よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

「早梅を見て、鮟鱇の友酢を食べる」の巻@弘道館~喫茶・花留談

「早梅を見て、鮟鱇の友酢を食べる」の巻@弘道館~喫茶・花留談

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【Tabi-ぶら】主宰の山本さんと「鮟鱇を暫く食べてないよね」との雑談から年が明けたら「八百徳本店で鮟鱇を買って、花留談で食べるのも面白いじゃない」と話が弾んで【Tabi-ぶら】番外編が1月7日(土)に開催された。

鮟鱇と云えば「鍋」を連想するのが定番かもしれないが、水戸では「友酢」が当たり前なのだ。
鮟鱇は骨以外の全てを食べ、俗に「鮟鱇の七つ道具」(肉・肝・水袋(胃)・ぬの(卵巣)・えら・ひれ・皮)をいうことが多いが、それぞれの食感や旨味が異なる。
それらを湯掻いて、酢味噌(鮟鱇の肝を煎って味噌と酢を混ぜる)を付けて食べるのだが、以前は底引き網の副産物で安い魚だったのだが、次第に高級魚となり、めったに食べられないことになってしまった。

冬になれば魚屋や料理屋の店頭では「鮟鱇の吊るし切り」を見ることが出来た。
実の柔らかな鮟鱇を捌くのはお腹に水を入れて吊るして切り分けて行くのだ。

山本さんらしく「鮟鱇の前に弘道館の早梅を楽しんだ後にしましょう」と云う事で弘道館の前に午后3:30頃に集合。

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庭の紅梅の早咲きを愛で、

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早咲きの蠟梅の香りも花も。

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正庁の床の間の「弘道館記」の拓本。
八卦堂内の碑は地震などで破壊され原文を読むことは出来ないだけに、当初の状態の拓本で偲ぶのが良い。

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孔子廟の「鬼龍小」のオリジナル。

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「大日本史」の原本。

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「西の谷」の嘉永7年の街図の複製が展示されてました。
現状と対比すると分かりやすい。

八卦堂から早咲きの梅を眺めて花留談に。
今年は例年より早そうです。

1花留談


2花留談


3花留談

八百徳本店の特製「鮟鱇の友酢」
初めてという方もいましたが懐かしい味を堪能しました。

持ち寄りの一品料理は、蓮・オリーブ・牡蠣のオリーブ漬け・などなど。
どれも美味しかったですよ。

昨年の旅ブラの思い出や、シガの話などなど、

コルテス

中締めの後は、けやき台のジャズ喫茶「コルテス」に移動。
美味しいコーヒーと最高の音響でのジャズ。で今日の出来事をおさらい。



(喫茶・花留談 内の写真は木村 功 (Isao Kimura)さんの撮影による。)


  1. 2017/01/13(金) 08:37:54|
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北斎ゆかりの地を巡る 其の四

北斎ゆかりの地を巡る 其の四

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水神大橋を渡って隅田川の対岸に。
向島方面を望む、墨田公園の後ろのスカイツリー。
墨堤通りの高速道路が目立つ。

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今戸神社

今戸神社の辺り今戸焼(いまどやき)が焼かれた。
日用雑器、茶道具、土人形(今戸人形)、火鉢、植木鉢、瓦等を生産した。
天正年間(1573年–1592年)に生産が始まるといわれる。
現在も土産用として人形の類が生産されている。

水戸でも日用雑貨や人形などを焼いた「台町焼き」が最近まで有った。

今戸焼


歌川広重『名所江戸百景』
今戸の窯から煙が昇り対岸の向嶋の奥に筑波山が望める。

山谷堀公園

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山谷堀(さんやぼり)は江戸初期に荒川の氾濫を防ぐため、箕輪(三ノ輪)から大川(隅田川)への出入口である今戸まで造られた。現在は埋め立てられ、日本堤から隅田川入口までの約700mが台東区立の「山谷堀公園」として整備された。
江戸時代には、新吉原遊郭への水上路として、隅田川から遊郭入口の大門近くまで猪牙舟が遊客を乗せて行き来し、吉原通いを「山谷通い」とも言った。
落語の世界に良く登場する。

待乳山


山谷堀入口から待乳山を望む。(明治中期)

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待乳山聖天(まつちやましょうでん)。

隅田川べりの小高い丘(待乳山)にあり、595年(推古天皇3年)9月に出現して龍が守護したと伝えられ、浅草寺の山号(金龍山)の由来となったと伝えられる。601年(推古天皇9年)この地方が旱魃に見舞われたとき、歓喜天と十一面観音が安置されたと伝えられる。
待乳山は、かつては周囲が見渡せる山であり、江戸時代には文人墨客がこの地を訪れている。

池波正太郎生誕地。

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池波正太郎(1923~1990)の生誕地は「待乳山聖天」の南側にあたる。
関東大震災によりこのあたりは焼失し、生家は残されていないが平成19 年(2007年)に記念碑が建立された。

ここから徒歩15分の台東区立中央図書館内に「池波正太郎記念文庫」が在る。

葛飾北斎終焉の地

金龍山 遍照院(東京都台東区浅草6-37-12)
江戸時代に「遍照院長屋」があり、 そこに葛飾北斎が一時住んでいたことがあるといわれる。
探してみたが見当たらなかった。

この日の締めくくりは
蛇骨湯@台東区浅草1-11-11

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江戸切絵図にもある「蛇骨長屋」その地に在るので「蛇骨湯」と言うらしい。
浅草の寿司屋横丁の奥、少々わかりづらい場所だ。

今回で2度目の訪問。
始めて行った時、職人さんの多い街と言う土地柄か刺青のお客が多いのに驚いた。
温泉などで「刺青・タトゥーはご遠慮下さい」等の場合があるが、ここはOKだ。

沸かし湯ではあるが、温泉法第2条に適応する、「メタけい酸」及び「重炭酸ソーダ」の天然温泉。
黒褐色澄明、微塩味無臭の通称「黒湯」と呼ばれる温泉。

黒湯は、火山性の温泉と異なり、古生代に埋もれた草や木の葉の成分が地下水に溶け込むことによりできた冷鉱泉。茨城県では鉾田の健康センターが同質、
混雑しているので長湯は出来なかったが、正月2日の初旅の疲れを充分に癒すことが出来た。
  1. 2017/01/10(火) 22:42:48|
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北斎ゆかりの地を巡る 其の参

北斎ゆかりの地を巡る 其の参

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向島百花園

文化元(1804)年、骨董商の佐原菊塢(さはらきくう)が日本古来の草木を集め、幕臣の多賀家屋敷跡に造園した庭園。名称は江戸後期の画家酒井抱一が「梅は百花のさきがけ」の意から名付けたとされる。
当初は360本の梅が主体で、亀戸梅屋敷に対して、新梅屋敷とも呼ばれた。
現在は都営庭園となり、国の史跡・名勝に指定されている。

百花園

広重:東都三十六景「 向しま花屋敷七草」

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白髯神社

向島百花園から徒歩5分位。
江戸時代は寺島村と呼ばれナスの産地として有名だった。

白髯今戸・

隅田川両岸の風景を描いた北斎狂歌絵本の『絵本隅田川両岸一覧』
の『白髭の翟松今戸の夕烟』
今戸(現台東区今戸)の瓦焼きの様子と対岸の白髭明神社(現・白鬚神社)の鎮守の森が描かれている。

法泉寺

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禅宗曹洞派・駒込吉祥寺の末寺。

法泉寺

参詣の様子を描いた『寺島法泉寺詣』
縁結びの神である金勢大明神の幟や石柱があります。法泉寺が金勢大明神を祀っていた記録が他になく、貴重な資料ともいわれています。

隅田川神社

隅田川神社の周辺は、かつて水神の森と呼ばれるくらい樹木が生い茂っていた。

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後に高速6号線の高架道。
河川改修で境内も狭くなったらしく、本殿も小さい。

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「水神宮」の碑、今やその面影は無い。


木母寺

梅若伝説ゆかりの地。
「たずね来て問はばこたえよ都鳥すみだ河原の露ときえぬと」
能「隅田川」の文学的旧跡、江戸時代には梅若山王権現の霊地として尊信された。

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ひと頃は廃寺となった事や河川改修で場所も移ったので本堂は現代的な建物。

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三遊塚 

三遊亭円朝が明治22年、先師(初代)三遊亭円生を追福する為、木母寺に建立した。

  1. 2017/01/06(金) 18:36:19|
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北斎ゆかりの地を巡る 其の弐

北斎ゆかりの地を巡る 其の弐

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隅田川沿いの墨堤通りは高速バス「水戸~東京線」の通り道。
向島インターを降りれば「言問団子」「長命寺の桜餅」旧水戸藩下屋敷の「墨田公園」を目にするが、道路の外側の街は見えない。
しかし、墨田公園から牛嶋神社さらには三囲神社~弘福寺~長命寺あたりの向嶋は社寺や洒落た料亭もあり、更には文人墨客の旧居跡も残る。


三囲神社(みめぐりじんじゃ)

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天保14(1843年)の絵図には「三囲稲荷社」とあり、発端は稲荷神社。
寛政11(1799)年に行われた御開帳に北斎が描いた提灯12張りと大きな絵額が評判を呼んだというが、現存しないのは仕方がない事だろう。

越後屋の三井家では、享保年間(1716年~1735年)に三囲神社を江戸における守護社と定め、援助して以来、現在まで連綿と続いている。
池袋三越の前のライオン像も今では境内に。

三囲神社のある向嶋が、三井の本拠である江戸本町から見て東北の方角にあり、鬼門だったことと、三囲神社の“囲”の文字に三井の“井”が入っているため、「三井を守る」と考えられたためだ。

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三囲神社の境内には越後屋(三越)関連や狐・お稲荷さん等と共に多くの句碑や顕彰碑などが沢山あることも特徴だろう。

誰が何を目的とした碑か分からないし読めないのが並んでいる。

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其角の句碑。
山吹も柳の糸のはらミかな 晋其角

三囲神社は隅田川を挟んで浅草側の山谷堀と向き合っている。

Mimeguri[1]


背景に三囲神社の鳥居が覗く。(歌川国貞画・1853)
対岸から見ると、鳥居が堤から奇妙に頭だけ出しているように見え、浮世絵などに好んで描かれた。
現在より川幅も狭く土手も低かったので見えたのだろうが。

三囲神社から弘福寺にかけては向嶋の花柳街。
芸者さんもいるので「向嶋墨堤組合」(検番)も在る。

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弘福寺 黄檗宗の寺院。
現在は墨田公園内の牛嶋神社は以前にはこの辺りに在った。

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長命寺
天台宗の寺院、敷地の大半は併設の幼稚園が占め本堂は小さい。

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長命寺の傍にある「山本や」の「桜もち」
享保2(1717)年、墨堤の大山桜の葉を樽の中に塩漬けにして「桜もち」というものを考案し、長命寺の門前にて売り始め名物に。
  1. 2017/01/06(金) 06:31:25|
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北斎ゆかりの地を巡る 其の壱

北斎ゆかりの地を巡る 其の壱

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東博の新春展を観てから、隅田川東岸の北斎ゆかりの地を巡るポタリングのスタートは旧水戸藩下屋敷(本所小梅村)の(現)隅田公園。
当時の屋敷の約半分が公園敷地となっている。

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明治時代になって下屋敷が上げ地として返還された後も水戸徳川家がどの程度使用していたか、詳しいことは分からないが、入り口の掲示板には屋敷の門の写真などが掲示されてある。

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門柱の一部が公園入口に現存している。


水戸徳川家当主が関東大震災で家が全壊するまでこの地に住んだらしい。

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明治天皇行幸の碑と明治天皇御製の歌碑。


藩邸の庭園を修復したものか?

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雪見灯篭と松に雪吊り。

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池には都鳥(ユリカモメ)が飛来してる。
水戸の千波湖にも多くなった。

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牛嶋神社
大正12年関東大震災で社殿が炎上、向島の須崎から昭和7年の墨田公園の開設に伴い現在地に遷座した。

祭神「須佐之男命厄神退治之図」を描いた絵馬を北斎が寄進したが関東大震災で焼失した。
 幅約2m76cm×縦約1m26cmという北斎晩年最大級の傑作。

復元図


凸版印刷が最先端のデジタル技術と伝統技術・学術知見の融合で、約100年ぶりに復元し「すみだ北斎美術館」に展示されている。 
  1. 2017/01/04(水) 14:53:21|
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プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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