よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

茨城鉄道展 @水戸市立博物館

茨城鉄道展 @水戸市立博物館
4月1日(日)~5月27日(日)


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水戸市立博物館は、耐震工事のため2年間にわたって休館していたが、工事が終了し,リニューアルオープンした。

2F 歴史・民俗、3F 自然・美術Ⅰ。
4F 企画展として、茨城鉄道に関する展覧会が開催されている。

茨城鉄道は、赤塚(水戸市)─御前山(城里町)間25.2㎞を走っていた私鉄。
大正15(1926)年、赤塚─ 石塚間の開業以来、昭和46(1971)年に最後に残った区間の赤塚─茨城大学前間が営業廃止になるまで、45年間にわたり、地域住民の足として走り続けた。

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写真パネル・パンフレット,運転手や車掌の関連用具、駅舎のジオラマなど多数の資料が展示されてある。

8ミリフィルムで撮影された映像なども放映され、当時の沿線の風景を偲ぶことができる。

乗車体験を持つ方、往時の姿を記憶する人は少なくなった。
廃線後、線路敷の多くは道路に転用され、軌道敷の名残を探すことも難しい。

偶々、今月12日に御前山の知り合い宅を訪ねた。
なるべく、軌道敷きが転用された道路を走るようにコースを選んだ。
交換ポイントらしき場所など、一般道路とは異なる趣があった
後日、資料を基に沿線を訪ねたいと思っている。

●耐震化工事が終了し、新装開店と会って期待をもって出かけた。
予算の都合なのだろうが、2年間を費やしたにも関わらず、柱を中心とした耐震工事が重点で展示空間の照明などは変わらないように見えた。
図書館も同様で、書架の配置など若干変わったようだが変化なし。

文化予算が削減され、購入予算・企画展経費など思うに任せないとは理解できるが、この際、展示空間を含めたリニアールもしてほしかった。
現状は図書館に付属した資料館だ・

佐川元市長の頃、新博物館の構想が動き出したが、次期市長以降は計画は沙汰止み。3階の美術展示室など、広さや照明なども含め、お粗末としか言いようがない。

市民会館に膨大な予算をつぎ込む計画を変更し、独立した新博物館の計画に踏み出すことも選択肢の一つと思う。
新館は歴史と美術に特化して、弘道館に隣接した場所。

考古に関しては、常澄の「埋蔵文化財センター」展示空間を充実させる。
自然は森林公園の展示空間に移し拡充。

機能分散は経費の増加になる危険もあるが、在来設備と人員を有効利用出来る方策を考える。

リニアール後に期待が大きすぎで落胆したが、博物館に対しこれまで考えていたことなどをつらつらと思い出し、書き連ねた。

  1. 2018/04/17(火) 20:10:50|
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「人体―神秘への挑戦―」展 @国立科学博物館

「人体―神秘への挑戦―」展 @国立科学博物館
3月13日(火)~6月17日(日)


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「人体」まさに自分自身の体なのに、考えたことが無かった。
この展覧会は人体を知り、考える良い機会だった。

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万能の天才と言われるレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452 – 1519)は絵画修行の過程で人体解剖学の正式な教育を受け、知識を身につけ、筋肉、腱など、人体の内部構造を描いた多くのドローイングを残している。

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レオナルド・ダ・ヴィンチ
【右】「解剖手稿」より頭部断面,脳と眼の結びつき部分
1490-92年頃(イギリス・ウィンザー城王室コレクション)
【左】「解剖手稿」より消化管と腎臓、そして尿管部分
1508年頃(イギリス・ウィンザー城王室コレクション)

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ヴェサリウスの革命的な解剖図譜『ファブリカ』
アンドレアス・ヴェサリウスは、16世紀の医学・解剖学者。

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防腐処理のなかった当時、迅速かつ正確に自ら人体解剖を行い、従来の伝統にとらわれず自分の目で観察したままの人体の姿を解剖図譜『ファブリカ』に描き出した革命的な書物の初版本(1543年)を展示。

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紙粘土製の人体模型「キンストレーキ」
名前の由来はオランダ語で「人工の死体」、高価な蝋製模型の代用としてフランス人解剖学者オヅーが開発したのがはじまり。
写真右は、加賀藩の蘭学医がオランダ海軍の軍医から購入したフランス製。
日本国内に現存するキンストレーキはわずか4体ですがそのうちの2体を本展で展示。

最新顕微鏡写真。
最先端の映像技術は生きたままの体内を色鮮やかに映し出す蛍光顕微鏡や、超ミクロの世界を立体的にとらえる電子顕微鏡など、これまでの価値観を劇的に変える装置が次々と生み出されている。

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【左】腎臓の「糸球体」
©甲賀大輔・旭川医科大学/日立ハイテクノロジーズ/NHK
【右】精巣の「精細管」
©甲賀大輔・旭川医科大学/NHK

カラフルな写真ということもあるが、人間の臓器が神秘で美しいことに驚く。
人体のミクロの世界から宇宙空間の様な無限の広がりを感じた。
  1. 2018/04/11(水) 15:51:47|
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南方熊楠展@国立科学博物館

南方熊楠展@国立科学博物館
3月4日(日)迄


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「南方熊楠」の生誕150周年を記念した展覧会-100年早かった智の人-が上野の「国立科学博物館」で開催されている。

南方熊楠は、森羅万象を探求した「研究者」とされてきたが、近年の研究では、むしろ広く資料を収集し、蓄積して提供しようとした「情報提供者」として評価されるようになってきた。
本展覧会では、熊楠の活動のキーアイテムである日記・書簡・抜書(さまざまな文献からの筆写ノート)・菌類図譜が展示されている。

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抜書。
古今東西の書物を書き写したもので、ロンドン時代に大英博物館の稀覯書物を写した「ロンドン抜書」52冊、帰国後の「田辺抜書」」62冊がある。
子供の頃に『和漢三才図会』全105巻を筆写しているが、帳面はびっしりと小さな毛筆の文字で埋め尽くされている。現在ならコピーという方法が有るが、かっては筆写だけ、その根気と執念は常人では出来えない。


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日記。
日々の行動を細かく、具体的に感情を交えず日記に付けた。
また、日記には見聞した話や、様々な植物や生き物が描きこまれ、採集記録としても役立っている。

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帰国後の熊楠は、和歌山県の那智や田辺で”隠花植物”(コケやシダ、菌類など花の咲かない植物を総じて指して用いられた昔の言葉)や、民俗の研究にのめりこむ。

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自然保護運動の先駆者
神社を一町村一社にするという「神社合祀令」に対して敢然と論陣を張り、反対運動を展開、廃令に追い込んだ。これらは現代の自然保護運動の先駆者のようにも言われる。
しかしながら、神社の合祀は進み、廃社された神社の森は伐採され、一方、残った神社も人工的な施設と化した。
神社の氏子の減少などや、森の維持管理に経費が掛かり多くの神社が丸裸になっているのが昨今の現状だ。
熊楠の努力と精神を忘れてはならない。

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熊楠使用のフィールドワークの道具を展示。

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熊楠の取り組みには、次のような特徴がある。
1. とにかくたくさん材料(智)を集めること。
2. それぞれの材料をデータ化して扱う。
3. 必要に応じてそのデータを自在に取り出し、処理して提供する。

自然そのものも含む様々なデータソースから集めた膨大なデータを「コピー&ペースト」して、抜書や図譜といった形で独自のデータベースを集積し、それをもとに書簡を通じて意見を交わし、ときに出版物にまとめた。

これはまさに、我々がインターネットを通じて行っている知識の検索と集約と同様で、展覧会タイトルの“100年早かった智の人”だった。

●南方 熊楠(みなかた くまぐす、1867年 - 1941年)は、日本の博物学、生物学、民俗学など森羅万象を探求した研究者で別名「歩く百科事典」。
英語、フランス語、イタリア語、ドイツ語、ラテン語、スペイン語に長けていた他、漢文の読解力も高く、古今東西の文献を渉猟した。
言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、後世に数々の逸話を残した。
  1. 2018/01/24(水) 06:14:55|
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「縄文人の一生-西ヶ原貝塚に生きた人々-」@北区飛鳥山博物館

「縄文人の一生-西ヶ原貝塚に生きた人々-」@北区飛鳥山博物館

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サトリ珈琲店の在る「飛鳥山」は江戸時代からの桜の名所として知られるが、
「紙の博物館」「渋沢史料館」「北区飛鳥山博物館」の3つの博物館も在るのだ。
それぞれ運営団体も内容も異なる3つの博物館だが、地域の歴史・文化との関わりという点で深くつながっている。

北区飛鳥山博物館では「縄文人の一生-西ヶ原貝塚に生きた人々-」展

飛鳥山の辺りは台地の縁で、縄文時代は海との境界線、多くの遺跡が在った場所だ。

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明治25(1892)年に発掘された「西ヶ原貝塚」から出土した遺物の展示。

貝塚は当時のゴミ捨て場。


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縄文人が食べ終えた貝殻や動物の骨、こわれた土器や石器のかけらなどが出土する。
これらを丹念に調べると縄文人が何を食べ、どのように暮らしていたのかを知ることができる。


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埋葬された人骨も発見されている。


主な展示内容
プロローグ 西ヶ原貝塚の発見と発掘
1.生と死の祈り
2.ライフ・生きるー西ヶ原ムラのくらしー
3.遠方より人来る
4.再び祈るー貝塚とは何かー
エピローグ これからの西ヶ原貝塚

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2009年7月から運行が始まった、飛鳥山モノレール「アスカルゴ」
王子駅の脇から飛鳥山公園まで、50メートル足らず。
乗車時間は数分だが、ちょっとした眺めを楽しめる。
  1. 2017/11/29(水) 18:36:47|
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秋の「戸定邸」@松戸市松戸714-1

秋の「戸定邸」@松戸市松戸714-1

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今日(11月9日)の「茨城新聞・いばらき春秋」は松戸の戸定邸を訪問した話だった。


奇しくも、松戸在住の同級生Kさんが墓参のために来水し、久しぶりにお会いすることになっている。

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Kさんは「戸定邸」のボランティアガイドをされ、時折fbに写真をアップする。


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2年前の2015年12月10日、小・中・高からの友人Oさんと戸定邸を訪ねた。
名残の紅葉・黄葉で、それなりの風情があった。

●戸定邸は、水戸藩最後(11代)の藩主徳川昭武が、千葉県東葛飾郡松戸駅(現:松戸市松戸)に造った別邸で国の重要文化財。
1884年(明治17)に完成した建物だが、江戸時代の大名屋敷の雰囲気がある。
庭園は「旧徳川昭武庭園(戸定邸庭園)」として国の名勝に指定。
現在は「戸定が丘歴史公園」として整備されているが、庭園の一部分は現在改修中で立ち入りが出来ないようだ。

  1. 2017/11/09(木) 14:59:54|
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プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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