よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

江戸東京博物館・常設展@東京都墨田区横網

江戸東京博物館・常設展@東京都墨田区横網

「江戸東京博物館」は「江戸と東京の歴史や文化を伝える博物館」として平成5年(1993年)に開館した。
JR両国駅から徒歩3分で、国技館の隣に位置している。
清澄通りの都営地下鉄・大江戸線ならば「両国駅」下車で眼の前。

「江戸と東京の歴史や文化を伝える博物館」として平成5年(1993年)に開館した東京都立の博物館。

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2階の入り口から長いエススカレーターで。
建物の設計は菊竹清訓で、地上7階、地下1階の鉄骨造構造。
地上部分の高さは約62mで、江戸城の天守閣とほぼ同じと云うから、江戸城が如何に大きかったかを推測できる。
隣接する国技館との調和を考え、高床式のユニークな構造の建物になっているが、東京下町の景観を損ねているとの批判もあるように、疑問に思う設計。

これまで企画展を観るため何度か訪れたが、今回は「常設展」だけを観ることに。博物館や美術館の展示は企画展が主体だが、どっこい「常設展」は侮れない。美術や歴史が系統たって展示されているうえ、貴重な資料も多い。
しかも、料金は格安だ。

常設展示室は吹き抜け構造の5・6階で「江戸ゾーン」と「東京ゾーン」に分かれる。興味を感じるのは、勿論、江戸ゾーン。

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日本橋(縮尺1/1)の模型、

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中村座(縮尺1/1)の模型、

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日本橋周辺の商家などの大型模型。

長屋の大型模型、江戸時代に庶民の暮らしぶりが再現されている。
「九尺二間」の長屋が一般的。

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間口が9尺(約2.7m)、奥行きが2間(約3.6m)の大きさで、そのうち約1畳半を土間として、4畳半を部屋として区画されている。かなり狭い空間だ。
「深川江戸資料館」にも再現されている。

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北斎の部屋の再現と云う設定。

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浮世絵に描かれた「蕎麦屋」「鮨屋」。

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絵を基に再現した屋台。

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江戸時代の東回りの航路では、茨城の「平潟」や「那珂湊」は重要な港湾だった。

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江戸時代は「循環社会」で、何でもほぼ捨てること無い状況で使用された。
着物の布地を例とした説明。

これらはほんの一部で、沢山の資料や模造品などが展示されている。

現在の館長は建築史家・建築家の藤森照信。
今年、水戸芸術館で特別展も行われたユニークな存在だが、どの様に関わっておられるのか。
  1. 2017/08/18(金) 19:26:41|
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「タイ ~仏の国の輝き~」展@東京国立博物館・平成館

「タイ ~仏の国の輝き~」展@東京国立博物館・平成館
2017年7月4日 ~ 8月27日


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今年(2017年)は日タイ修好130周年で、修好記念事業として開催された。
タイと日本は山田長政の話もあるように、かなり昔からの交流が有り、宋胡録 (すんころく)の器は茶道具として古くから使用されている。
タイは仏教国で人々の暮らしの中で大きな存在で、長い歴史のなかで多様な仏教文化が花開いた。

第1章 タイ前夜 古代の仏教世界。
現在のタイの国土は、タイ族の国が興る以前インド文明を取り入れながら、独自の文化を育んだ国々があった。国境線も何度も移動を重ねてきた。

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ナーガ上の仏陀坐像。
スラートターニー県チャイヤー郡ワット・ウィアン伝来
シュリーヴィジャヤ様式 12世紀末~13世紀 バンコク国立博物館蔵
クメール美術と融合した精緻な美。

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法輪
スパンブリー県ウートーン遺跡第11号仏塔跡出土。
ドヴァーラヴァティー時代 7世紀 ウートーン国立博物館蔵


第2章 スコータイ。

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仏陀坐像。
スコータイ時代 15世紀 サワンウォーラナーヨック国立博物館蔵
●面長のお顔に穏やかな笑みを浮かべ、ゆったりと坐す仏陀像。

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仏陀遊行像
スコータイ時代 14 ~15世紀 サワンウォーラナーヨック国立博物館蔵
●軽やかに片足を踏み出し、歩みを進める仏陀像。

第3章 アユタヤー 輝ける交易の都。

アユタヤーは14世紀半ばから400年にわたり国際交易国家として繁栄した。
アユタヤーを訪ねた時、日本人町の跡地には石碑が立てられ、簡単な記念館が開設されていたような記憶がある。

第4章 シャム 日本人の見た南方の夢


第5章 ラタナコーシン インドラ神の宝蔵

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ラーマ2世王作の大扉、この扉だけ写真撮影が可、だった。
5.6メートルを超えるこの大きな扉は、1807年に創建されたワット・スタットという第一級王室寺院の正面を飾っていたもの。

チーク材の扉の表側には、天界の雪山に住むとされるさまざまな動物たちが重層的に表わされている。

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扉の部分に描かれた絵。

●タイ料理に嵌って何度かタイに旅した。
バンコックの空港の強烈な熱風と熱帯の匂い。
街中の至る所に在る「屋台」の料理の数々。
市場でタイカレーの基のペーストや食材を買った。
チャトチャの大きな市場の中を布地や雑貨を探し廻った。
2000年『ザ・ビーチ』の小説・映画が話題になっていた頃だ。
沢木耕太郎の『深夜特急』の旅に憧れ、バックパッカーの聖地と言える「カオサンストリート」は、既に観光地化していたが、その先の旅を夢見。
バンコック市内、アユタヤ、チェンマイの寺院と仏像などを巡って日本の仏像との違いを感じた、
今となっては良き思い出だが、今の季節になれば、なおさら懐かしい。

タイを訪れたにもかかわらず、如何なる国かについて詳しくは分からずなかったので、今回は良い機会だった。

  1. 2017/08/15(火) 17:26:04|
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「空海と高野山の至宝展」@仙台市博物館

「空海と高野山の至宝展」@仙台市博物館
7月1日~8月27日
夏の《みちのく》へ、其の十


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「空海と高野山の至宝展」が開催されている仙台市博物館は広大な仙台城址の一画で、大手門のすぐ下に在る。
さすが、仙台藩62万石。実高100万石と云われた面影が遺されている場所だ。

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弘法大師像
高野山は平安時代の弘仁10年(819年)頃より弘法大師・空海(774年-835年)が修行の場として開いた高野山真言宗の本山で、比叡山と並び日本仏教における聖地。

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重文 孔雀明王像(快慶作)一躯

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金剛三鈷杵。伝弘法大師所持。

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金念珠。弘法大師所持と伝えられる、純金の念珠。

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国宝 諸尊仏龕 金剛峯寺 中国唐時代
弘法大師空海が中国から請来されたと伝えるもので、七世紀頃の作。
香木(白檀材)を三分割し、それぞれを蝶番でつなぎ、釈迦如来を中心にして諸菩薩などを細かく彫刻する。

国宝の阿弥陀来迎図や八大童子立像など、国宝が目白押しだったが密教法具の優品が素晴らしかった。

2015年7月に高野山に詣でた。
1932(昭和7)年に再建された金堂は高野山一山の総本堂。

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四隅の八供養菩薩と堂裏の壁面は、笠間出身の木村武山の筆。
武山は仏画の画家として名高く、茨城県人として光栄に思えた。


今回と同様、「東日本大震災復興祈念特別展」として2014年7月~8月仙台市博物館で開催された「室生寺展は十一面観音菩薩立像(国宝)の優美な面持ちは印象的だった。
光背を外した姿を、間近に見られたのは感激だった

  1. 2017/08/14(月) 21:03:24|
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是川縄文館@八戸市大字是川字横山1

是川縄文館@八戸市大字是川字横山1
夏の《みちのく》へ、其の七


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北海道・北東北の縄文遺跡群として、晩期の「亀ヶ岡」が有名なので時代が下がると思っていたら、近年「三内丸山」の発掘調査などで、紀元前5000年頃からの前期から始まっていた。
今から7000年前で、中国文明・メソポタミア文明と同じ頃だ。
縄文の文化は世界的に評価される時代となった。

三内丸山と亀ヶ岡は青森県だが、同じ青森の「是川」も有名な遺跡で八戸市に在る、以前から訪ねたいと思っていた場所だ。

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「是川縄文館」

八戸市是川字中居の,新井田川に面した低い舌状台地と,その南北両側の低地にひろがる縄文時代晩期の遺跡から出土した遺物を展示してある。

2階の受付で「1時間程度ですが、ボランティアのガイドさんの解説もあります」とのことでお願いした。
お蔭様で、かなりの疑問が解決し納得できた。

1920年から30年にかけて、泉山家の敷地であったこの地を泉山岩次郎・斐次郎兄弟が行った発掘によって著名になった。

泉山家は八戸にて代々紺屋や木綿、古着を営んでいた素封家で銀行やセメント会社なども設立、八戸発展の基礎を作った。
末裔は東京在住で現在も資産家らしい。

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国宝指定の合掌土偶。
座した姿で、当時は座って出産したと推測される資料。

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発掘時の出土状況。

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出土した遺物は縄文時代晩期に東北地方一帯に広がった亀ヶ岡文化の内容を示す代表的な資料が主だが、工芸的な技術がたかい、欠損部分が少なく完形品が多いのが特徴。

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美しい文様で飾られた土器。
非常に繊細かつ大胆な文様は九州から関東へかけての文様より凝っている。
弥生土器にも劣らない。

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香炉。

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土偶。
出産や病気や怪我からの回復、様々な願いや祈りを込めたのだろう。、

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耳飾り、耳たぶに穴を空け直径2~3㎝の輪をはめ込む。

高い工芸技術を示す木製品や漆塗り製品など。

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木胎に漆。木の器に漆を掛ける。

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籃胎漆器。竹類などを編み組した土台に漆を掛ける。

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ベンガラを混ぜて、赤い発色させて塗り固めた漆の技術が5000年以上前に使われていたことに驚く。

縄文時代の文化の豊かさに改めて驚かされた。


  1. 2017/08/11(金) 12:44:02|
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宮沢賢治記念館@花巻市胡四王山

宮沢賢治記念館@花巻市胡四王山
夏の《みちのく》へ、其の二


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眞壁明吉良さんの車に同乗し、盛岡のフランス料理手・シェジャニーを訪れる旅の途中、花巻には「宮沢賢治記念館」が在るので立ち寄ることをお願いした。
何度か岩手県を訪れながら、石川啄木や宮沢賢治の跡をたどる機会が無かった。

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記念館は花巻インターから約20分の距離で、花巻市内を見渡す胡四王山に在った。

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昭和57年(1982年)に開館した宮沢賢治記念館。

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最近、展示空間をリニューアルしたとのこと。

宮沢賢治(1896-1933)は『雨ニモマケズ風ニモマケズ』の詩人、『注文の多い料理店』の童話作家、と云うことくらいしか、知らなかった。

とんでもない話で、農芸化学者・農村青年指導者・法華経信仰の宗教家などなど、全人思想の持ち主で宇宙空間にまで考えが及んでいる。

『世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない』と考えていた。
37年間の短い生涯であったが、没後に次々と発見された草稿は膨大で評価は高まるばかりだ。

宮沢家は県内でも有数の商家で現在も盛業のようだ。
生前の全人的な思想と活動は“おぼっちゃんのお遊び”と冷笑され、なかなか理解されなかった。

恥ずかしながら、今まで賢治の本を読んだことが無かった。
帰宅してから『銀河鉄道の夜』(集英社文庫)を購入し読んでいる。
「やまなし」「いちょうの実」「よだかの星」「ひかりの」素足」「風の又三郎」『銀河鉄道の夜』が収録されている。
全部は読み終えず、巻末の解説や年表などから読み始めているが、業績の奥行きの豊かさ、諸活動の幅の広さに驚かされる。

没後84年、今読んでも古さを感じさせない文体。
方言を生かした書き方をしている部分もあるが、とても読みやすい。
とは言え、万物霊魂のアミニズム、万物照応の宇宙感覚を予感させるところもあるらしく、理解するには難しい点も有りそうだ。

旅に出ると学ぶことが、沢山出てくる。
今まで読んだ本も少なく、考えることもしなかったが、旅は多くを学ぶきっかけとなるのが嬉しい。

  1. 2017/08/03(木) 19:30:47|
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プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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