よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

茶道具「かわかみ」@水戸市大工町かわかみビル地下1F

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茶道具「かわかみ」@水戸市大工町かわかみビル地下1F


水戸市大工町と云えば県都の歓楽街として賑わった。
往時の活気を取り戻そうと、陶器の老舗「かわかみ」がリニアール。


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1階に昭和の雰囲気漂う飲食店街「みと楽横丁」が16日にオープン。
串揚げ、ラーメン、鉄板焼き等八つの飲食店が並び、横丁発案者は「若い人や女性­が気軽に立ち寄れるような横丁にしたい」と報じられた。

どの様な処と覗きに行ったが、当然と云えば当然、夕方からの営業で入れず。

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地下に通じるラセン階段の所に「茶道具・かわかみ」の看板を発見。
改装前の川上陶器2階の奥は茶道具売り場だった。
水戸にも茶道具を扱う店は何軒かあるが、ここは水戸で一番と思っていた。
お茶を嗜むわけでは無いが、興味はある。

今回、地下に移転して茶道具専門店になった。
話題としては1階の飲食街かもしれないが、取り上げるべきは、ここだろう、と思った。

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2階の茶室も移築されている。

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茶碗・釜・水差し等全ての茶道具が並んでいる。
水戸が金沢のように「茶道」の盛んな街とは思わないが「水戸石州流」の地であることは確か。お茶に親しむ街でありたい。
  1. 2015/01/31(土) 22:27:49|
  2. 水戸
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旧水戸城、本丸・二の丸・三の丸

旧水戸城、本丸・二の丸・三の丸

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弘道館前から大手橋を望む。
幕末まで「大手門」が在った。
復元事業が計画されているようで、実現すれば、弘道館正庁前の門と対を成す存在になるだろう。

第119回「水戸の梅まつり」が2月20日(金)から開催される。
偕楽園・弘道館には約3000本の梅の樹が植えられている。
1月31日現在、開花しているのは61本・開花率2,2%(水戸市観光協会)とのことだ。

「探梅」と云う言葉があるが、咲き初めた花を探すのが梅の味わい、と云う面がある。桜は咲きそろった姿を愛でるが、梅は古木1本、1輪の花が良い。
その様な観点から梅まつりを10日位早めては、と考え関係者などに働きかけているが「観光客は、満開の姿を期待しますから」とのことで実現しない。

偕楽園・弘道館のどちらにも早咲きから遅咲きまで、各種揃っているから、宣伝の方法によると思うのだが。
更に季節が早まる傾向にあり、近ごろは3月下旬になると桜が咲き出す。

梅見客の大方は「偕楽園」を目指すが、僕のお勧めは「弘道館」を含めた三の丸地区。

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改築された水戸市立第二中学校から茨城県立水戸第一に向かう道の二中側には築地塀が造られ、付属小・茨城県立水戸第三高等学校側にも建設中。

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本城橋を渡れば、水戸一高。
佐竹氏時代の建築と云われる「薬医門」が移築されてある。

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南西の隅の土塁に月見櫓が幕末まで在った。

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水戸三校の下から、ほぼ同じ場所を望む。
この角地に、東日本大震災の時まで「武石浩玻像」が建っていた。

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梅祭りの時期に間に合わず、5月頃に完成らしいが、水戸ニ中から水戸三校にかけて斜面を石垣風にする工事も進行中。

完成すれば、築地塀と合わせ城址らしい景観になる。

二の丸の大手門と隅櫓は水戸市の手で再建される、との話はある。
「月見櫓」の再建は茨城県と水戸一高の協力次第で夢物語とも言えない。
とも言えるが、財政状況が良くない折、優先順位としては厳しいか。

  1. 2015/01/31(土) 20:48:20|
  2. 水戸
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武石浩玻展「憧れの空に」@水戸市立博物館

武石浩玻展「憧れの空に」@水戸市立博物館
2月14日(日)~3月22日(日)


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明日は、関東地方の平野部でも雪が降るかも、との天気予報。
春に向けて天候が不安定な時期、先駆けの梅の花がほころび始める。
梅祭りにお出で下さる皆様に、歓迎のイベントが組まれる。

水戸市立博物館では「あこがれの空へ 民間パイロットの先駆け・武石浩玻」展が開催される。
今から102年前、空を飛ぶことへの憧れを実践した武石浩玻(1884-1913)もその一人。

水戸中学校(現・水戸一高)を卒業後1903年に渡米。
カーチス飛行学校で操縦技術を学び、わずか3か月で卒業。
在留邦人の援助を得て飛行機を購入して帰国。
日本の航空界の黎明期に民間パイロットとして名をあげた。

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しかし、1913年5月飛行会最終日「都市連絡飛行」において、着陸寸前に墜落28歳の生涯を閉じた。
1903年にライト兄弟が飛行機を発明してから10年後の出来事だった。

没後間もなく、水戸中学校長・菊地謙二郎らが発起人となって記念碑建設募金活動が行われた。7月に建碑費二千円が集まり、12月には水戸中学の西端、旧水戸城址・月見櫓跡の土塁の上に飛行服姿の銅像が建立された。

第二次大戦中は多くの銅像や梵鐘など金属製品の回収が行われたにも拘らず供出を免れた。飛行操縦士の像と云うことなのだろうが、まれな例だ。

水戸中学・水戸一高生に親しまれた「武石浩玻像」
この像を見れば、卒業生の多くは何らかの思いが連想される。

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100年以上も同じ場所に立ち続けたが、2011年3月11日の東日本大震災の際に倒壊した.今では跡地に立ち入る人は少ない。
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2011年10月、校舎前に移築された。

2月14日(日)から水戸市立博物館開催される「あこがれの空へ 民間パイロットの先駆け・武石浩玻」展。
どの様な展示内容になるか、心待ちにしている。
  1. 2015/01/29(木) 22:44:50|
  2. 博物館
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児島虎次郎記念館・オリエント室@倉敷アイビースクエア

児島虎次郎記念館・オリエント室@倉敷アイビースクエア

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大原美術館は想像以上の広さと広範囲なコレクションであったが、倉敷アイビースクエア内の「児島虎次郎記念館」内の「オリエント室」にも驚いた。

倉敷アイビースクエアは1889年(明治22年)に建設された倉敷紡績創業の旧工場で、1973年(昭和48年)に改修され、観光施設として再生された。
児島虎次郎記念館はその一部で、大原美術館の共通券で入場できる。


児島虎次郎(1881年– 1929年)は、1902年(明治35年)東京美術学校(現在の東京芸術大学)西洋画科選科に入学。
倉敷の実業家大原家の奨学生となる。のち、大原家当主となった1歳年上の大原孫三郎とは生涯親交を持ち、経済的援助を受け続けた。

かねてよりわが国には本格的な西洋絵画のコレクションや美術館がなく、西洋画を学ぶ人たちにとって極めて不便な状況であることを残念に思っていた児島は、その収集を孫三郎に進言する。

その結果、自身の留学と絵画買い付けのため数度ヨーロッパに渡りモネ、エル・グレコ、ゴーギャン、ロダンなどの作品を購入した。
その行きと帰りにエジプトに立ち寄りカイロ、ギザのピラミッドなどを訪れ、非常に感銘を受けた。1923年3月の復路では、カイロ、ギザのほかルクソールなどにも訪れている。 この時、児島は骨董店などをめぐり、エジプト古美術を収集した。
「児島虎次郎記念館・オリエント室」には、この時に購入されたエジプト・オリエント美術のコレクションが展示されていた。
現在は、世界中の国が文化財の持ち出しが禁止されている。

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女神イシス、または女神ネフティス。木製・金彩:高さ34,5㎝。
プトレマイオス期(紀元前304年-紀元前30年)

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猫・ブロンズ 高さ17㎝ エジプトファラオ時代の末期(紀元前663-525)

当時は、その様な状態でなかったから、購入した大量の品々を持ち出すことが出来た。
この収集品が後の大原美術館建設の礎を築いたが、児島虎次郎が将来した古代エジプトやペルシアの古物は当事国内最大のコレクション。
蒐集品から児島虎次郎の卓越した審美眼と学術的先見性が窺える。

素晴らしいコレクションだが、展示室内の照明や展示の什器等改良すべき点を感じたが、予算の面等で致し方ないのかもしれない。

とは言え、100年近く前に西欧の近代美術、中近東・エジプト美術、中国美術などに対する炯眼に驚くほかない。
  1. 2015/01/29(木) 10:16:35|
  2. 美術館
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佐伯祐三アトリエ記念館@新宿区中落合

佐伯祐三アトリエ記念館@新宿区中落合

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訪ねたのは12月9日、イチョウの大木が黄葉していた。

20代の頃はフランスに憧れた。パリを描いたユトリロやモジリアニに漠然とした興味を感じた。
物心がついてからアメリカ的な生活の願望は強かったが、文化はヨーロッパのほうが勝っていたように感じていた。

日本人では佐伯祐三(1898-1928)の描く、ポスターが貼り尽されたパリの街角、近郊の村落や教会、など荒々しいタッチで書きなぐった、古き良き巴里を偲べる画面と30歳と云う若さでパリに客死したという夭折の画家の印象などから別格の存在に思っていた。
ほぼ同じ年代に活躍した中村彝と佐伯祐三。
佐伯が中村に私淑したことによるらしいが両者のアトリエは近い距離にある。
当時の下落合は郊外の農村地帯で、住宅地となった現在も農道がそのまま残された感がする。
「佐伯祐三アトリエ記念館」は袋小路の突き当りで、近くまで行きながら見い出せない程、細い路地裏。

佐伯祐三は明治31年(1898)大阪の浄土真宗光徳寺の二男として生まれた。
大正7年(1918)東京美術学校洋画科入学。
大正9年(1920)東京銀座の象牙商の娘、池田米子と結婚。
大正10年(1921)アトリエが完成、私淑した中村彝のアトリエが近くに在ったのが、この地を選んだ動機らしい。
大正12年(1923)に家族と共に神戸港からパリに出発。
大正15年(1926)健康状態がすぐれず、帰国し下落合の自宅・アトリエに戻る。
日本の風景などを描くが飽きたらず、昭和2年、病身をおし家族3人で再度フランスに渡る。
再び訪れたパリでは以前にも増して制作に熱中し、厳冬期でも
一日中戸外で描き続ける日を重ねた。

昭和3年(1928)8月死去、間もなく娘も6歳で病死。10月に妻・米子は
2人の遺骨を抱えて帰国、大阪の実家光徳寺に埋葬された。

妻の米子は昭和47年(1972)10月に死去(享年75歳)するまで、自ら画家としても活動し、このアトリエ兼住居で暮らした。

没後、この地は昭和50年(1975)建物を撤去し「新宿区立佐伯公園」として開放されていたが、平成22年(2010)4月当時の設計図を基に一部を復元「佐伯祐三アトリエ記念館」として開館した。

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ライフマスク。

写真パネル、「下落合風景」の写真展示、佐伯が描いた地点と考える所の現在の写真、略歴・年譜など展示されているが、若干の物足りなさを感じた。
とは言え「土地の記憶・街の記憶」として、この様な復元事業は意義のあることだ。
  1. 2015/01/28(水) 15:36:14|
  2. 人と作品
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「中村屋サロン美術館」@新宿中村屋ビル3階

「中村屋サロン美術館」@新宿中村屋ビル3階

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新宿駅前の「中村屋」は相馬愛蔵・黒光夫妻によって1901年に創業された老舗。
インドカレーやパンやお菓子の店として知られているが、明治末から昭和初期にかけて多くの芸術家を支援したので多く文化人が集った。
あたかも、ヨーロッパのサロンの様で「中村屋サロン」と呼ばれた。

その様な歴史を秘めていたが、収蔵作品を含めあまり知られる事はなかった。
新宿中村屋本店ビルの新築を契機に3階に「中村屋サロン美術館」をオープンし公開することになった。

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2014年10月29日から2015年2月15日まで「中村屋サロン美術館 開館記念特別展 中村屋サロン―ここで生まれた、ここから生まれた―」が開催されている。

「第1章 中村屋サロンの胎動 碌山・穂高~海外時代」
創業者・愛蔵の同郷で、中村屋サロンに最も影響を与えた荻原守衛(碌山)の留学時代に焦点を当てた。
守衛は、22歳でニューヨークへ渡り、その後フランス、イタリア、エジプトへと足を運び、のちのサロン仲間となる戸張弧雁や柳敬助、高村光太郎と出会った。画家であった守衛は、ロダンの「考える人」に衝撃を受け、彫刻家へと転向。守衛の彫刻作品の他、彼に影響を受けた友人たちの作品が並ぶ。

「第2章 中村屋サロンの躍動 碌山・新宿時代~」
守衛が中村屋サロンで、友人の芸術家たちと交流を深めた時代の作品が並ぶ。
中原悌二郎をはじめとする、サロンに出入りした仲間達の作品。
守衛が急逝した後のサロンの中心となった水戸出身の中村彝の作品が9件。
第八回文展三等賞を受賞した「小女」も展示。
鶴田吾郎が彝と競作した「盲目のエロシェンコ」も出品されているが、アトリエで反対方向から描いたので、顔の向きが異なるのは興味深い。

この展覧会を観て後、落合の「中村彝アトリエ記念館」に行った。
どちらを先に観るかはともかく、両者を観ることで、郷土の先人の姿が身近に感じられるようになった。

*今回の記念展は中村屋と碌山美術館(長野県安曇野市穂高)の収蔵品で構成されている。51件のうち株式会社中村屋27件、碌山美術館17件、その他7件。
*碌山美術館は安曇野市穂高生まれの彫刻家・荻原碌山の個人美術館で、彼の作品と資料の蒐集、保存および公開を目的として、1958年4月、安曇野市穂高に開館した。
*30年前頃「松本民芸館」と「碌山美術館」を観るため、松本から安曇野に旅した。その感激は未だに忘れられない。
開館当初の建物はキリスト教の教会堂、或いは山小屋を思わせる小さな建屋に碌山の作品がひっそりと並んでいた。
これに倣って、後藤清一さんの作品を展示する「後藤清一彫塑館」を夢見たが実現には至っていないのが残念だ。

  1. 2015/01/26(月) 23:50:37|
  2. 美術展
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中村彜アトリエ記念館@新宿区下落合

中村彜アトリエ記念館@新宿区下落合

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水戸出身の洋画家・中村彝(1887~1924)は優れた人物画などを遺し、37歳で亡くなった。

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特に盲目のロシアのエスペランティスト、作家、言語学者、教育者をモデルにした『エロシェンコ像』(1920年・東京国立近代美術館蔵・重要文化財)は代表作といえる。
この作品の以前の所有者は春日部市のO氏で、その購入に際し後藤清一さんが相談に預かった。との話を聞いたことがある。

大正5年(1916)に建てられた中村彜のアトリエが修復され「新宿区立中村彝アトリエ記念館」として公開されている。
水戸市千波町、茨城県立近代美術館の敷地内に同じアトリエが再建され公開されているが、オリジナルはこちら。
とは言え、最近まで奇跡的に廃屋で残っていたのを、資料をもとに新宿区が建て替えた。

入館は無料で、自由に観て廻れる。
管理棟(展示室)では、解説パネルで彝の生涯や画業を紹介している。

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このアトリエで亡くなった「彝のデスマスク」(複製、実物は茨城県立近代美術館)このデスマスクの発見は郷土史家・網代茂の手による)

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アトリエの床や天井、壁の腰板などは当時の建築部材を利用して復元している。

室内には彝の使用したイーゼルや家具・調度品(複製)が展示されている。

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作品や資料写真等は複製だが、生前暮らした場所で見ると、美術館などで見る感じとは異なり、正しくそこに存在している感がある。
  1. 2015/01/26(月) 16:25:40|
  2. 人と作品
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薪ストーブのある「カフェ・ ジュニアボナー」@笠間市大田町364-2

薪ストーブのある「カフェ・ ジュニアボナー」@笠間市大田町364-2

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如何にも冬と感じるような日は、薪ストーブのある部屋の柔らかい暖かさに身を置きたいと思うことがある。
「やきものって何ダ?」展で、「六古窯」と呼ばれる中世の古陶を観ることが出来たので、薪ストーブのある「カフェ・ ジュニアボナー」でコーヒーを飲んでジャズでも聞いて帰ろうとの心だ。

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民家を改造したカフェだが、沢山のレコードとCDコレクションを要している。さらに、オーディオのセットが凝っている。
音が聞こえるだけで良いと思うから、そちらに詳しくはないが、スピーカーやアンプなどが沢山並んでいる様に感心する。

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レコード盤が主体だがCDも流される。
ジャズを旨とはするが、リクエストが有れば拘らない。
客が持ち込んだレコードもかけてくれる気安さがある。

奥様の作る、ご飯やスパゲテーの野菜サラダ付きのセットが廉くて美味しい。

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今回も「ガーリック焼き飯、半熟卵乗せ」


プーポーと豆腐屋のラッパの音が響いた。
この辺りまで「佐白山のとうふ屋」が軽トラで移動販売に来るのだ、とのこと。
急いで飛び出して“青ごぜん”の豆腐を2丁買い求め、お土産に。

  1. 2015/01/25(日) 23:13:24|
  2. 音楽
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UTSU工房ペニーレーン@笠間市手越

UTSU工房ペニーレーン@笠間市手越

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茨城県立陶芸美術館は笠間芸術の森公園の一郭だ。
笠間稲荷を中心とした旧市内が寂れる一方で、芸術の森を囲むエリアは陶芸工房やギャラリー、工芸品店、カフェ・レストランなどが多くなった。

特に、笠間と石岡を結ぶ国道355線は北関東高速道路の岩間ICに繋がるので交通量が増え、手越の辺りはお店が増えている。

JR水戸線と国道が並走する辺りの里山、特に桜の時期は、新緑と山桜が混ぜあった風景で、北山公園を含め僕の大好きな場所だ。

道路に沿う形で洒落た木造の建物がある。
ギター工房とギャラリーカフェが併殺された複合施設。
看板がおとなしいからうっかりすると見逃す。


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中央の入り口を入って右が「ノブズギャラリーカフェ」
2014 年6月7日(土)~15日(日)「にし よしみ 小品展」でお訪ねして以来、「新井倫彦 陶展」2015 1/24(土)~2/1(日)の開催前で休廊だった。

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左の入り口を入れば「こりゃ・なんだ!」と驚きの世界。
ビンテージギター販売&修理「UTSU工房ペニーレーン」
創業は1986年、2005年に笠間に移転するまでは水戸市泉町に在った。

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ギターを弾くことが出来ない僕にとってはチンプンカンプンだが、凄い!と云う事だけは分かる。
この様な専門分野の店が成り立つのが文化的な街、と云うのだろう。
  1. 2015/01/25(日) 21:54:30|
  2. 音楽
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郷戸一行 『てん・せん』@ギャラリーしのざき

郷戸一行 『てん・せん』@ギャラリーしのざき

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今日(1月25日)まで水戸市泉町の「ギャラリーしのざき」で郷戸一行(ごうどかずゆき)no『てん・せん』展が開催された。

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「archetype」 屏風(和紙・箔・墨・胡粉・樹脂膠)

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「感覚」《軸・部分》(和紙・箔・墨・胡粉・樹脂膠)

屏風・掛け軸・パネルなど、何れの作品も、和紙に胡粉を塗り墨で描き、ところどころに箔が置かれているものもある。
技法的には日本画だろうが、そうとも言えない。


「点が連なり線になる。

 私は線を淡々と引き続けることで作品を作っている。
 大まかな全体の流れや動きを決めたのちに線を引く。
 明確な下描きは作らずに、線の行方はその場で決める。
 感情的ではなく、自制的に自身の元型に沿った線を引く。
 そして、その日その時その瞬間の線により画面が増殖していく。

 そこに、時間や生を見る。

 さらにこの線のために舎利を描く。
 舎利は死でありその時間は動かない。

 始まりの点と終わりの点
 そこに線が引かれ、時間や記憶が生まれていく。
 そんなこんなを考えながら制作した作品群の展示です。」


微細な点と線を辿っていると、たしかに、何か連想されてくる。

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石膏の型取りに箔を置き着色した作品も。


水戸京成百貨店の道路を挟んだ古いビルの3階に「ギャラリーしのざき」が開店したのは2011年。
絵画・陶器・ガラス・写真・アクセサリー・木の器など、多彩な展覧会を企画し、生活の中に生きる美を求める姿勢を感じた。

画廊主はひたちなか市に本業をお持ちの方と聞いていた。
お会いした事はないが、家賃を払い店番の人を雇っての経営は難儀であろうと推察し、それでも継続されていることに対し尊敬していた。

店番の方の話によれば「今回の展覧会をもって、いったん休業」と云う事らしい。再開の可能性を秘めているとはいえ、残念だ。

しかし、この約5年間のご努力に対し「有り難う」の感謝の気持ちを捧げたい。

駅前の「スタバ」「松屋」南町の「モスバーガー」「シダックス」など‥、相次いで閉店、或いは閉店予定。

経営者が努力してもどうにもならない時代となった。
とは言え、駅南から千波方面、新県庁舎周辺、或いは赤塚の駅前、内原の「イオンモール」など活気のあるエリアもある。

街も人も成長しやがて消えてゆくのが自然の摂理。
全ては、成行きに任せる以外にはなさそうだ。

  1. 2015/01/25(日) 19:42:38|
  2. 美術展
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プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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