よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

「東慶寺・仏像展2017」@東慶寺・松ヶ岡宝蔵

「東慶寺・仏像展2017」@東慶寺・松ヶ岡宝蔵
2月4日~4月16日


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「駆け込み寺」としてしられる東慶寺は女人救済の尼寺として明治に至るまでの600年間、縁切り寺法を守ってきた。

明治38年(1905)釈宗演(1859年-1919年)が住職となって、禅の道場に変わった。釈宗演の弟子にあたる鈴木大拙(1870年-1966年)は禅を世界的に広めた功労者として著名である。
昭和16年(1941)に住持した井上禅定は鈴木大拙の収集した仏教書や寺伝来の 離縁状など縁切り文書を収めた「松ヶ岡文庫」を寺内に創立した。

文庫はその後「松岡宝蔵」と拡充されて公開されているが、年に一度の特別展が2月4日~4月16日まで松岡宝蔵にて開催されている。

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宝蔵の入り口。

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「水月観音菩薩半跏像」

通常は「水月堂」に安置され通常は公開されず、申込みによる拝観のみ。
特別展の期間中は「松岡宝蔵」に出陳。
像高わずか34cmの観音さまだが、鎌倉一の美しい仏様と言われている。

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通常の「水月堂」祭壇。
中央の円窓に鎌倉時代の「水月観音」。
左に「南無仏太子」(聖徳太子の二歳像)。
右に「誕生仏」(後藤清一作)
額は鈴木大拙の書。

今季の特別展では「松岡宝蔵」内に3体が別々に。

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「南無仏太子」

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後藤清一作「誕生仏」
昭和16年の作だが、微笑をたたえた童顔の面相は白鳳時代を思わせる。

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新薬師寺の「香薬師如来立像」
何度か盗難にあい戻ったが、昭和18年に盗まれてから行方は分からない。
佐々木茂索が、「香薬師如来立像」の“石膏型”を所持していた。
現物から石膏型採りしたのか、ともかく本物と変わらぬ出来ばえで、それを基に復刻された像。

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本堂前の「宝塔」と枝垂れ桜。

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「本堂」

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花に囲まれた誕生仏。
本年、4月8日の「灌仏会」花に囲まれた誕生仏(東慶寺のHPより)
  1. 2017/04/14(金) 23:28:44|
  2. 後藤清一
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後藤清一さんのこと@『鸚鵡貝』創刊号 

後藤清一さんのこと@『鸚鵡貝』創刊号 

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雑文集・『直しや雑記帳』が友人たちの援助で刊行されたのが(よこの会・1987年7月だが、それに先立つ1987年2月に同人誌『鸚鵡貝』創刊号が発刊された。

「日めくり俳句会」の仲間が中心になって「同人誌を作ろう」との話が持ち上がった。ジャンルは決めず好きなように使えるのが1人当たり10頁。
印刷経費の10ページ分を参加者が負担する、と言う取り決め。

表紙のデザインと絵、本文中のカットは画家の福地靖さんが、編集から印刷・刊行まで一切を大曽根克彦さん(当時タウン誌の編集長で、現在はフリーのライター)が無料奉仕でしてくれることになったので、経費の負担がメチャ安で出来ることになった。

小説・俳句・短歌・評伝・評論・絵画・随筆と内容豊富な総合誌で、サブタイトルには「文学と美術の小宇宙誌」と銘打った。

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僕は彫刻家の後藤清一(1893-1984)さんの作品と人柄に魅入られていたので、書き残すにはいい機会と思えた。
勿論、作家の評伝を10ページで纏めるのは無理な話しなので、刊行ごとに連載すればと思い評伝「後藤清一さんのこと・其の壱」として書くことが出来た。

同人誌は3号まで、ともいわれる。
どの様な訳か記憶にないが二号には参加することなく、終わってしまった。

この資料を基に取材を重ね『後藤清一・ひとつの象徴と造型』として1990年に刊行できた。
後藤清一さんの生涯と作品を概観できる278頁の本としてまとめることが出来たのは『鸚鵡貝』創刊号のお蔭だ。
  1. 2016/12/27(火) 17:12:58|
  2. 後藤清一
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旧篠原家住宅@宇都宮市今泉1丁目4-33

旧篠原家住宅@宇都宮市今泉1丁目4-33

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青春18切符、夏の陣の最終日は9月10日まで。
2セット買ったが、残りは2回分。
何処にしようと考え、9月6日(火)カミさんと水戸線経由で宇都宮に。
たまには奥さん孝行もしています。

宇都宮と云えば「餃子」、駅の観光案内所で市内地図と餃子マップを貰う。
市内に沢山あるが、駅ビル「パセオ」にも何軒か在った。
それぞれの味はあろうが、改札に近い「宇味家」に。

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焼き餃子と水餃子、2人でこの位で充分。

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(復元模型・現在は当時の三分の一だと云うから凄い)

駅の近くに「国の重要文化財」指定の「旧篠原家住宅」が在る。

宇都宮市を代表する旧家の一つ篠原家は、江戸時代(18世紀の終わり頃)から奥州街道口の現在の場所で、醤油醸造業や肥料商を営んでいた。

この旧篠原家住宅は、明治28年(1895) に建てられたもの。
第二次世界大戦の戦災により、母屋と石倉3棟を残して、醤油醸造蔵や米倉などの建物は焼失したが、明治時代の豪商の姿を今日に伝える貴重な建造物。

入り口でボランテアのガイドさんが説明してくれたが、貴重な木材をふんだんに使用した建物は正しく文化財だ。

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1階から2階までの50センチ角は有りそうな欅の通し柱。
2階まで繋がっているのだから、かなりの大木だったろう。

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2階の床の間迄通っているが、床の間の床板も1枚の無垢板。

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2階への階段ダンスも見事。

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2階から中庭、倉庫を見る、
後はホテルだが当時は敷地の一部。

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大谷石と漆喰の倉庫。

水戸にはこんな豪商はいなかった。

旅の楽しさは、予想していないようなモノや人に出会うこと。

  1. 2016/09/14(水) 17:53:50|
  2. 後藤清一
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後藤清一作『玉』が展示されています@茨城県近代美術館

後藤清一作『玉』が展示されています@茨城県近代美術館

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茨城県近代美術館の特別展「乙女デザイン―大正イマジュリィの世界」が2階展示室で7月16 日~9月25 日まで開かれている。
大正ロマンの匂いと、「今日も三越、明日も三越」デパート等が文化を担った社会状況が良く判った。

1階の展示室1では「日本の近代美術と茨城の作家たち 春から夏へ②」と題し横山大観,小川芋銭,中村彝,辻永ほか茨城ゆかりの作家の作品を中心に,春から夏,そして夏から秋へと移り変わる季節を感じさせる作品などが展示されている。

あわせて昨年度に新たに収蔵した作品を展示されている。

後藤清一作の『母子』(ブロンズ・昭和12年)と

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『老人頭部試作』(ブロンズ・昭和12年)

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『玉』(乾漆・昭和19年)

の3点が展示されている。特に『玉』は像高62㎝の大作で、乾漆と言う技法が用いられており、展示される機会が少なかった、今回の寄贈を受けて観られることは嬉しい。
(写真は、昭和48年・1973年に県立美術博物館で開催された「後藤清一彫刻展」の図録からの複写で観づらいのは残念だが、是非とも現物を観てほしい。

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展覧会開催時の後藤清一さん(昭和48年・1973年 80歳)


参考までに

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『薫染』(木彫・1941年作)
李王家に買い上げられ戦前に海を渡った。
第二次大戦と朝鮮戦争により作品の存在を確かめることは出来なかったが、2005年に開館した韓国中央美術館に日本室に展示されていることが分かった。

  1. 2016/08/04(木) 10:45:00|
  2. 後藤清一
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芋銭の菩提寺 「得月院」 @牛久市城中町258

芋銭の菩提寺 「得月院」 @牛久市城中町258

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旧・牛久城の大手門・陣屋近くの芋銭の菩提寺 「得月院」


小川 芋銭(おがわ うせん)は1868年3月11日(慶応4年2月18日) - 1938年(昭和13年)12月17日)19世紀から20世紀前半にかけて活躍した日本の日本画家。

芋銭

小川芋銭「河童百図<因指見月>」 昭和12年 茨城県立近代美術館蔵 


水辺の生き物や魑魅魍魎への関心も高く、特に河童の絵を多く残したことから「河童の芋銭」として知られている。
絵筆を執る傍ら、「牛里」の号で俳人としても活発に活動した。
長塚節や山村暮鳥、野口雨情などとも交流があった。

小川家は常陸国牛久藩の大目付であったが、廃藩置県により新治県城中村(現在の茨城県牛久市城中町)に移り農家となった。
最初は洋画を学び、尾崎行雄の推挙を受け朝野新聞社に入社、挿絵や漫画を描いていたが、後に本格的な日本画を目指し、川端龍子らと珊瑚会を結成。
横山大観に認められ、日本美術院同人となった経歴を持つ。

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旧牛久城の大手門・陣屋近くの「得月院」本堂。

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小川家墓地。


今回、山本 哲士さんの案内で芋銭の暮らした牛久沼を歩いたが、牛久沼の地理的・行政的な特殊性を感じた。


牛久沼(うしくぬま)は、茨城県龍ケ崎市にある一級河川利根川水系の小貝川支流に含まれる沼。

牛久周辺

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沼に近い牛久市と同じ名前であるが、全域が龍ケ崎市の区域内だが、接する自治体は牛久市、つくば市、取手市、つくばみらい市。
従って、沼畔の道路を走っていると、頻繁に市の標識が変ることで実感する。

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「抱樸舎」(ほうぼくしゃ)

「雲魚亭」の数軒先に住井 すゑ(すみい すえ、1902年 - 1997年)の「抱樸舎」が在る。住井は、奈良県出身の小説家で代表作は『橋のない川』。被差別部落出身ではないが部落差別について取り組んだ。
自宅敷地内に「抱樸舎」(ほうぼくしゃ)を建て、人間平等思想の学習会を行った。

7月9日(土)催行の【Tabi-ぶら】番外編<アイツんとこに行ってみようか。to 牛久&石岡>の参加記録です。
  1. 2016/07/10(日) 20:40:36|
  2. 後藤清一
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プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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