よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

木原城址「Tabi-ぶら in 美浦村」其の6

木原城址「Tabi-ぶら in 美浦村」其の6
「木原の城跡の土塁と堀&霞ヶ浦眺望」
木原城山公園@稲敷郡美浦村木原1665


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霞ヶ浦南岸の城址は、三曲輪、二曲輪、詰曲輪(本丸)と奥に行くに従って標高が低くなる。北は霞ヶ浦に連なる湿地帯や池となり、南側には堀や土塁などが配され、厳重な防衛線を持つ城跡。
いつ、誰が築いたか定かではないが、一説には戦国時代末期、江戸崎城主・土岐氏の家来、近藤氏の築城と伝えられる。

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平成5・6年の発掘調査では、堀や土塁、15世紀の猿投の陶器、観音像など、歴史をひも解く貴重な発見が相次ぎ、かなりの豪族と推測される。


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展望台から見晴らしは絶景。

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筑波や土浦の市内を望むことが出来る。

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土塁の紅い藪椿が風に揺れていた。

写真を撮れなかったが、深い壕も見事だった。
壕の下から眺める遊歩道を作れば、かなりの名所になりえる。

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成田へ着陸する飛行機はこの城址の上空で直角に近く曲がる。
従って近づいてさらに方向を変える長い時間を見ることが出来る。
着陸態勢に入る低空飛行ゆえに機体が良く見える。

同行した鈴木靖さんは「《フライトレーダー24》のアプリで見れば、航空会社・機種・発着地・予定時間まで分かりますと」とスマホを起動、2~3分おきに飛来する飛行機の情報が全て記されていた。

これを見ながら、空を見上げれば1日中でも見飽きない。
驚くべき時代だ。

木原城山公園を持って、この日の行程が完了。
山本さんはじめ旅ブラの素晴らしい仲間と元美浦村村長・市川紀行さん等の「陸平よいしょの会」の皆様方の心からのおもてなしに感謝。
有難うございました。


  1. 2017/03/16(木) 15:01:21|
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里山交流館のおもてなし。「Tabi-ぶら in 美浦村」其の4 

里山交流館のおもてなし。
「Tabi-ぶら in 美浦村」其の4 


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「美浦村文化財センター」で発掘品を拝見し、説明を聞いて貝塚に。

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貝塚への途中に「里山交流館」と云う木造の施設が在る。

ここが本日のお食事処。

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食後に記念撮影をしました。

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美浦村のボランテア団体「陸平をヨイショする会」の皆様が手作りした料理の数々。

机の上には”紫はなな”という花が飾られ、器はセンターで体験できる縄文土器作りの作品。

箸置きは竹の枝をカットした素敵な品だ。

極上の香りに包まれたホイル焼きは、地元産の野菜がたっぷり。
鶏肉の塩麹漬け。
山本さん特注の「クラムチャウダー」は縄文人が食べたであろうアサリを使用。
今はこの辺りでアサリは獲れないが、縄文時代は海面が5メートル位高かった。
古東京湾と呼ばれた海は広大で、陸平貝塚は正にその跡。

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「陸平をヨイショする会」の皆さんが栽培している古代米を竈で炊き上げたご飯。
おこげも沢山出来たので食後に、醬油でおにぎりにしました。

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デザートは「縄文クッキー」椎の実を晒して砕いて小麦粉に混ぜて焼き上げてあります。
小麦は縄文時代にはありませんでした。お米も無かったですね。
そう、コーヒーも当時は有りませんでしたが。

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元美浦村村長・市川紀行さんは「陸平貝塚の保存と活用」に長い間尽力されている。
村内のゴルフ場でプレーするゴルファーから幾何かの環境保全の料金を預かり、遺跡の保存費用に充てるシステムを作った。
そのおかげで、ゴルフ場が在りながら乱開発を免れ豊かな自然と共存している。

《水戸市の佐川元市長・東海村の村上元村長・美浦村の市川元村長に類する首長は出現しなのが残念だ
昨日(3月2日)の国会審議、安部首相や麻生財務大臣の答弁はお笑芸番組以上に笑ってしまった。
これで国会の審議なの。誠意を感じられない馬鹿にしたような答弁。
アメリカのトランプ大統領を揶揄した報道が多いが、アメリカの国会審議、こんなバカな話は通らないだろう。》

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ミニトマトとシイタケのオーブン焼き。

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炭を熾し、美浦名産の「マッシュルーム」をあぶって、醬油とオリーブオイルを垂らした香ばしい匂い。

写真には有りませんが特大・直径10㎝のジャンボマッシュルームは絶品でした。

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更には、山本さんが地元のケーキ屋さんに特注した、マドレーヌ。
これまた、普通の品ではありませんでした。

こんなにご馳走になっていいのかな?
と云うほどの「おもてなし」
正に、縄文時代をテーマとした「昼の宴」でした。

  1. 2017/03/02(木) 12:40:17|
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ジャズ喫茶ちぐさ@横浜市中区野毛町2-94

ジャズ喫茶ちぐさ@横浜市中区野毛町2-94

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桜木町から「野毛たべもの横丁」に向かう途中に「MODERN JAZZ CHIGUSA」
の文字の書かれたテントがあった。

「CHIGUSA」は老舗のジャズ喫茶で名前は知っていたが、野毛に在るとは思わなかった。食後に、久し振りにジャズ喫茶でコーヒーを飲むことに。
「Bistro Graine Marche」であれこれと食べて飲み、大満足で立ち寄ったらすでに閉店。平日は午後6時までの営業時間でした。

翌日、「親子カフェ・ことろん」を見学させてもらい時代は変わったと、あれこれ思いを巡らした。
有楽町での同窓会に参加する前に桜木町で下車し「ジャズ喫茶ちぐさ」に。

椅子席が約20位か、落ち着いた店だ。
ピアノもあって、時にはライブが。

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大きなスピーカーが中央にドーンと。


昭和8年(1933年)吉田衛(よしだ・まもる)さんが創業。
生涯はジャズと共に在り続けた人物らしい。

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肖像写真のプリントされた皿が、店内を見守っている。

創業当時と場所を移して再建されたが、以前と同じような雰囲気なのだろう。

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現在「ちぐさ」は一般社団法人となり、イベント主催等様々な公的活動を続けながら、ボランテアの人達の協働で営業している。
3人位が働いておられたが、皆さん感じが良い方ばかりだった。

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メニューは飲み物@500円。
生ビール@700円もあり。

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テーブル持ってきて頂いたのは2冊の分厚いレコードリスト。
レコードのタイトル、曲名・演奏者などが纏められ、番号が振られている。
お好きな曲をリクエストください。と云う事で、先着順にかけてくれる。


昔のジャズ喫茶の雰囲気だが、堅苦しさは無く、気軽に過ごせる。
懐かしい気分で、小一時間を過ごして辞した。

横浜のジャズ喫茶のパンフレットが在ったが、現在でもかなりの数が営業している。今も、横浜はジャズの街らしい。

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●昭和35(1960)年に高校を卒業し、新宿の服飾専門学校に入学した。
当時は、アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの「モーニン」や「ブルース・マーチ」がヒットして「モダン・ジャズ」が風靡した時代で、一気に虜になった。
ハンチングを被った黒人ミュージシャンの「ファンキースタイル」憧れ、真似したりしたが、今に思えば笑いたくもなるが懐かしい。
新宿には幾つかのジャズ喫茶があって、学校の帰りは必ず立ち寄り、半日を過ごすようになった。主には南口の「ヨット」か「渚」都電の停留所前の「木馬」辺りだったが、「キーヨ」は敷居が高い店だった。「風月度」は多くの人の溜まり場で、屯していた人の中には後に有名になった人が大勢いる。

レコードや再生装置が高価で普通の家には無かったから、ジャズ喫茶で聴くのが当然の時代だった。
レコードは輸入盤で、手に取って見ることも出来ないので、カウンターの上に置かれたジャケットの絵柄を見て演奏を聴くのだから、プレーヤーの名前も良く分からず、ただ、ひたすら聴くだけ。話をすると厭な顔をされた。

今思えば、もったいない過ごし方をしたものだが、後悔、先に立たず。
以來、当時のままの好みから脱却できずに50年以上が過ぎた。

  1. 2017/02/03(金) 17:21:22|
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野毛たべもの横丁 @横浜市中区野毛町

野毛たべもの横丁 @横浜市中区野毛町

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東博の「春日大社展」、國學院大學博物館の「火炎土器展」、川崎の「ラ チッタデッラ」を巡って、夕方5時「桜木町駅」で中学・高校時代からの友人Fさんご夫妻と待ち合わせた。

今回の旅の発端は「在京35会の新年会に出席しませんか」とFさんからの誘いを受けたことに始まる。昭和35(1960)年に高校を卒業した同窓生で、在京生のゴルフ会が年に数回、開かれて1月は新年会。僕は水戸在住だから出席したことは無いが「前日に横浜で待ち合わせ、野毛の露天風なビストロに行き、その後、我が家に泊まって、翌日、同窓会に行くのはどうか?」との話が纏まったからだ。

徒歩で5分足らずの「野毛」に。
第二次世界大戦終結直後に伊勢佐木町や港湾施設など横浜市の中心部の大半は進駐軍に接収されていた時代でも、野毛は日本人街の中心として機能していた名残で今でもレトロな飲食街が広がっていた。

「野毛たべもの横丁」

横丁は既存の建物を何分割かに仕切って2012(平成24)年の4月にオープンしたらしい。
水戸でも2015年、大工町の川上陶器ビル1階に「みと楽横町」が誕生したが、今は全国の各地に同様なものが出来ている。

野毛

水戸と異なるのは立喰寿司、ホルモン焼、スナック、居酒屋、鉄板焼き、串カツ、ビストロと多様な店が並んでいることかな。


ご案内頂いたのは

ワインとストウブ料理Bistro Graine Marche(ビストログレーヌマルシェ)


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横丁

黒板にメニューが書かれているが、小さな厨房の割には本格的な料理が並んでいる。

料理や飲み物などFさんご夫妻にお任せ。

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前菜から始まって、いろいろと注文されたが、食べるのと話に夢中で雑駁な写真ですが、想像して下さい。

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特に印象的だったのはムール貝の酒蒸し。
久し振りに食べたムール貝はとても旨かった。

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Fさんご夫妻、ご馳走頂き有難うございました。

●桜木町
歴史を辿れば、桜木町は初代横浜駅があり、初代新橋駅があった汐留と並ぶ日本の鉄道発祥地である。
上京した昭和35(1960)年から何度か横浜に行ったが「桜木町」が国電と東横線の終着駅で、中華街には桜木町からタクシーを使った。
駅前の掘割には廃船が繋がれ、廃墟的な雰囲気でもあった。

1964(昭和39年)年に根岸線の桜木町 ~ 磯子間が開業して終着駅ではなくなり、海側は、その後の開発で「みなとみらい地区」が誕生して、かっての面影はまるでなくなり近代的な街に変貌した。

  1. 2017/02/01(水) 18:05:46|
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長浜観音ハウス@台東区上野


長浜観音ハウス@台東区上野


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上野のお山の下に出来た「長浜観音ハウス」滋賀県長浜市が創った情報発信の拠点。
何か月回一度、長浜の観音様がお出ましに。

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高月町横山 横山神社 馬頭観音立像
平安~鎌倉時代 木造 素地 彫眼 像高・99.6cm

馬頭観音でありながら、怒りを内に秘めた静かな表情は、平安時代末期、藤原時代に造られたことを物語る。

青春18切符、冬の陣の第一弾は東京日帰りの旅。
上野から両国へ 其の弐

  1. 2016/12/23(金) 22:51:26|
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プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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