よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

蓮と睡蓮

大賀蓮

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石神井公園の三宝寺池周辺の散策で水戸の県立歴史館の大賀蓮も咲き出したのではなかろうか?と気になった。
大賀蓮は千葉市の2000年前の地層から大賀博士によって発見された古代の蓮。
その後、全国に株分けされて普及した。歴史館の蓮も見事である。
華の寿命は3日間、真夜中から咲き始め、朝5時から8時頃が満開で香りも強い。
とのことだが、その時間帯に観たことはない。

ところで、蓮と睡蓮はどう違うのかを調べてみた。
蓮は花も茎も葉も水面の上だが、睡蓮は葉も花も水面に浮かんだ状態、ということで分りやすい。

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ヒツジグサ

睡蓮の日本原産はヒツジグサ1種のみであとは外来種。
この花は、那珂市の蕎麦や「麦や」で初めて知ったが、白く可憐な花だ。

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アサザ
アサザは水戸植物園の池に沢山植えられているが、黄色でちょっと見ると睡蓮のようにも見える。

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コウホネ
アサザに似た黄色の花だが、葉の形が大幅に違うのがコウホネ。

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三宝寺池の睡蓮

睡蓮は大きさも手頃で、色も多くの種類がある。
タイやバングラデッシュで見た睡蓮は、今も心に焼き付いている。
旅の想い出は、一輪の花でよみがえる。

これからの暑い時期、沼沢植物は愉しい。
千波公園一帯にもう少し水生植物があればと思う。
  1. 2009/06/30(火) 19:56:59|
  2. 山野草
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武蔵関公園

武蔵関公園

石神井公園の性格の異なる二つの池、石神井池と三宝寺池はどちらも野鳥の宝庫だが、そこから4~5キロメートル上流の「武蔵関公園」はこれまた野鳥の多い池らしい。
石神井川沿いに上流を目指す。貸し自転車の利用は、この様な際に誠に有り難い。
夏の陽射しをうけても、自転車なら苦にならない。

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新青梅街道に沿って行くと西武新宿線・武蔵関駅の近くに「武蔵関公園」がある。


古くは多摩、新座、豊島の三郡の境界点で、現在はここまでが練馬区で、隣りは西東京市となる。
石神井川の川幅も大分狭くなっている。湧水池「富士見池」の流れが石神井川と合流する。
池の傍らに「早稲田大学グランド」があり『取材お断り』の張り紙がしてある。
”ハンカチ王子”斉藤選手も練習するグランドなのかもしれぬ。
目隠しが在り、道路から見渡せない作りになっている。

今回はバン、カワセミ、ゴイサギ、コサギ、カイツブリ、ツミ等の野鳥に出会うことが出来た。

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アマチュアカメラマンや愛鳥家にも出会った。何人かの方からは親切に教えて頂いた。
特にカワセミの営巣地点の前は、三脚をたてて待ち構えるカメラマンが10人近い。
皆さん顔なじみらしい。のんびりとシャッターチャンスを待っている。

今回の、石神井川の上流歩き。
いくつかの沼沢の植物や野鳥を観る機会を得て、望外の幸せであった。
美術館用に持ち歩いている単眼鏡がとても役に立ったのも嬉しい。

鳥の羽根の色や草花の色等、どのように描かれても自然の作り出す造型にはかなわない。
動植物、全てはジッと観察するのが最高の贅沢なのかもしれないと思った。

  1. 2009/06/29(月) 20:16:21|
  2. 庭園・公園
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石神井公園

石神井公園

東京の仮住まいは東京都北区王子で、桜の名所飛鳥山と石神井川が近い。
石神井川は程なく隅田川に合流する。
けして綺麗な流れではないが、東京の殆どの河川が暗渠となってしまった中で、川として流れているのは貴重だ。
上流はいかなるところか?先ずは、石神井公園を訪ねることにした。

西武池袋線石神井公園駅の近くに練馬区が運営している駐輪場で自転車を借りることが出来る、
一日借りて百円は安い。


石神井公園は横長に連なる三宝寺池と石神井池の二つの池を中心とした公園。


ボート遊びや魚釣りも出来る石神井池の周辺は、高級住宅地で豪邸や屋敷の一角をレストラン喫茶として営業している家もある。

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公園を含む周辺の区域は、環境や景観を保持するため、風致地区に指定されており、水戸の千波公園に近い雰囲気だ。

道路を挟んだ三宝寺池は武蔵野の自然がよく残されている。
井の頭池や善福寺池と同様武蔵の台地の湧水が池となったが、最近は水量が少なく地下水を汲み上げて放流しているとの説明版があった。
その点、千波湖は那珂川の水を導水しているのだから、もう少し澄んだ湖面にならないのだろうか?

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三宝寺池は水生植物の宝庫らしく岸辺には睡蓮が花盛り、写生する人たちもいる。

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水生植物保護のため、周囲の遊歩道は全て木製だ。

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こちらは、水戸の七つ洞公園に近い感じ。
七つ洞公園も水生植物をもう少し多く植えることや木道の改修をしてもらい。
予算が少ない時代だが、維持管理の費用は不可欠。
新たに何かを作るより、現状を維持することが大切だ。

石神井公園の中で東京都公園協会のパトロール員を見た。

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水戸市の公園協会もこの様なユニホームで公園内の巡回もお願いしたい。
目に見える形での活動は、環境保護の意識も高くなるだろう。

自然保護が行き届いているので、トンボなどの昆虫類やカイツブリなどの野鳥も多いらしい。
バードをッチングをする人たちも見かけた。

水戸市の公園行政、充分とはいえないにしても、良くやっていると思う。
限られた予算の中で不要な出費を抑え、維持管理は充分にして欲しい。
  1. 2009/06/29(月) 12:55:36|
  2. 庭園・公園
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『不思議な魅力ー朝鮮の民画』

『不思議な魅力ー朝鮮の民画』

後藤清一さんの彫刻「薫染」(1941年)がソウルの国立中央博物館に展示されていることを聞いてから、朝鮮に関連する話題に関心を持つ。
「祥雲」の朝鮮の民画展は興味深い作品ばかり、今までの朝鮮の民画の概念を変えさせられた展覧会だ。
中国や韓国の地方を旅すると、何か懐かしさを感じる。日本の源流の一部が未だに流れていると思う。


オリエンタルアート「祥雲」では年に数回『華蔵』(kezou)と題する小冊子を発行している。
vol3の夏号には今回の展覧会に関連し『不思議な魅力ー朝鮮の民画』と題し関隆さんが述べている。


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この度、遠来の美 其の二として“朝鮮の民画展”を開催します。“遠来の美”は、異国で生まれ海を渡り、日本に辿り着いた美術品を対象にしています。朝鮮の民画もそのひとつです。“民画”という言葉は民芸運動の柳宗悦氏が造った言葉であり、民衆から生まれ、民衆に親しまれた絵画を指します。民画については日本民芸館にいくつかの作品が収蔵されておりますが、美術全般を考えた場合にはまだまだ埋もれた美術品とあると言ってよいでしょう。それは民画が名もない人たちによって描かれたことや、多彩な表現があるにもかかわらず一括りされた稚拙な絵画イメージのみが先行したせいかもしれません。
朝鮮の李朝時代の民画は民衆に親しまれたばかりでなく、幅広い階層の人々に愛されました。それらは多くの人の生活に密着した美術だったからです。民画は18世紀、19世紀に主に部屋を飾る屏風のために6枚組もしくは8枚組のえとして描かれ、人々はそれらの屏風を行事ごとに模様替えをしたといわれています。主にそれらを描いた人たちは放浪画家と呼ばれ、国の中心を離れて旅をしながら地方の有力者の家に逗留し、絵を描いていました。
民画の画題は様々ですが、下記にいくつかの代表的な画題について挙げます。

●山水画
伝統的な中国の画題の他、聖地である金剛山図や関東八景図などの朝鮮独特の画題もあります。また朝鮮の風景に中国の瀟湘八景の画題をつけるなど、あまり厳密なこだわりがないのも面白いです。
●虎図
朝鮮には虎に関連した説話が数多くあり、虎を動物の中で最も強いとし、敬ってきました。中国では朝鮮を「虎と話しをする国」として”虎談乃国”と呼んだと伝えられています。朝鮮の人々にとって特別な存在である強い虎が、民画の中ではユーモラスな姿でどこか親しみにあふれた姿に描かれています。虎を当時の権力者に見立てたという説もあります。
●魚図
多くの図は多産と豊穣の象徴として、雄雌対で子供を引き連れて描かれています。また、魚は寝る時も目を開けているので常に過ちを警戒すると信じられとぃました。
●文字図
儒教などの道徳的文字を描くことが多く、孝、悌、忠、信、礼、義、廉、恥の8文字が代表的です。
●花鳥図
鳥を雄雌一対で描き新婚部屋や婚礼の席で使用する屏風に仕立てられました。
自然の移ろいや渡り鳥など、季節の変化を捉えたものも多く描かれました。

*以下は略致しますが『小さな蕾』7月号に、日本民芸館学芸員の尾久彰三氏と関隆さんの対談”パーボ山水は李朝民画の真骨頂”が掲載されているとのことだ。

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「李白」の壁面の民画、神保町時代。

*以前、神田 神保町にあった茶房『李白』が世田谷に移転した。
数年前に訪ねたが、以前の雰囲気を残し、壁面の民画が印象的だった。
  1. 2009/06/25(木) 11:23:19|
  2. 美術展
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朝鮮民画展 

朝鮮民画展 
6月20日(土)-7月5日(日) 11:00~18:00 (月曜休み) 会場 祥雲 1F展示室


関隆,関美香ご夫婦が運営している「ギャラリー祥雲」はユニークな古美術商として注目されている。
6年前にニューヨークにも進出し、日本の古美術の普及に力を尽くしている。
テーマごとの企画展示が特色で、様々な展覧会を良く考えるものだ、と感心する。
日本美術のみではなく、オリエンタルアート(東洋美術全般)を扱っている店だ。
展示会ごとにパンフレットが制作されるが、その内容も良く出来ている。
全てに、気を配っているのが分る。

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今回の展示は「朝鮮の民画」

李朝時代の民画の魅力はなんといっても伸びやかな筆線と自由な構図。
今まで紹介されている「朝鮮の民画」は、類型的なものが多いが、今回の展示品は見たことない作品ばかり。
無邪気な人物や動物の表情など、観ていると愉しく、幸せな気持ちになる。
「半開堂コレクション」とサブタイトルがついているが,どのような人が収集したのか?
珍品の数々を集めた眼力に恐れ入った。
今回の展示は約60点の掛軸を出品されている、とのことだが,スペースの関係で,殆どは巻いたままの状態。
手数をかけることになるので、掛けてある分のみ観て他は写真集で。
また出かければ,別な作品も鑑賞出来そうだ。

独特な絵画の魅力を更に引き立てているのが、表具の素晴らしさ。
掛け軸の魅力は,本体と似合った表具にある。
今回の展示品は全てが小品で表具が良く掛けやすい。
買って手元に置いて眺めたい。と気持ちが動く。
モノは増やさない、と決めてある。値段は聞かずに観るだけ。

会期中にもう一度、出掛けたい。
  1. 2009/06/24(水) 17:13:17|
  2. 美術展
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西ノ谷の小鳥

西ノ谷の小鳥

今年は,西ノ谷の清掃にかける時間がとれなくて、申し訳なく思っている。
草も伸びて,この調子では手に負えなくなると,心配していた。
タイミング良く、水戸市公園課による草刈りが始まったのは「歌留談」さんのブログで知った。

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久しぶりに出かけ,綺麗に手入れされたのを見て安心した。

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芝生の広場は、見たこともない鳥が啄んでいた。

植物ばかりでなく,鳥などまで外来種がふえているのか。
鹿島市在住のBさんは,日本野鳥の会に属して日本中の野鳥を探索している。
お目にかかる機会があったら、その辺の事情をお訊きしたいと思った。

これで当面は安心だが、梅雨が明けるまでの雨の量により、草の繁殖力は強い。
あっという間に、すぐ伸びる。

幸いなことに,空き缶などの投げ捨ては大分減ったようだ。
綺麗になっていれば投げ捨て,置き去りはしずらいのだろう。

ゴミ拾いのボランテア活動をしている人も確実に増えている。
今の状況が持続され,更に美しくなれば,と願う。

紫陽花が美しい花をつけていた。
  1. 2009/06/24(水) 00:02:40|
  2. 庭園・公園
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小川芋銭と後藤清一

『画聖芋銭』(昭和18年、宮越太陽堂)

昭和9年5月20日、浄土真宗会堂仲間であった森戸達雄(旧姓金子)後藤清一、津川公治と写真家の小野信男の4人は、牛久の小川芋銭の自宅を訪問し、後藤作の『弥勒菩薩像を贈った。その日の出来事を津川公治著『画聖芋銭』(昭和18年、宮越太陽堂)の第30章に『牛久沼上の一日」と題し20ページにわたり克明に記している。その一部を抜粋し概略を述べる。この本は昭和28年に再版され、更に昭和52年に筑波書林から『小川芋銭ー脱俗の田園画家ー』と改題され出版されている。


牛久沼上の一日
 森戸達雄、小野信男両兄とともに常磐線の牛久駅に降りると、ひと足さきに着いていた後藤清一兄が待っていた。午前9時38分である。いそいで駅頭の自動車をたのみ、砂をまきあげながら城中の草汁庵に向かう。牛久沼のほの見える門前で自動車を降りると、庭内一面新緑の若葉が初夏の陽に照り映えて、目がさめるようである。牡丹はもう色も褪せてしぼむばかりであったが、一叢の芍薬はいくつも固い蕾をつけて、その尖端に赤紫の莟をわずかにのぞかせていた。
 「さあ、どうぞお上がりなすって」
芋銭先生は、いつものように楚々として縁に出てこられてわたしたちを迎えてかださった。
 後藤兄が自作の「弥勒菩薩像」をまず先生に贈り、一同その仏像を中心にしてしばらく話しがはずむ。
「どうもまだ未熟な作でお恥かしいのですが」
という後藤兄の言葉に対して、じっと作品に見入っておられた先生は、
「いや、大変結構な作で」
といってにこりともせず、鑑賞していられる。(以下略)

*次いで芋銭の座敷の中の雰囲気が描写されている。それから陶器の話しに移り、小川家に伝来する黄南京や古九谷の皿などを芋銭が持ち出して、古陶磁に詳しい後藤に鑑定を願ったりする。

 くにがみのやまのふもとのこひしかば
 たづねてきませたどりたどりに

*この良寛の書の一幅を観ながら、良寛論、書論へと話題は移って行く。王羲之、鄭板橋などの書に対する話しから、書道でも画道でも自分自身をかく、自分自身をかく、自分の自然に還るところに本義があるのではなかろうか。という文人画を描く芋銭の画境が語られている。弥勒像を中心にして入仏式の記念撮影をしていると昼食の時間となった。すぐ後ろは牛久沼だ、頼んであった船に御馳走を積んで牛久沼へと漕ぎ出した。

 隣りの部屋で仕事をしていた倉持晋一兄も加わって、一行は五人に船頭さん二人、目がさめるような鮮緑の真菰の中を、船はするするすべって、沼上に浮かぶ。空からはたえず柔らかな銀色の五月の光線がふりそそいで、湖上のさざなみにちらちらと照っている。新緑の色滴るような岸の森、草汁庵前の河童松が次第に遠のく。ぽかぽかとした陽射しに、わずかに汗ばむほどの肌を湖上の微風がそよそよと吹いて、何ともいえぬ心地よさである。(以下略)

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牛久沼にて。(昭和9年)右から後藤清一、小川芋銭、津川公治、森戸達夫。
原板の撮影は小野信男。

*なんとのどかな光景であろうか。芋銭の絵の世界そのままだ。やがて「太子堂」のある出島に着き、境内に上がって蝉の声や松籟を聞き、景色を眺める。再度船を進め、沼辺の料亭「湖月」でしばらく寛ぐ。卓上には牛久沼名産のジュンサイと鰻の蒲焼き。草汁庵から持参した料理と共に昼の宴。酒も程々に回って,釣りをしようということになる。時間はあっという間に過ぎた。この日の終わりについて、次のように記されている。
 
 六時が少し過ぎた頃おい、わたしたちは草汁庵を辞した。この初夏の一日の清遊は到底筆紙に尽くしがたいのを感じる。行く行くわたしたちは至人芋銭先生の談中の真趣をくりかえし語り合っては心に深く肯いた。その拳蔗はあくまでも簡素悠々、その言句は真捩的確、寡言にして温情溢れ、語って説かず、俗に同じてしかも隠逸、いかなる人も先生の前にあっては自分の粗暴と傲慢を自覚せざるにはいられなかっただろう。この至人に招かれた沼上の清遊、思えば夢のようである。(以下略)

*小川芋銭は1868年(慶応4年) - 1938年(昭和13年)。
昭和9年の牛久沼での清遊は芋銭が66歳の時。
簡素悠々、語って説かず、俗に同じてしかも隠逸。正しく至人だ。晩年の後藤清一さんにそのような雰囲気はあった。
その何十分の一でも良いから、僕もこの様な人間にになりたい。と願う。

* 雲魚亭。昭和12年の9月に小川芋銭の旧宅の敷地内に芋銭婦人と長男が新築した画室兼居宅。芋銭は同年9月末にここに移り住み古希記念新作展などの準備に当るが、翌昭和13年1月末に脳溢血で倒れ、12月17日に永眠するまでは、療養のための居宅となってしまった。
 現在は、牛久市立の小川芋銭記念館として一般に公開されており、土日祝日は室内も公開している。
  1. 2009/06/19(金) 18:18:47|
  2. 後藤清一
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プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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