よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

旧東海道品川宿・其の2@東京都品川区

旧東海道品川宿・其の2@東京都品川区

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「品川寺(ほんせんじ)」の地蔵菩薩。 
江戸の出入口6箇所に旅の安全を祈願して造立・設置された地蔵菩薩。
宝永5年(1708)に建立され、江戸六地蔵で1番古い。

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鮫洲の辺りの古建築。
戦災に遭わなかった地区もあり、大正~昭和初期の建築物が遺されている。

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坂本龍馬像
「京急・立会川駅」の品川区立北浜川児童遊園に設置された龍馬像。
この辺りに土佐藩の下屋敷が在り、二十歳頃の龍馬が警護のために土佐と往来していたことに由来する。

鈴ヶ森刑場跡。

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江戸時代には、江戸の北の入口(日光街道)沿いに設置されていた小塚原刑場とともに、南の入口(東海道)沿いに設置されていた刑場であった鈴ヶ森刑場。

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由比正雪の乱に加担した、丸橋忠弥や八百屋お七が処刑された。
220年の間に10万人から20万人もの罪人が処刑されたと言われているが、はっきりした記録は残されていない。

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今見れば単なる遺跡であるが、当時は磔・さらし首など、見せしめのため残酷な処刑で、かなり凄惨であったはず。
更には、えん罪なども多かったであろう。

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それを思えば。観光気分での見学はかなり複雑。

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この日の「東海道・品川宿」散策は「鈴ヶ森刑場跡」で終了。

第一京浜国道を横断して「大森貝塚」に向かう。
  1. 2018/06/25(月) 06:10:56|
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旧東海道品川宿・其のⅠ@東京都品川区

旧東海道品川宿・其のⅠ@東京都品川区

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旧水戸街道を含め、旧街道の街を途切れ途切れでもいいから散策したいと思っている。

東海道五十三次の宿場の第一宿の「品川宿」は京急本線の北品川駅から南は青物横丁駅周辺までの旧東海道沿い一帯に広がっていた。
目黒川を境に、それより北が北品川宿、南が南品川宿と呼ばれた。

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JR品川駅周辺、当時は海が埋め立てられ、高層ビルが林立。

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徒歩10分の「八山橋」辺りが品川宿の入り口。


品川宿は中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、日光街道・奥州街道の千住宿と並んで江戸四宿と呼ばれた。

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「品川 日乃出」
歌川広重 『東海道五十三次』 より
御殿山の麓を通過する大名行列の最後尾を描いている。

北は京急本線の北品川駅から南は青物横丁駅周辺までの旧東海道沿い一帯に広がっていた。

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「鯨塚」当時の海岸線、時にはクジラの姿も見られたのだろう。

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沿道には大小のお寺さんも多い。

品川宿は五街道の中でも重要視された東海道の初宿。
西国へ通じる陸海両路の江戸の玄関口として賑わい、旅籠屋数や参勤交代の大名通過数において他の江戸四宿と比べ数多かった。

古典落語の廓噺(居残り佐平次、品川心中等)の舞台。
他の宿場がそうであったように岡場所(色町、遊廓、飯盛旅籠)としても賑わい「北の吉原、南の品川」と称されるほど一大遊興地として繁栄した。
昭和30年代までその痕跡があったようだが、今や全く感じられない。

現状からは往時の賑わいを想像しようもないほどに静かな町並みだ。

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目黒川に架かる「品川橋」

宿場の中央に位置し橋の左右が北品川宿、南品川宿と呼ばれた。

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川の上流が目黒方面。

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夜は小料理、昼は定食の店で「穴子膳」.
古い塗碗や器を使用した趣味の良い、こじんまりした店だった。
  1. 2018/06/24(日) 07:05:37|
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東海道の松並木@大磯

東海道の松並木@大磯

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「鴫立庵」の前を通る国道1号線を左に折れ、小田原方面へ向かう上り坂。
上りきった大磯中学校の辺りから東海道の松並木が残され、遊歩道が整備されてある。

さらに2キロ行けば、吉田茂の旧邸があるようだ。

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歌川広重の「東海道五十三次・大磯宿」

江戸時代の旧街道の絵図には、必ず松並木の風景が描かれてある。
日本の風土には松がよく似合うと思う。
茨城県内各地や水戸近辺にも松並木や松林が沢山あったが、松くい虫などの被害でかなり少なくなってしまった。

松は手入れが難しく、虫害を受けるからなのか?
新たに植えられないのは残念だ。

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樹齢数百年、直径1メートルも有りそうな巨木が何本もある。
日光や箱根の見事な杉並木は見ているが、これほどの松並木を見たのは初めて。

街道の1本裏通りを散策すれば、石垣もあったりする落ち着いた路地。 

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住宅なのか、別荘なのか?
瀟洒な庭と家々、如何なる人たちの棲み処なのだろう。


お伊勢参りの帰途、伊勢を早朝に発って名古屋を経由し豊橋で下車し朝食をとった。浜松・島田と下車を重ね駅前を散策した。
わずかの時間とはいえ、通過するのと降り立つのはかなり異なる。
途中下車が可能なのが「青春18切符」の大きな特徴。

大磯では念願の「鴫立庵」を訪れ、旧東海道の松並木も体験できた。

  花の下は花の風吹き西行忌   村山古郷
  三夕の一夕の浦西行忌     阿波野青畝
  大磯に一庵のあり西行忌    草間時彦
  

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大磯駅に向かう国道沿いに、古い商家を改築した「CHAIRO Curry」
古民家カフェなのだろうが、カレーがウリのようだ。

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ギネスを飲みながら遅めの昼食というより夕食。

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スパイシーで好みの味のカレーだった。
雑穀入りのご飯も美味しかった。

●慶長5年(1600)の関が原の合戦に勝利をおさめた徳川家康は、慶長6年には東海道に宿駅の制度を設け整備を行った。
慶長9年には36町を1里(約3.9キロメートル)として一里塚をつくり、街道筋にはマツやエノキなどが植えられた。
●従って、東海道本線の車窓からはあちこちの松並木が遠望できる。
どこの松並木とは特定できないが、機会が有れば最寄りの駅から歩いてみたいと思っていたのが、今回実現した。
広重の「東海道五十三次」の版画に登場する場所を訪ね、現代の街道と対比する旅を、こまめに続けたい。

  1. 2018/04/10(火) 17:57:34|
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旧水戸街道・土浦宿

旧水戸街道・土浦宿

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青春18切符は、普通切符ではできなくなってしまった、途中下車できる利点がある。東京からの帰途、土浦で途中下車した。

土浦は城下町であったほか、霞ヶ浦水運の拠点地でもあり物資集積地としても栄えたので、中城通り(旧水戸街道)にかつての豪商の建物や蔵・寺社仏閣などが。

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天ぷら ほたて。
中城通り(旧水戸街道)に面した角店で、100年以上の歴史を有するてんぷら屋。
寄棟造りの木造2階建て、明治の町家という風情が漂っている。
一度は入ってみたいと思っている。

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まちかど蔵「野村」。

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「野村」脇の路地、この先に不動院・琴平神社。

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中城通り。
この通りの奥に「そば処・吾妻庵本店」が在る。
水戸の「吾妻庵」の本店にあたるらしいので、この店も一度は訪ねたい。

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土浦城(現在は亀城公園)

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古地図を見れば、城を中心に掘割が巡り、水に浮かぶ亀の姿に見えるので「亀城」と呼ばれたことを彷彿させる。

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亀城公園の濠を挟んで「城藤茶店」の暖簾。

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上がり框からの店内、古民家カフェだった。

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あちこちに書棚や本が沢山、ブックカフェでもあるようだ。

朝8時からの営業で食事メニューもある。

東京からの朝帰り。

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朝食を兼ねて地元産のレンコンも入った、ヒヨコマメのカレーセットを注文した。

とても感じの良い店で、亀城公園を眺めながら、ゆったりと寛げた。
水戸でも弘道館や偕楽園の近くに、このような店が在れば、と思った。


●水戸街道は千住宿を基点に、松戸宿、取手宿、土浦宿…と経て、水戸に至る約116㎞の行程。
水戸徳川家と江戸を直結する幹線道路として、五街道に次ぐ重要な存在だった。
しかしながら、往時の面影を遺す場所は少ない。

土浦には、土浦城(現在は亀城公園)をはじめ、中城通り(旧水戸街道)に商家や蔵、神社仏閣などが残る。
  1. 2018/04/07(土) 14:22:09|
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二見興玉神社「お伊勢参り」其の8

二見興玉神社「お伊勢参り」其の8

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二見興玉神社の夫婦岩。

河崎地区から二見浦までは約4キロ、田園地帯を走るが早くも初夏の感じだ。
かつて伊勢神宮を参拝する人たちが身を清める場所として、また、神宮参詣者たちの宿泊場所としても栄えた名勝二見浦。
二見興玉神社まで続く夫婦岩表参道(旅館街)には、木造三階建ての純和風旅館が軒を連ねるが、盛況には感じられず静寂に思えた。


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参道沿いの松林は風情がある。

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二見興玉神社の御神体は海底にあり、その御神体を遥拝するかたちで夫婦岩が鳥居となっている、とのこと。

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二見浦随一の観光名所として有名な夫婦岩。
海辺はそこの砂まで見えるほどに清らか、岸辺から海底の御神体に心からの感謝を、

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遥拝がすんで、神社に近いお休みどころに「伊勢漁港・穴子丼」の看板。

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穴子と伊勢うどんのセットを注文。
伊勢はうどんも名物らしく、あちこちで看板を見かけた。

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ウニも付いている。
観光地の食堂にしては丁寧な作りで、十分に満足。


エネルギーを補給したので、鳥羽まで足を延ばすことに。
鳥羽までは約9キロの道のりだ。

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「伊勢志摩国立公園」の海岸線は風光明媚。

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見え隠れする湾は誠に穏やか、真珠貝養殖の筏か?

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鳥羽駅に到着。

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ミキモト真珠島への橋。
時間もないので見学しないで伊勢に戻ることに。


朝の7時頃に旅館を発って、日没頃に無事帰還。
  1. 2018/04/03(火) 02:45:31|
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プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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