よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

クラッシク音楽でめぐるヨーロッパの街

連続講座「クラシック音楽でめぐるヨーロッパの街」Vol.4

第一回 1890-1950 ミュンヘン
「もうひとりのシュトラウスを生んだ街」・講師 関根哲也


クラッシク音楽に無縁な僕が、水戸市国際交流協会主催・水戸芸術館音楽部門が企画協力した、上記の講座を聴講した。
“音楽でめぐるヨーロッパの街”のサブタイトルに惹かれ、参加の申し込みをした。水戸市国際交流会館の3階ホールの会場に行くと座席は満員。定員60名なのに申し込みが殺到して、キャンセル待ちの状況だったとの事。

今年(2008年)水戸室内管弦楽団が3回目の欧州公演で訪れる5つの都市のうち、パリ、ミュンヘン、ウイーン、マドリードに焦点をあて、それぞれの街が歴史の中で奏でた音楽を、水戸芸術館の音楽部門の学芸員が紹介するという趣向だ。

本日(1月30日)の第一回のミュンヘンの案内役は関根哲也さん。
資料を基にしたお話しと、関連する楽曲のさわりの部分のCDを聴かせてくれ、さらに歌劇「サロメ」のクライマックスのシーンをDVDで見せてくれる等、内容は豊富であった。
*最近の講演会はパワーポイントを多用する人が多い。
参考資料として配布したのと同じ画面を見せて、講演会と言うより説明会の様なつまらないのがはびこっている。

今回はそんな事を感じさせない素晴らしい会で感動した。
終了後、安らかで清々しい満足感に浸る事が出来た。
ではどのような内容であったのか?説明して下さい。と言われると門外漢の僕にはとても難しい。
参加して見聞する以外にありませんねとしか言いようが無いが、配布された資料を基に概略だけお伝えしましょう。

リヒャルト・シトラウス(1864-1949)はミュンヘンに生まれた。
ミュンヘンというとビールの有名な所。或いはバイエルン州の首都で名車BMWの本社のある場所くらいの認識が一般的だ。
ドイツ第三の都でモーツアルトやワグナーもミュンヘンには縁がある人たちだそうだ。
父親はミュンヘン宮廷管弦楽団の主席ホルン奏者だった。父の下で4歳でピアノ、6歳で作曲、7歳でヴァイオリンを始めている。学校では文学・哲学・美学等を専攻したそうです。しかし、若い頃から音楽の才能を評価されブラームス或いはワグナーの後継者と位置づけられていた。マーラーとは同世代でお互いに尊敬しあった仲であったとの事です。1883年(19歳)でホルン協奏曲1番を作曲する。
*この曲のさわりをCDで聴く、ホルン奏者としての父の影響があるようだ。
そのご指揮者として、交響詩の作曲家としての評価を確実にする。1888年(24歳)交響詩<ドン・ファン>を作曲。
*この曲のさわりもCDで聴く。

1894年(30歳)パウリーネと結婚。4つの歌曲 作品27を作曲。この歌曲はスコットランド生まれでドイツに住み、ドイツで活躍した詩人ジョン・ヘンリー・マッケイの詩による。
*この曲もCDで聞かせてもらい、詩を翻訳した文章も資料として配布された。
一部を紹介するが、花嫁に捧げたシュトラウスの気持ちが伝わってくる。

そしてあした、太陽がふたたびてりそそぐだろう、
そしてぼくの歩む途中で、太陽は
しあわせなぼくたちをまた結びつけるだろう、
この陽光が息づく大地のまっただなかで・・・・・

シューベルトの歌曲とは全くちがった感じを受けた。
1896年(32歳)交響詩<ツアラトウストラはこう語った>を作曲。ニイチェの著作から。*というが、これまた読んだ事もないし、全くわからない。
1905年(41歳)歌劇<サロメ>を作曲。オスカーワイルドの原作を歌劇としたもの。
*出演者が誰か判らないが、DVDで『サロメ』の有名な場面“7つのベールの踊り”を見せてくれた。

その後は、第1次世界大戦から晩年(1918-1949)はウイーン国立歌劇場音楽監督やドイツ帝国音楽局総裁等などの役職につく。それらの経緯から戦後はナチスとの共謀の嫌疑もかけられるが無罪となる。
1948年(84歳)<四つの最後の歌>作曲
*この曲の④「夕映えの中で」を聞かせてくれた。8分間の曲だがオーケストラの部分が長く、歌のところは少しだが心に浸みた。詩の原作はヨーゼフ・フォン・アイフェンドルフ(1788-1857)この曲も翻訳した文を配布してくれた。一部を紹介すると・・

 苦しみにつけ、よろこびにつけ、
 ぼくらは手をとりあって歩んできた、
 さすらいの足をとどめて、いまぼくらは
 静かな田園を見張らす丘でやすらう。

悲しみや嘆きの無い静謐な世界。若い時から才能を認められ、妻との幸せな生活。晩年に多少の不運は有ったにせよ、生涯を通して劇的な出来事に合わずに全うした人生。
ほんのさわりとしても、2時間でシュトラウスの生き様をなぞる事ができた。
そして多くの宿題も戴いた気がする。
2008年7月5日、6日の水戸室内管弦楽団 第73回定期演奏会は 準・メルク指揮でシュトラウス最晩年、1945年(84歳)に作曲した<メタモルフォーゼン>も演奏されるとの事である。
  1. 2008/01/31(木) 01:18:13|
  2. 講演会
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茨城県立陶芸美術館2つの展覧会

文房愛玩 ―それぞれの思い― 展

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会期が短く、1月27日で終了してしまったが、陶芸美術館の県民ギャラリーで開かれた12人の作家による作品展は面白くて、2度通った。
文人の愛好した硯・墨・筆・紙を「文房四宝」とか「文房四友」というが、それらのものを現代生活に置いたらどうなるだろうか。という問いに、それぞれの作家がそれぞれの思いを形にした展覧会。
書家の川又南岳さんは“指先で触って感触をを確かめてください”と愛蔵の古い硯を何面も展示したり、菊池三千春さん手漉きの和紙に画家の十河雅典さんの絵と南岳さんの書・三人合作での作品等を展示。
陶器による硯を製作している明石良三さんは自作の硯と墨。林香君さんの御影石による文机。筒井哲平さんの鉄製の机と椅子。伊東東彦さんの陶製の水滴。上野修路さん作の古代の工芸品と見まごう銅印や金銅製水滴や刀子。
それぞれが独自な表現をしているがちゃんとまとまっている。けんちん汁の味かな。
何方が音頭を取ったのか?は判りませんが、それぞれの専門家の作品が旨く融合していました。

[シリーズ・やきものの周辺Ⅰ] のこす・伝える「お宝」考今昔

どちらかといえば、タイトルが長くてどのような展覧会なの?とくびをひねる。
さらに「お宝」という言葉も妙も、某局のテレビ番組の"お宝探偵団“を連想させるような感じで、受け狙いの企画と感じられた。観てみればそういう事ではないのだが、見ごたえの薄い展覧会だった。
第1章 伝えて残す。 由来・来歴を伝える「箱」、名付けてのこす「銘」や書付。
第2章 掘りおこして、のこす。古窯跡の陶片発掘を通して、古代・中世陶器を科学的に研究するようになった資料。
第3章 技をののこす。[重要無形文化財]制度による、技術の伝承。

第1章と第2章は日頃の美術展では展示されないもの。舞台の裏側を展示したのは面白い企画で興味を持った。しかし、焦点が定まらない感じで何かを観た。という充実感を感じられなかった。
やきもの文化の周辺について再考を試みるこのシリーズ。今後に期待したい。

これから春の行楽シーズン。笠間・水戸とコースを取るお客さんも多いことだろう。僕は美術館から眺める筑波の連山を眺めるのが好きだ。特に夕陽の時は最高だろうと想像しているが、時間の関係で、残念ながら実現していない。



  1. 2008/01/30(水) 08:26:16|
  2. 美術展
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東京下町散歩 Ⅲ

芭蕉記念館

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清澄通りを南に向かい、小名木川に架かる高橋(タカバシ)の手前を右折すると、松尾芭蕉が庵を結んだゆかりの地に建てられたという「芭蕉記念館」がある。館内には芭蕉の書簡や絵画など貴重な資料が展示されている(複製品が多いけれども)。
俳句会などに利用できる部屋もあり、借りる事ができるようだ。
館内の裏庭から墨田川の堤防を歩いて200m位、小名木川と隅田川の合流する小高い所が小さい公園になっている。
「芭蕉庵史跡展望公園」として芭蕉の銅像が設置されている。ここからの隅田川の眺めは正しく絶景だ。
このすぐ隣の小名木川に架かる「萬年橋」は江戸時代から隅田川を望み富士山を眺められるとして北斎の「富岳三十六景」広重の「名所江戸百景」などに描かれている名所。
近くには「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝聞)した場所として「芭蕉稲荷」として祀られている。石の蛙は芭蕉記念館に展示されている。
『奥の細道』の旅に出発した(1689年・46歳)場所の「採茶庵」跡(清澄通り沿い)にも芭蕉の銅像が建っている。
この辺りを歩いていると、カメラ片手に芭蕉の史跡探訪をしている多くの人達に出会う。
僕も其の一人。少し真面目に俳句やらなくちゃ。と決心を新たにしたか?


深川江戸資料館

清澄通りに戻り南に行き、清洲橋通りを右折すると「深川江川資料館」が在る。
地下1階から地上2階までの吹き抜け空間に江戸時代(1842年頃を想定)の実物大の街並みが復元・展示されている(勿論作り物だが)。ガイドの中年女性が長屋、八百屋、米や、船宿、火の見櫓、露天のそばや、てんぷらや等の深川の庶民の暮らしを面白おかしく説明をしてくれる。仕掛けとなっている。
其の時代にタイムスリップし、落語の世界を歩く感じだった。


清澄庭園で寒牡丹に出会う
清澄通りに面して「清澄庭園」が在る。
伝聞として、江戸時代の豪商紀伊国屋文左衛門の屋敷跡との説もあるが、諸大名の下屋敷として用いられ、明治11年に岩崎家の所有となった。同24年に全国の名石集め園内に配置した回遊式林泉庭園は、岩崎家の迎賓館となり、その後、東京市に寄付され、昭和8年より一般に公開された。
明治時代を代表する庭園として東京都の名勝第一号に指定され、新東京百景の一つにも選ばれている。
ことほどさように、大名庭園ではないが格式を感じさせる庭園だ。
手入れも十二分である。

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この時期、何処の庭園も花を見る機会が少ないのはさびしいが、霜囲いされた中に真っ白の寒牡丹が3株10輪くらい咲いているのを見る事が出来た。誠に素晴らしい!!
寒牡丹~  俳句を一句と思うが出てこない。とりあえず、、、

銘石の庭はんなりと冬牡丹        破髯斉

さらに、和水仙が早くも咲き初めていた。寒中と言えど春は近づいている。

寒中にはや咲き初めし和水仙       破髯斉

深川不動・富岡八幡宮

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門前仲町を右折して、永代通りには深川不動堂と富岡八幡宮が在る。
この門前町は江戸情緒を色濃く残す深川の中心。
一月も後半に入るが、どちらも新年の参詣する人達が未だに多い。
食事もしないで走り回っていたが夕暮れとなり、残念ながら戻る事にした。


「伊せ喜」のどじょう鍋

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今日の昼飯は“どじょう鍋"にしようと考えていた。清澄通り、小名木川に架かる高橋のたもとに明治20年創業の「伊せ喜」があるのは調べておいた。下町出身のNさんは「どじょうは鰻と同様にほんらい夏の精力材、汗かきながら食べる物」とは教えてもらっていたし、俳句の季語でも夏。池波正太郎の随筆にもそのような事が書いてあったな。


とは言え、めったに来る訳でもないないから、のれんをくぐる。夕飯には少し早いか、お客は少ない。どじょうを丸ごと煮込んだ「丸」と熱燗1本を注文する。どじょうは時間をかけて煮込んであるから火加減は軽く鍋を暖めるくらいで十分とのこと。浅い鉄鍋に姿よく並んでいる。刻み葱をたっぷりかけて食べる。
暫く前にSさんに連れられ、有名な「駒形どぜう」に行った事がある。其の時は七輪に炭だった記憶がしたが、随分昔だから曖昧だ。ご飯とどじょう汁も頼む。
期待が大きすぎたかな?の感じを抱いて店を出る。

夕暮れの清澄通りを北上する。並木通りに出れば「並木の藪」の看板。これは入るほか無いでしょう。冷えた身体を温めようと“かけそば”をたのむ。やっぱり藪蕎麦だよね~。嬉しくなってしまう。雷門通の角の「神谷バー」で<デンキブラン>のポケット瓶を1本買ってから、自転車を返却しに行く。

自転車っていいな!
自転車での街歩きに大満足した。係りの人に「他にもこのような場所が有りますか?」と問えば、「上野駅近辺にも2箇所ありますよ」とのこと。お役所仕事に感心する事は少ないが、台東区のレンタサイクルに拍手。次回もお願いいたします。
水戸でもレンタサイクルは千波湖の黄門茶屋の所に1っ箇所有るけれど。利用されてない感じ。もっと充実させれば、水戸を訪れた多くの人達がもっと街中を歩くのに!
  1. 2008/01/24(木) 02:03:07|
  2. 散歩
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旧安田庭園

旧安田庭園

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隅田川に沿って下り、厩橋を渡って両国駅を目指す。
国技館の手前、塀で囲まれた一角に「旧安田庭園」入り口という表示があった。自由に入る事ができる。
案内板に拠れば、下野(しもつけ)足利藩主本庄氏の下屋敷として作られたのが始まりで、本庄氏は大名家としては小さかったが、将軍家より松平姓を賜り常陸笠間藩や丹後宮津藩主を歴任した。隅田川の水を引いた潮入り回遊庭園は小規模ながら徳川時代における大名庭園の典型をなす名園。とのことだ。
たしかに「六義園」「小石川後楽園」「浜離宮」等と共通する雰囲気がある。当時は海辺に面していたから、汐の流れを巧みに引き入れ池の浄化が図られている。
明治22年に安田財閥の手に渡り、後に東京市に寄贈された。
園内には安田氏寄贈のドーム型の両国公会堂が建てられているが両者とも墨田区が管理している施設だ。
庭園は木々や芝を含め手が行き届いているので誠に気持ちが良い。
これまで手をなくとも、水戸市の公園や緑地の管理はもう少しきめ細かくして欲しいものだ。
池に飛来している都鳥などの水鳥を眺め、しばしの間休憩する。

江戸東京博物館「北斎展」


葛飾北斎(1760-1849)は江戸時代末期の画家であることは誰でも知っているが、本物を目にする機会は少ない。しかも版画は大きさが限られているし、色合いも地味なうえ、印刷や、似て非なる複製品があふれているのでどうしても軽く見られがちだ。
最初に浮世絵版画の良さ、特に北斎を評価したのはオランダ人やフランス人だった。ゴッホを筆頭として、印象派をはじめとした西洋の近代絵画に大きな影響を与えたと言われている。今回の展覧会は「オランダ国立民俗学博物館」と「フランス国立図書館」所蔵されている作品が日本に里帰りした。
メインは、北斎及び弟子たちが描いた肉筆の浮世絵で、今まで知られていない作品も多い。オランダ商館の特別の依頼により描かれた絵は、肉筆浮世絵の概念を変えさせられた。多くの色彩が自由使用され、題材も従来の浮世絵の範疇でないものも多い。北斎の多彩さを実感させられた。
「富岳三十六景」や「北斎漫画」などの今までに知られている人気作品にしても北斎と彼の工房の力量の凄さを感じた。
自分で観た感動を伝える事は難しい。とにかく現物を見ることしかない。
別の展示室で「北斎漫画」に関する展示もされている。内容の豊富さは観尽くせない。
江戸時代の絵師、摺り師などの高度な技術、こんなに細かい線が書け・彫れるのか?何十枚の版木を合わせて一枚の絵にする行程等、ただ感心する以外にない。
残念ながら、常設展示も見ないまま後にした。
本来ならば、北斎展を一日かけてみるべきだ。清澄通に出て、深川に向かう。*続く

*出かけた19日はいくらか寒かったにしても快晴だった。今日23日は天気予報は二度目の雪とのこと、であったが雨。東京は小雪がちらついているらしい。積るほどではない様だが、北斎の版画のような雪の下町風景も見てみたいものだ。

  1. 2008/01/23(水) 12:18:37|
  2. 庭園・公園
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先ずは、自転車で東京下町を巡る

自転車で東京下町を巡る。

今年も古き良き時代を探し、東京下町を散歩したい。
と思っている。

以前に浅草で入手にしたパンフレットに“レンタサイクル1日200円”との案内を発見したので、何れ試してみたいと考えていた。
今度始めて利用したが、結果は大正解で、昼食を食べずに夕方5時まで自転車での散歩を楽しみ、食事後も語もさらに2時間乗り回した。
水戸発7時30分の高速バスは9時20分に浅草着。
バスの停留所から歩いて5分、吾妻橋脇の墨田公園自転車駐車場に行き、簡単に借りることが出来て、出発進行。

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先ずは、両国の江戸東京博物館で開催されている開館15周年記念展「北斎・ヨーロッパを魅了した江戸の絵師」を観る。
が目的だが「池波正太郎記念文庫」に行くのも予定の1つ。
浅草寺の西北の方角に在るので、先ずは、浅草寺に向かう。馬車道から伝法院通りに入ると小山の上にお堂と鐘楼が在った。
さほど大きな鐘ではないが、これが『花の雲鐘は上野か浅草か』と芭蕉が詠んだ上野寛永寺と並び著名な時の鐘とのことだ。
現在も夕方の6時に撞かれている、との解説の立て札と句碑が立っていた。
そうだ、今回は芭蕉に関連した所も歩いてようと思った。
境内は新年とあって参詣者も多い。本堂、三社さまの<浅草神社>、<影向堂><六角堂><淡島堂>などもお参りする。
今回は神社仏閣巡りでもある。

ひさご通りに「江戸下町伝統工芸館」が在り、立ち寄ってみる。
江戸時代からの職人の技が、継続されている事を実感する。
これ等も東京だから可能なことで、地方においてはドンドン失われているように思う。

「池波正太郎記念文庫」

国際通り「台東区立中央図書館」の1階に『鬼平犯科帳』などの時代小説で有名な池波正太郎の業績や作品の世界を広く伝えるため、池波家から寄贈された資料を展示する施設として平成13年に開設された「池波正太郎記念文庫」がある。
26,000点に及ぶ資料が収蔵されているて、自筆原稿、全著作、絵画などの展示のほか書斎を復元してあり、執筆していた当時の雰囲気を味わう事ができる。絵を描くことも好きだったので、紀行文など自著のカットに挿入した事も多い。
常設と企画展示があるが、今回は油彩のヨーロッパの風景が特別展示されていた。
彼の著作は殆ど読んでいないのだが、『散歩の時何か食べたくなって』と『食卓の風景』は僕の下町散歩の案内書として使っている。彼の事をいくらかでも理解していないと申し訳ない気がしている。彼は著作の中で“東京は戦争で焼かれてしまい、昔の良いものは失われてしまった”と嘆いているが、僕にとっては東京の下町には未だ昔の気分が残っている。ように思える。失われた時代を本の中にみいだしながら散歩するのが、僕の今の楽しみだ。

いつも乗っている自転車だが、東京都内を移動する安全性を心配した。
一部のエリアを走っただけだから、断言は出来ないが、水戸より自転車が走りやすい道路状況と感じた。
歩道が整備されているので不安を感じることが無い。
これらの環境政策や省エネを考えれば、自転車の有効利用はとても大切な事と思える。
多くの地方自治体で、自転車が安全に通行できる状況を生み出すことは、高速道路を作るより重要に思える。
電車・列車にも自転車も積めるようにする事も必要だ。


「一葉記念館」

文学ついでに「池波正太郎記念館」の次は、国際通りを北上し「一葉記念館」に行く事にした。これまた恥ずかしい話しだが、樋口一葉の作品は何一つ読んだ事がない。
記念館のパンフレットには<日本の近代文学に燦然と輝く数々の名作を遺したのである。殊に、「たけくらべ」は一葉が母親と妹の三人で竜泉寺町に住み、荒物駄菓子屋を営みながら生活した体験を素材にして書かれた小説である。>
と書かれており、其の全貌を見る事ができるような文学資料館だ。


3階建ての記念館を見ると、明治初期生まれた少女が、明治29年24歳で短い生涯を閉じるまで、一家の生活を支えながら、日本の近代文学初の女流作家となった人物の偉大さを体感できる。現代の日本人の生活は豊かになったが、読み・書く等の基本的なこと、生活全般を自らがまかなう事等、基本的なことが大きく失われてしまったと感じぜざるをえない。
己の日常を反省するとともに、せめて一冊でも一葉の本を読んでみようと思った。

近くに、“お酉さま”として有名な「鷲神社」(おおとり神社)があるので参拝した。
想像していたより小さな社殿と境内だった。
ついで参りでは、ご利益は少ないかな。

このすぐそばには"吉原“が在る。江戸時代の雰囲気はとうの昔に無いのだろうが、参考までに覗いて視る事にした。全区画を歩いたわけでなく、一部をス~と自転車で通り過ぎただけでなんとも言えない。夜になれば違った景色なのかもしれないが”江戸は遠くになりにけり“としか言いようが無い。

土手通りから山谷掘り公園を抜け墨田公園に出た。 ♪は~るの、うらあら~の、すうみだがわ♪。の歌の碑があった。桜の時期はさぞやと思えたが少し早い。しかし、紅梅が何本も咲き初めていた。
再び、駐輪場に戻った。今度は隅田川沿いに南下して蔵前を目指す。
晴天に恵まれ風も少ない。日頃の心がけがいいのだろう、散歩・サイクリング日和だ。

  1. 2008/01/21(月) 23:06:42|
  2. 散歩
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プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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