をすごすことが出来た。

  1. 2016/08/27(土) 18:00:29|
  2. バー
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プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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