よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

お好み焼き・浅草 染太郎

旧友と浅草で

今月の上旬に、3泊4日の東京散歩をした際、念願であった「染太郎」に行ったので、その感想。

土曜日の午後、学生時代の友人と浅草の雷門の前で待ち合わせをした。
彼は、写真が趣味で幾つかのコンテストに応募して賞なども貰っている。
田端の生まれで下町っ子だ。
最近は浅草をテーマに撮影していると聞いていたし、僕も浅草探検に張り込んでいる。
最適の待ち合わせの場所だ。沢山の観光客で溢れていた。
仲見世から伝法院通りをぬけて、花やしきに向う。競馬の場外馬券売り場の辺りは、昼からやっているモツ煮込みなどの立ち飲み屋台が軒を連ねている。戦後の闇市の雰囲気が有る。飲みたい誘惑をこらえ、言問通りに出る。台東区立図書館の一角の『池波正太郎記念文庫』を訪れる。
彼の小説は読んでいないが、食に関する随筆は僕の下町歩きの教科書だ。

言問通りを渡ると、かっての三業地帯だ。我々の同級生M君の叔母さんが、この辺で『松源』という待合をやっていて、そこにMが小遣を貰いに行くのに何度か同行した。その場所を探すことにし、2~3本の道筋を探したが、記憶に有る家は探せなかった。50年前の話しだから、有るほうが不思議で、町並みそのものが変わってしまった。

晩飯には少し早いが、「飯田屋」で泥鰌、或いは「染太郎」のお好み焼きと迷ったが、未だ行ってない「染太郎」に決めた。

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染太郎の店内とお染焼き。
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戦後間もない時期の木造建築、玄関を入ればタタキの土間で、下足を預ける昔ながらのスタイル。
取り敢えず、“イカ姿焼き”とビールを頼む。店名から名付けた、“お染焼き”と何焼きを頼んだ、そして、焼酎のボトルを1本。

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働いているお姉さま方が意気が良くて粋だ。


飲むペースも上がり、昔話しも盛り上がった。
味も雰囲気も良いのに、お品書きの値段は安い。奥の座敷では団体さんが忘年会か、賑やかで、三社祭の時など、どうなるのだろうと思う。
お姉さん方のユニホームのTシャツも販売していたので、記念に購入した。
機会に恵まれれば、また行きたい店だ。

これを書くにあたって、ネットで検索した。
興味の有る方は御覧頂き、味と雰囲気を楽しんで欲しい。

創業時の逸話の部分を引用しておく。


「染太郎」創業の地は浅草田島町六十番地。
現在の本店の少し北西側でした。
当時の浅草は大エンターテイメント地域。浅草寺を一区とした浅草公園の六区は映画、演劇、レヴュー、奇席など,当時の娯楽を取り揃えた劇場が立ち並び、連日大賑わい。
その隣、田島町には芸能事務所やそこに出入りする芸人、踊り子、役者など芸能関係者が多数暮らしていました。
昭和12年(1937)、日支事変の勃発に伴い、漫才師だった旦那さん(林家染太郎)
が軍に応召されて、幼い息子と二人で留守を預かっていたオカミさん。ブラブラしていているのも能がない思っていたところに、自宅の二階を稽古場に貸していた剣劇一座の座付作家から、元手のかからないお好み焼き屋でもはじめたら?とすすめられ、自宅の一階に開業したのが始まりです。

狭い路地のしもたや、玄関のガラス戸を開けて狭い三和土に入るとすぐに3畳間と6畳間、そこへ大きな火鉢に乗せた鉄板を置いただけ、というような急仕立ての店でしたが、すぐに芸人達の社交場として繁盛しはじめ、最初はなかった店の名前も常連客、作家の高見順氏が少々の安普請もむしろ風情として味わってもらおうと「風流お好み焼き」、屋号を旦那さんの芸名からとって「染太郎」と名付けました。
(いまでは既製品にあるほどお好み焼き屋ののれんに定番の「風流」ですが、これは「染太郎」が最初。もとはこんな理由だったんです。)

 昼には仕事がない芸人が油を売っているところへ出番の合間をぬってレビューガール達が六区の劇場から行き来して腹を満たし、夜になればフラリと文士が立ち寄り、そこへ仕事を済ませた芸人、演出家、踊り子たちが集まって来て、ひとつしかない鉄板を囲むうちに双方入り混じって、ワイワイガヤガヤ。その横には女将さんの幼い息子が寝息をたて、2階では相変わらず稽古が続いている。三和土には足の踏み立てる隙もないほど履物が脱がれ、もう店はいっぱい。そのうち宴にも興が乗って・・・といった、にぎやかな光景は日常の事、その様子は
昭和14年発表の高見順の小説「如何なる星の下に」にも描写されています。

*まだまだ、続きはあり、面白い。戦前・戦後の浅草が分かります。
  1. 2008/12/30(火) 01:31:43|
  2. 食生活
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大空へ、地の果てに,---夢多き人.

木村成文さん。

京成百貨店6階ギャラリーで、個展を開催中の照沼さんが27日、28日は来廊する予定なので訪ねた。画廊の担当者は「体調を崩されたようで、今回は、お出でにならない事になりました」と言う。
再会を楽しみにしていたのに、残念であった。
風邪でも引いたのであろう、早い回復を願う。
家に戻り、ブログにアップした事を詫びる簡単なメッセージを認め、自宅宛に郵送した。

手紙を投函した足で、茶房『梵』に行く。
カウンターには、Nさんと一緒に、Kさんがコーヒーを飲んでいた。
尊敬する先輩Kさんと会うのは久し振り。昨年10月、Kさんの会社の前を通りかかり、お訪ねし「いやしばらく、時間有るならチョット出かけない?」とお誘いを受けた。
車で10分足らず、常澄にライトプレーンの飛行場を持っている話は以前から聞いていた。

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丸太作りのクラブハウス。
かなり広い敷地に、ビニールシートで覆われた格納庫が在り、軽飛行機が駐機していた。
想像していたより、本格的な姿の飛行場で驚いた。
敷地の一角には『梁山泊』と名付けられた、丸太作りのクラブハウスも建てられている。
脇にはウッドデッキと露天風呂も備わっていた。

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本格的ライトプレーン。

K さんが仲間と『フライイング・クラブ』を発足させて30年前になるだろう。
ポニーも3頭いて、乗馬も楽しめた、とのことだが、現在動物はいない。
仲間が集ってバーベキユー・パーティー等も開かれるとのことだ。
聞きしに勝ることで、長い間、知りえなかったことを悔やんだ。
ともかく、一度でも見ることが出来て良かった。

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クラブハウス『梁山泊』の内部。
その様な趣味以外に、ロシアに興味を持ち、ロシア語の勉強を始め、ついにはモスクワ大学に1年間留学した。さらに、ソビエト連邦時代の連邦国家の各地を旅している。
僕も、昨年2月ウズベキスタンとタジキスタンに旅して、ブハラやサマルカンドを訪ねた。シルクロードの中間点、未だに記憶に残る魅力有る国だ。そこを、既に1972年に訪ねていたのだ。

歴史や冒険も大好きで、間口・奥行きの広い先輩だ。
昔は会う機会が多くあったが、最近は少ない。
久し振りに話しをした。短い時間では有ったが、とても楽しい時間をすごした。
常に夢を持ち続けるK先輩から、楽しさと活力を与えられた。

有難う御座いました。近いうち、またお会いしたい、と思ってます。
  1. 2008/12/28(日) 00:07:36|
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「照沼光治 絵画展」 @水戸京成百貨店 6階アートギャラリー

「照沼光治 絵画展」 @水戸京成百貨店 6階アートギャラリー
2008年12月25日~30日


水戸出身の洋画家・照沼光治さんの展覧会が水戸京成百貨店6階のギャラリーで始まった。
照沼さんが茨城大学に在学当時に友人を通して出会ったが、学生ながら既に社会人としての風格が有った。
水戸一高の野球部のレギュラーで美術科に進学だから、文武両道に秀でていたし趣味のギターと歌も、プロとして通用する腕前だった。
1973年卒業、ヨーロッパを遊学し翌年に広告代理店「サンアド」に入社。
グラフィックデザイナーとして活躍する。
その後、独立してデザイン事務所を設立するがデザインの世界に飽き足らず、作家への望みは強く、10年ほど前から、創作活動に専念するようになった。
郷里の水戸を初め、東京都内、大阪、京都等でも個展を開催する。

アクリル絵の具を使用して、微細な金属で引掻く繊細な技法で描く。
テーマは四季折々の自然の風景だが、通常の風景画とは異なる。
有りそうで無さそうな、春・夏・秋・冬それぞれの季節の山や森などの心象風景だ
サブタイトルに『鳥たちのさえずる森と泉』と有るが、僕にはかすかにサテイのピアノが無限に続く静謐な感じを受ける。
カレンダーの絵柄として、もぴったりと合うので、何回目かの個展を経てカレンダーも制作するようになった。

僕は夕焼けの風景が大好きだ。だから、秋から冬の夕陽と山と森が横長に描かれている作品などを観ると、良く理解できる。
京都・圓山公園の枝垂桜を描いた『爛漫』は幽玄だ。

年々技法も複雑かつ上達し、このシリーズは完成の域に達したの感もする。
僕は、ガラス工芸家・ガレの「雪景色」のシリーズの冬の枯れ木と雪に夕陽が映える作品が好きだ。或いは,東山魁夷の風景画や尊敬する山上鎮夫さん描く水墨画なども深い味わいがある。

照沼さんの作品が、もう一段の変化することを期待している。

  1. 2008/12/26(金) 09:31:20|
  2. 美術展
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クリスマス

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クリスマスのプレゼント

12月25日はクリスマス。キリストが降誕した日といわれ、お祝いする。
キリスト教徒にとっては復活祭と共に大きな行事だ。
今や、人類の平和と安全や平等や幸せを願う世界的な行事でもある。

日本は仏教だから、一般的には、第二次大戦後に行われるようになった。
僕の生まれ育った町内は、なかなか進歩的で、終戦後間もない時期に『B町、町内クリスマス会』が開かれていた。子供から大人まで40~50人が集った。
写真も記憶も有るが、当時は、隣近所同士は年齢に関わらず交流があった。
今は、日常生活で、お隣さんさえ顔を合わせる機会が無い状況だ。

長じて、青春時代はフランスやアメリカに被れていたから、素晴しいクリスマスを夢見たが、全ては映画の中の世界のこと。

間もなく、働くようになってからの20年間、会社の或いは団体のグループのと、何かといえばクリスマスには大騒ぎをした。飲み屋のパーテー券等と言うのも有ったな。
スーパーやデパートの店頭に、デコレーションケーキが山高く積み上げられ、それを手に家路を急ぐお父さんが歩いている時代もあった。
子供が、小学生の頃は、何かにつけ子供たちのパティーが有った。
クリスマスの時期は勿論だ。
想い出せば、もう少し何かとあった時代だ。

最近は、外国の友人からの数枚のカードが中旬までに到着する。慌てて返信しなければならないのが、悩みの種、英語は何時までたっても身に着かない。

只ひとつ35年以上続いている会がある。子供のために30家族位が集ってクリスマス会を開いた。子供が独立しても、25日に集って会を開かれている。亡くなる方もあり年々参加者は減ってはいるが、30人程度は集り旧交を暖め、プレゼントの交換をする。
今年も、本日午後7時から、久し振りにお会いする方もいるので楽しみだ。
この会が済むと、後は仲間内の忘年会のみで、新年を迎える。

メリークリスマス、さらに、素晴しい新年をお迎え下さい。



  1. 2008/12/25(木) 11:23:07|
  2. 歳時記
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鮟鱇の食べ方、いろいろ。

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『ちゅう心』流は、鮟鱇の7つ道具のみを、先に食べて。

茨城の冬の味覚を代表するのは、鮟鱇(アンコウ)だろう。
僕が子供の頃の水戸では,アンコウは友酢(供酢)で食べるのが一般的だった。
今は鍋が主流で、平潟から小名浜にかけての『どぶ汁』と言う調理法が、鮟鱇鍋の基礎になっている感じだ。どぶ汁は一度も食べたこと無いが、聞いた話によれば鮟鱇から出る水分と野菜の水気のみで、だし汁は使わないようだ。

深海魚でやわらかいのだろう、御腹に水を入れて吊るして切り分ける。
冬の水戸の街は店先に、鮟鱇を吊るした料理屋を見かける。

『鮟鱇は捨てるとこなし』と言われる。

捌かれた各部位は7つ道具と呼ぶが、必ずしも7つと限らないが。標準は次のようだ。

①トモ(ヒレ)= あんこうの両腕にあたる部分。ここの付け根が美味しい。
②カワ(皮) =コラーゲンたっぷりで味もあり、食感が良い。
③えら =普通の魚においてはエラは食べないが、アンコウでは鍋に入っている。
④キモ(肝) =別名アンキモ。「海のフォアグラ」とも呼ばれている。
肝を炙って摩り下ろし、味噌とあえて、友酢をつくる。茹でたアンコウをこの友酢で食べるが、この出来次第で、味は大幅に違う。
鍋の場合もすりおろして、だし汁に入れて味を調える。勿論、肝そのも入れる。
⑤水袋(胃袋)
⑥ヌノ(卵巣) =平板状のためにそう呼ばれる。
⑦台身 =アンコウの身の部分。白身で淡白。

通常のあんこう鍋 はアンコウの具材、野菜、割り下を入れておき、あとは煮立てる鍋。
味噌味と醤油味がある。

何れにしても、鮟鱇料理は文字通り、肝が肝心だ。
大きくなければ、肝は小さいので、大きい鮟鱇が必要。
価格が年々上がり、今や高級魚だ。
以前でもそうだが、日常食べると言うより“ご馳走”だろう。

僕は、水戸では『環翠』(水戸市宮町2-1-18・電話221-4832)が一番と思っているが、数年に一度しか味わう機会が無い。
池波正太郎の本に出てくる、神田の『いせ源』にも一度は行ってみたい。と思っている。

いろいろご託を並べたが、昨日は大洗の『ちゅう心』での鮟鱇鍋。お題目は『鹿嶋アントラーズ』リーグ2連覇優勝祝賀会。メンバーは鈍愚里さん、エビネンコさん、翠玄房主人(仮の名前で未だ名無し)、と僕の4人。6時に開店だが、早めに着いて、先ずは鮮魚部の店内を歩きまわる。
地魚が主な店だ小魚も多い。メヒカリも裁いて干物にしている。今日はコハダの酢〆は無かった。
大洗産のタコも身が締まってて旨そうだ。魚の名前は詳しく無いので分からないが、種類は多い。

期待の夢を膨らませ、店内に。
カウンターの後ろ、入れ込み式の小部屋にあんないされ、先ずはお酒。
間もなく、鮟鱇の7つ道具全てが揃った具財が運ばれてきた。
だし汁に鮟肝を炒ったものがとけこんだ味噌仕立ての鍋で、身だけを食べる。
始めての食べ方だ。

魯山人のすき焼きは、肉のみ、葱のみ、を繰り返したそうで。
身の味が薄まらない。それと同じで理に叶った食べ方だ。

鮟鱇の身が分厚く食べ応えがある。特に肝の赤みとネットリした感じが良い。
きれいに味わいつくすと、野菜の盛り合わせが運ばれ、鍋に投入。
鮟鱇の出汁が効いた野菜は、当然旨い。
新たなアンコウの食べ方を知った。

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大洗産の蛸のぶつ切りを追加注文、これまた、身が締まり歯ごたえ、味も充分。
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欲を言えば、先ずは友酢を食べてから、鍋に移るのが常道か。
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〆はエキスの詰まった鍋の雑炊。これまた、結構でした。
こんなに、良いこと、来年もと願う。

ご馳走様でした。
  1. 2008/12/23(火) 01:33:03|
  2. 食生活
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プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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