よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

夏目漱石から菊池謙二郎宛ての手紙。

夏目漱石から菊池謙二郎宛ての手紙。

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水戸市泉町のアートセンター「タキタ」1階奥の「ギャラリー」を覗いたら夏目漱石が菊池謙二郎に宛てた手紙の額装が展示されていた。

大正4年9月30日
牛込区早稲田南町7番地より水戸市上梅香7番地、菊池謙二郎宛て。

拝復いつもご無沙汰をしてゐます近頃講演は殆んど遣らぬ事自然なつて仕舞ました是は小生の無精と時間がないのと夫を知つて頼む人が来なくなったからです先年も謝絶今度もお断りでは甚だ済みませんが右の譯で中々遠方へ出かける勇気も余裕も時間も根も有りませんからどうぞご勘弁をねがひます小生は旅行をするといつでも病気をします今春も京都に行って寝ましたまあ廃人の部に属すべき人間です不取敢御返事迄 匆々不一
九月盡
                  夏目金之助
  菊池謙二郎様
       座下

(勿論、手紙文は縦書きで、当時の習慣で句読点はない。漢字は旧字を使用しているがパソコンには無い文字もあるので、当用漢字を使用してある)

『漱石全集』には菊池謙二郎宛ての手紙は7通おさめられているが、この手紙は大正4年9月30日。1916年(大正5年)12月9日に夏目漱石は死去しているので約1年前、漱石最晩年のことだ。
当時、菊池謙二郎は水中(現・水戸一高)の校長であったから、学生に対する講演を漱石に依頼した。体調不良ゆえにことわっているが、旧友からの依頼ゆえ丁寧な断りをしたためた。

明治の文豪・夏目漱石を知らない人はいないだろうが、水戸出身で東京大学の学生時代から正岡子規、秋山真之、夏目漱石らと親交があった菊池 謙二郎)については知らない方も多いように思うので、この書簡の紹介と菊池謙二郎について簡単に記す。

菊池 謙二郎(きくち けんじろう、1867年2月23日(慶応3年1月19日) - 1945年(昭和20年)2月3日)は、日本の教育者、歴史研究者。号は仙湖・枳殻(きこく)庵。

東京大学の学生時代から正岡子規、秋山真之、夏目漱石らと親交があった。
藤田東湖を中心とした水戸学の研究で知られ、衆議院議員も務めた。

1895年(明治28年)28才という若さで、旧制津山中学校の校長に就任。
何校かの校長を経た後に1908年(明治41年)旧制水戸中学校の校長に就任し、13年間近く勤めた。
その間、校是「至誠一貫」「堅忍力行」や校歌などを制定し、現在の水戸一の礎を創った人物。
当時の校是や校歌が現在も使用されていることは驚異的だ。
《小生も卒業生の端くれだが、唱和し、斉唱した》
因みに校歌の1番は
旭輝く日の本の 光栄(はえ)ある今日のそのもと は義人烈士の功績(いさおし)ぞ 忠孝仁義の大道を 貫く至誠あるならば 天地も為に動きなん
*明治41年(校長:菊池謙二郎),10月に校歌の歌詞を生徒から募集したが,1.2等に該当するものがありませんでした。そこで改めて職員から作品を募集し,古賀快象作の今日の校歌が生まれ,11月11日に発表された。現在のものと,若干「行変え」や「仮名ふり」などが違うだけで,現在まで歌い継がれています。(※参考・水戸一高HP)

日を改めて正岡子規『水戸紀行』を基に正岡子規と菊池謙二郎。
漱石からの他の書簡などを調べて報告したい。

  1. 2017/01/17(火) 23:24:24|
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~画狂老人、北斎の晩年~

~画狂老人、北斎の晩年~

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NHKのテレビ日曜美術館「果てしなき夢~画狂老人、北斎の晩年~」
2017年1月15日(日) 20時00分~20時45分を見た。

昨年の暮れ「すみだ北斎美術館」を訪ねたのがきっかけで、正月2日は隅田川沿いの葛飾北斎(1760年~1849年)に所縁のある地を巡るなど北斎への関心が高くなった。「日曜美術館」は北斎の晩年を重点に紹介したので面白かった。

住居や号を頻繁に変えた北斎は75歳から“画狂老人卍”の号を使い始めた。
茶も飲まず酒もたしなまず、ひたすら絵を描くことに打ち込んでいたが、道楽の息子が博打で大金を借金し、その為、貧乏であったことや、乱雑な小部屋で、炬燵に入ったまま一日中絵を描いていた。などのエピソードも紹介された。

飯島虚心が著した『葛飾北斎伝』は晩年の北斎の姿をリアルに描き出している。

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北斎72歳頃からの『富嶽三十六景』

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天保5年(1834年) 「画狂老人(がきょうろうじん)」「卍(まんじ)」の号を用いる。

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『富嶽百景』を手がける。

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信州小布施、上町祭屋台天井絵(桐板着色肉筆画)のうち、『怒涛図』。

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天保13年(1842年) 秋、初めて、信濃国高井郡小布施の高井鴻山邸を訪ねた。
この時、鴻山は自宅に碧漪軒(へきいけん)を建て、北斎を厚遇した。

天保15年(1844年)に小布施に旅し、嘉永元年(1848年)まで滞在。

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信州小布施、上町祭屋台天井絵(桐板着色肉筆画)、『怒涛図』『龍図』『鳳凰図』などを描く。

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『怒涛図』
ダイナミックで86歳とは思えない活力があふれている。

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『鳳凰図』

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『龍図』龍の表情が可愛らしい。


北斎

『富士越龍図』 肉筆画(絹本着色)。
嘉永2年1月(嘉永二己酉年正月辰ノ日。1849年)、
落款は九十老人卍筆。死の3ヶ月ほど前、北斎最晩年の作。
幾何学的山容を見せる白い霊峰・富士の麓を巡り黒雲とともに昇天する龍に自らをなぞらえて、北斎は逝った。

嘉永2年4月18日(1849年5月10日) 江戸・浅草聖天町にある遍照院(浅草寺の子院)境内の仮宅で没する。享年90。
墓所は台東区元浅草の誓教寺。

辞世の句は、
人魂で 行く気散(きさん)じや 夏野原
(その意、「人魂(ひとだま)になって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか」)。

炬燵背に画狂老人龍となる 阿然

  1. 2017/01/16(月) 16:05:39|
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「じゃばら飴」と矢澤 孝樹さん

「じゃばら飴」と矢澤 孝樹さん

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水戸芸術館の音楽担当の学芸員だった矢澤孝樹さんが家庭の事情で実家の甲府に戻られてから5~6年は経とうか?
水戸芸時代は演奏会の企画は勿論、幅広い音楽講座を何度も開かれ、クラッシック音楽から現代音楽まで分かりやすく解説された。
僕も何度か聴講したが、機材を駆使して素人でも十分に理解できるように心を砕かれていた。
その様な姿はおのずと市民に伝わる。

退職されることは水戸市民にとって大きな損失だったが、お家の事情とあっては致し方なかった。
現在は横浜美術館館長を務める逢坂恵理子さんと同様に、辞めるに際し多くの市民から残念がられた学芸員はそう多くはない。

家業の「ニューロン製菓」は飴などのお菓子を製造する会社らしいが、OEM(企業が委託者のブランド(商標)で販売するという条件で、製品・部品を受託生産)なので自社の名前が出ることは少ない。

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偶々、ニューロン製菓が和歌山県北山村から受託した「じゃばら飴」のFB記事に花粉症などにも効能がある成分が入っているとあった。

詳しく云えば「じゃばら」と言う柑橘の果皮から抽出した『ナリルチン』というフラボノイド成分を多く含む濃縮エキスを配合した、ノンシュガーの飴。
1日2~3粒で、アレルギーI型(花粉症、アトピー、喘息等)に対抗出来るナリルチン摂取量が配合されているそうだ。

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面白いと思ってその記事をシェアしたら小学校の同級生から「何処で買えばいいの」と問い合わせ。
村に問い合わせてみればと答えたら、早速購入したらしく味見にと送ってくれた。
シュガーレスで微かな甘みと爽やかな香り、花粉症ではないが喉や鼻に効果が有れば嬉しいことだ。

矢澤さんは実家に戻られ家業に邁進し業績を上げていると同時に、水戸時代の様に、地元の大学や地域での音楽の講座にも関わっておられるようだ。

更には以前からの音楽専門誌への連載やCD批評なども続行されている。
こちらは師であった吉田秀和さんの仕事を引き継がれておられる。

仕事に趣味に、さらに社会との関わりに全力を注ぐ矢澤さんの姿を遠くから拝見(FBなどで)しているが、クリスチャンであること影響もあるのか真面目ににやり過ぎる性格から身体は大丈夫?と案じている。

  1. 2016/12/28(水) 18:30:04|
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トモキ・サンダース

トモキ・サンダース

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水戸市泉町のメキシコ雑貨の店「LA ROSA MEXICANA」に行ったら、黒人の青年に出会った。
日本に一時帰国中でアメリカのバークリー音楽院に在学中とのこと。
ニューヨーク生まれでギリシャで育ち、小学校高学年の時母親の実家の那珂市に移住。那珂二中から太田二高を卒業。その後、バークリー音楽院に進学したというキャリアらしい。詳しく聞いたわけではないから間違いもあるかも。

父親がファラオ・サンダース(Pharoah Sanders、1940年 - )は、ジャズ・サクソフォーン奏者で、晩年のジョン・コルトレーンと活動を共にし、彼の後継者と目される著名人。

才能の遺伝は難しく親譲りとはいかないものだが、トモキ・サンダースの場合は高校時代からバンドを組み、水戸のスタジオでは片鱗を見せていたようだ。

夏休みで帰国中、東京のジャズクラブの幾つかから声がかかってコンサートが開かれるとのこと。

ローサメキシカーナのユカさんの話によれば、幾つかの音楽雑誌などに前途有望として取り上げられているとのこと。

将来が楽しみなミュージシャン、応援したいですね。
  1. 2016/06/11(土) 17:43:15|
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彫刻家の庭さき@水戸市元山町

彫刻家の庭さき@水戸市元山町
彫刻家・森山 元國さん.


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偕楽園に行く途中、水戸市元山町の民家に彫刻とフラワーポットが置かれている庭が気になっていた。
声をかけては入ろうと思ったが、無断で奥まで行ってみた。

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その気配を感じたか、ご主人が出てきた。
彫刻家・森山 元國さんの自宅だった。

森山さんの父親・森山朝光(1897-1962)さんも彫刻家。
山崎朝雲に師事し、日本伝統木彫の刀技を生かした穏健な木彫作品制作した。
昭和32年日展会員に推挙され、木彫界の中堅作家として嘱望されたたが、65歳で亡くなってしまったので、知られている作品は少ない。

調べてみたら、常陸太田出身の実業家・梅津 福次郎(1858年~1942年)の胸像等も制作している。
梅津は函館で活躍し、地元の太田に役場(現・梅津会館)建設の費用を寄付した。

。梅津・1944年

梅津 福次郎 木彫・1944年

森山 元國さんは1939 年に生まれ 1958 年 茨城県展初入選 。
1961 年 茨城大学卒業/日立電線(株)入社。
1969年 茨城県展(美術館長賞)
1994年 茨城彫塑作家展(現在MITO彫刻展) :一陽会会友。
この様な経歴ゆえに彫刻で糧を得ることなしに、生活を楽しむ暮らしをされているのだろう。

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通りがかりの人が楽しめる空間は素晴らしいことだ。

  1. 2016/04/14(木) 10:45:08|
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プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

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