よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

壇上伽藍 @高野山

壇上伽藍 @高野山

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根本大塔
伽藍の中心として816年高野山開創の頃より建設に着手、887年頃に完成した。
高さ50m四面30m。曼荼羅を立体的に配置してある。
現在の建物は1937(昭和12)年再建。外壁は1996(平成8)年に塗り替えられた。

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大塔の内部。

高野山が開かれた当初、諸堂が建立された場所で、奥の院とともに高野山信仰の中心地。
伽藍とは僧侶が集い修業する閑静清浄なところで、諸堂に於いて種々様々な法要が営まれる。

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金堂。
高野山一山の総本堂。年中行事の大半がここで勤修される。
現在の堂は1932(昭和7)年再建。

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四隅の八供養菩薩と堂裏の壁面は、笠間出身の木村武山の筆。
武山は仏画の画家として名高い。茨城県人としては必見の仏様。


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御社(みやしろ)
819年に大師は地主神を祀った。
1522年の再建。

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西塔。
887年、大師が遺された「御図記」に従って大塔に続いて建立。
現在の塔は1834年の再建。

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御影堂(みえどう)
弘法大師空海の御影(肖像画)がおまつりされているので、御影堂と呼ばれている。大師在世中には「念誦堂」とも、「真言堂」「持仏堂」などとも称されていたようだ。現在の建物は弘化5年(1848)。
  1. 2015/07/10(金) 18:58:55|
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総本山 金剛峰寺 @高野山

総本山 金剛峰寺 @高野山

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高野山は今年(2015年)で開創1200年。
4月2日から5月21日までの50日間「 高野山開創1200年記念大法会」が執り行われた。奥の院を案内してくれたガイドさんによると「奥の院の参道は銀座の大通り並みの混雑だった」とのこと。

高野山は標高800m以上の山々に囲まれた東西6㌔南北3㌔の台地に120余の堂塔・寺院を擁する一大宗教集落。
その中心が「総本山 金剛峰寺」全国の高野山真言宗3000ヵ寺の総本山。
総本山金剛峯寺という場合、金剛峯寺だけではなく高野山全体を指すが、狭義としては1863(文久3)年に再建された主殿(本坊)を中心とした寺域。
宗務所が置かれ全山及び全国の末寺を統括している。

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主殿(本坊)。

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記念行事に展示された、木を積み上げたアート作品。

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障壁画に飾られた部屋が沢山。

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蟠龍庭。
四国産の青い花崗岩140個と京都産の白砂。

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広間では茶菓子の接待と講話もあります。

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主殿(本坊)の厨の天井の木組み。

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護符と神棚。
日本の仏教は神仏混交でした。
  1. 2015/07/10(金) 08:43:31|
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一遍上人@清浄光寺(通称遊行寺)

一遍上人@清浄光寺(通称遊行寺)

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藤沢には、鎌倉時代末期に興った浄土教の一宗派「時宗」の清浄光寺(通称遊行寺)が在る。
伊予国(現在の愛媛県)に生まれた一遍上人は、浄土宗を修めたのち新しく独自の宗旨である時宗を興した。
とは言え、一遍には新たな宗派を立宗しようという意図はなく、独自の踊念仏という信仰を生み出し、全国を遊行して貴賤を問わず広く念仏を勧め、民衆の布教に努めた一遍とその仲間は「時衆」と呼ばれ各地で活動したから、何処が本山と云う考えは薄かったようだ。

法灯を継ぐ人を「遊行上人」と呼んだが、三十二世遊行上人他阿普光は、天正19年(1591年)に常陸国の佐竹義宣に招かれ、水戸に水戸藤沢道場(後の神応寺)を建立し、時宗の本拠とした。
今は南町だが旧町名の「藤沢小路」はその名残。こうして短い間だが、遊行派本山となった。当初は寺号がなかったが、清浄光寺再興を受けて寛永10年(1633年)に神応寺と改称し、延宝8年(1680年)に現在の元山町の地に移転した。

一遍上人絵伝

その様な所縁の寺なのでお詣りしたが、寺宝として有名なのが「一遍上人絵伝」一遍聖絵(いっぺんひじりえ)または、一遍上人絵伝(いっぺんしょうにんえでん)。
長時間たって編集される高僧伝と異なり、一遍死後10年に、一遍が遊行した足跡を再確認しつつ、記録を基に、聖戒が一遍に同行した時衆と共に再踏破した後に書かれた物であり、資料的価値が高いので国宝に指定されている。

全巻を観た記憶はないが多くの本に掲載されている。

清浄光寺蔵なのだが、法蔵館に常時展示されているかは未確認。

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20年位前に鵠沼在住の友人を訪れた際にこの寺を一度、お詣りした。
今回、二度目だが奈良や京都の他宗の本山と比べると質素なものだ。
関東と関西の信仰心の多少によるのか、宗派として在り方に拠るのか。

僕は寺社仏閣を訪れた際、何かを願う気持ちよりも、「生かせれて有り難う御座いました」申し上げることが多い。
  1. 2015/02/26(木) 07:51:22|
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早春の東慶寺@鎌倉市山ノ内

早春の東慶寺@鎌倉市山ノ内


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尼寺の歴史を持つ東慶寺は、尼僧好みの優しい小ぶりな仏像が多く残っている。
特に「水月観音菩薩半跏像」は優雅な美しさで知られる。

通常は「水月堂」の中央に安置されている。

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向かって右側の誕生物は後藤清一さんの作だが、鎌倉時代の仏像の隣にあっても見事に調和している。

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東慶寺の仏像を一堂に展観する、年に一度の特別展が2月4日~4月13日まで松岡宝蔵にて開催されている。

毎年この期間を心待ちにしてくださる方が多いが、僕もその一人。
花の寺としても名高い東慶寺の、早春の庭に佇むのは嬉しい。

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23日の日曜日に訪れたので、先週の雪が残る庭の風情は格別だった。
日曜日に訪ねたのは初めてだったが、参拝者の多いのには驚いた。

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山門の手前右側に「東慶寺ギャラリー&ショップ」が出来た。
漆器や陶器など選び抜かれた器が展示販売されている。

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寺域の奥は墓地となっているが、著名人が多いので花が絶えない。
鎌倉時代の五輪の塔が安置された墓地も多い。
写真は、小林秀雄の墓所。
  1. 2014/02/28(金) 17:39:25|
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川端飢人地蔵@福岡市博多区中洲

川端飢人地蔵@福岡市博多区中洲

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福岡市の中心を流れる那珂川。
奇しくも水戸市を流れる那珂川と名前は同じ。
河口の手前に中洲が形成され、「中洲」と呼ばれる飲食街だ。
昼は静かだが、夜になれば歓楽街に一変する。
20数年前、友人たちとのグループ旅行で日常生活とは縁のない「クラブ」と呼ばれるところに入店した。
銀座並みの雰囲気を味わったことは、今も記憶の底に在る。

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ともかく、那珂川の川端の一部は柳並木となっているが、その一角に二階建ての建物の1階に「川端飢人地蔵」が祀られ、花と線香が手向けられていた。
地元の人達が、次々と訪れていた。

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堂内の由来書きには、
享保の飢饉の犠牲者は、九州は筑前の国だけでも9万6千人が亡くなった。
博多の人口、男11,054人、女8,462人、合計19、516人の内、三分の一の約6千人が死亡したとされている。
その餓死・病死し行き倒れになった人たちを、埋葬して、地蔵を建て手厚く弔った飢人地蔵のひとつだとのこと。

不景気といわれる時代だが、幸いなことに、大量の餓死者が出る時代ではない。
その時代の悲惨さを忘れずに、お祀りすることは大切なことだ。

博多の人達が、当たり前のこととして日常の生活に溶け込んでいることに、驚き、自分の暮らしにそれらが欠けていることを猛省した次第。
  1. 2013/06/30(日) 18:57:23|
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プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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