よーちゃんの雑記帳  

街と人との出会いが楽しみ。

上田薫さん@ 鎌倉

上田薫さん@ 鎌倉


port上田薫



久し振りに、上田薫さん異お会いすることが出来た。


ueda-egg.jpg


上田薫


小さな貝殻を描いた作品から始まり、「なま玉子」シリーズで、日本におけるスーパーリアリズム絵画の第一人者となった。
茨城県立近代美術館に収蔵されている幾つかの作品を目にした方も多いだろう。


茨城大学教授時代にお目にかかって以来20年以上になる。
温厚な人柄で淡々と生きておられる。
その後、退官されて相模原に転居。

フジテレビのギャラリーの個展「流れ」(1997年)のレセプションに草間弥生が来ていた時は驚いた。

5年前頃に鎌倉に移られ、昨年は水戸芸術館に作品を寄贈された。

奥様の葉子さんはキルトの作家としてご活躍。
  1. 2012/05/08(火) 23:19:08|
  2. 人と作品
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

「あぐり白寿の旅」吉行 あぐり・吉行和子著 集英社文庫

「あぐり白寿の旅」吉行 あぐり・吉行和子著 集英社文庫

51mg4J8gEZL__SL500_AA300_.jpg


朝の連続テレビ小説「カーネーション」を見ていると、1997年に放送された「あぐり」を思い出す。


15才で洋裁の修行をスタートし、夫を戦争で亡くすも、女手ひとつで3人の娘を世界的ファッションデザイナーに育て上げ、自身も生涯を終えるまでファッションデザイナーとしての道を全うした小篠綾子さんと、女学校在学中の16歳で結婚してから美容師をこころざし、1929年(昭和4年)に独立して山の手美容院を開店し、吉行三兄妹を育てた吉行 あぐりさん。
1952年(昭和27年)に東京・五番町(市ヶ谷駅前)に吉行あぐり美容室を開店。90歳を過ぎても、馴染みの客に限定して美容師として仕事を続けていたが、2005年(平成17年)に閉店。日本の美容師免許所持者の中では最高齢。

どちらも職業婦人(働く女性・今や一般的)の草分け。
女性が職業に就くのが珍しい時代だった。

「あぐり白寿の旅」は《白寿》=99歳、の記録で、レビュー記事に依れば、

「旅」にまつわる思い出を綴った日記が前半、後半は、長女で女優の吉行和子さんのエッセイ風日記。

91歳で初めての海外旅行がメキシコで、その後訪れた海外旅行の思い出などが記されている。
どこの国・どの場所に行ってもなんでも見て、食べて、行動して楽しめる人。
年齢にこだわらずに新しい物に挑戦する人。

股関節脱臼で入院生活中も「生きているって、やっぱりいーなあ。ありがとう」の言葉は、入院生活でさえも、「旅」だった。

更に、

『吉行あぐり 102歳のことば』石 寒太著

51AqJh4MvfL__SL500_AA300_.jpg


『「あぐり」その後―吉行あぐり103歳と家族の肖像』 阿部 和江著

も出版されている。

明治の女性の逞しさ、胆の太さは凄い。
  1. 2012/03/20(火) 00:10:54|
  2. 人と作品
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

友明堂主人 田中昭光さん

友明堂主人 田中昭光さん @奈良市春日野町

CA3G0213.jpg


「おとな日和」10号に掲載された吉田光男さんのエッセイ『そうだ、京都へ…』に触発され、2月6日〜8日までの2泊3日の旅が実現した。
新幹線京都駅から近鉄特急に乗り換え、先ずは奈良に。
月曜日で国立奈良博物館は休館日とは承知していたが、昨年開設された『東大寺ミュージアム』も臨時の休館と知った。

CA3G0204_20120213230134.jpg


奈良といえば、博物館正門前の「友明堂」を訪ね、古美術品を眺め、お菓子と抹茶を戴き、店主、田中昭光さんの話を伺うのは大きな楽しみだ。
古美術の世界に取りつかれていた時分にはお伺いする機会が多かったが、近ごろはご無沙汰している。前回は2010年4月だから約二年ぶりの訪問となる。

CA3G0203_20120213230048.jpg


CA3G0207.jpg

CA3G0209.jpg


店頭のウインドーを始め、店内のあちこちに素敵な花が活けられている。
器・花・田中さんの技術と感覚の三位一体によるものだ。

51zF5jtUigL__SL500_AA300_.jpg


活けた花と器とお菓子の記録『野の花を活ける茶花十二か月』(文化出版局, 1984年)は何十版を重ねたロングセラーだが今は絶版らしい。

CA3G0211.jpg


古美術が専門だが、無法庵と号して奈良茶も嗜まれている才人で奇人。
世間体など全く気にせず、我が道を行く方だ。

店で供される抹茶のお菓子も手作り。

0000003772-000000.jpg


今年は『月刊 淡交テキスト』〜茶花 季節の花を入れる〜淡交社刊として、一年間の連載が始まったとのことだ。
毎号、花と器を6〜7点、さらに『無法庵 昔語り』という随筆も掲載されている。

この様なお店とご主人は奈良の地、ならではだ。
何年に一度であろうとも、この様な方お会いできるのは真に嬉しい。
  1. 2012/02/13(月) 23:09:50|
  2. 人と作品
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

本橋 成一さん @ギャラリー・しえる

本橋 成一さん @ギャラリー・しえる

CA3G0006.jpg


「スズキコージさんが僕の事務所にあらわれ、チェルノブイリノ写真お借りできますか?と言うことで渡したら、徹底的に切り刻まれまして。作者としては、つらい出来事でしたが、出来上っ作品を見て、良かったな、と思いました。」
と本橋 成一さんは話し始めた。

それから1時間以上、ロシアでの体験を話された。
終了後、何かいくらい訪れたのですか、とのし質問に30回以上と思います。
とのこと「初めの数回は、とても写真など写す心境になれなかった」抗がん剤で頭の毛が失われてしまった少女に対面すれば、自分がしたことではなくとも責任を感じてしまった。と体験の一端を語った。

その後の話は、感動的。
とても、僕の言葉では表現しようも無い。
戻ってからネットで検索したら、以下のような方、
世の中にはすごい人がいるものだと思った。

1963年 自由学園卒業。東京綜合写真専門学校入学。
1965年 筑豊文庫の上野英信を訪ね、その後 九州・北海道の炭鉱の人々を撮り始める。
1965年 報道写真家岡村昭彦と出会い1年半アシスタントをする。岡村の代わりに連絡係としてベトナムに赴く。
1968年 作品「炭鉱〈ヤマ〉」で、第5回太陽賞受賞。
1971年 『太陽』の仕事でユーラシア大陸を6ヶ月かけて横断する。
1972年 色川大吉『ユーラシア大陸思索行』でデンマーク、オーストリア、ギリシャ、トルコ、インドなどを撮影。
1972年 小沢昭一『諸國藝能旅鞄』(写真/本橋成一)6回連載。
1973年 フジテレビ『動物家族』のムービーカメラマンとして羽仁進と9ヶ月間東アフリカに滞在。
1974年 仲間と共同事務所JPU(ジャーナリスティック・フォトグラファー・ユニオン)を構える。
1976年 小沢昭一編集『藝能東西』の仕事で初めてサーカスを撮る。
1977年 日産自動車新聞広告の仕事で再びユーラシア大陸を3ヶ月で横断。
1980年 上野駅を撮り始める。個展『サーカスの時間』(新宿・ニコンサロン)写真集『サーカスの時間』(筑摩書房)刊行。
1983年 写真集『上野駅の幕間』(現代書館)刊行。
1985年 画家丸木位里・丸木俊のスライド集『ひろしまを見たひと』(監督・土本典昭)の作品を撮影。
1987年 独立して「ポレポレ坐」を立ち上げる。
1988年 写真集『魚河岸 ひとの町』(晶文社)刊行。
1989年 立松和平に同行して、パリ・ダカールラリーを撮影する。
1990年 『砂の水平線』共著・立松和平(平凡社)刊行。正式に事務所「ポレポレタイムス社」を設立。
1991年 チェルノブイリ原発とその被災地ベラルーシに通い始め、汚染地域で暮らす人々を撮影。
1993年 写真絵本『チェルノブイリからの風』(影書房)刊行。写真集『サーカスの詩』(影書房)刊行。
1994年 写真集『無限抱擁』(リトル・モア)刊行。
1995年 写真集『無限抱擁』で日本写真協会年度賞、写真の会賞を受賞。
1998年 写真集『ナージャの村』で第17回土門拳賞受賞。ドキュメンタリー映画『ナージャの村』を初監督。 ベルリン国際映画祭に出品。
2002年 二作目映画『アレクセイと泉』で52回ベルリン国際映画祭にてベルリナー新聞賞及び国際シネクラブ賞受賞。第12回サンクトペテルブルク映画祭でグランプリなど受賞多数。
2002年 雑誌の連載で開戦前のイラク国内を旅する。翌年『イラクの小さな橋を渡って』(池澤夏樹との共著)を緊急刊行。
2003年 毎日新聞にて“生命の旋律”を一年間連載し、翌年、写真集『生命の旋律の旋律〜本橋成一が撮る人間の生き様集〜』を刊行。
2006年 歌と三線一本で流浪の人生を送ってきた石垣島のおばあを描いた映画『ナミイと唄えば』を公開。
2007年 徳山ダムに沈んだ岐阜県徳山村に最後まで住み続けた村人たちの暮らしを15年追った映画「水になった村」を初プロデュース。
2009年 ドキュメンタリー映画『バオバブの記憶』公開。
2010年 プロデュース作品『祝の島』公開。
2010年 個展『昭和藝能東西』(銀座・ニコンサロン)写真集『昭和藝能東西』(オフィスエム)刊行

写真集
『炭鉱〈ヤマ〉』1968年(現代書館)
『サーカスの時間』1980年(筑摩書房)
『上野駅の幕間』1983年(現代書館)
『ふたりの画家 丸木位里・丸木俊の世界』1987年(晶文社)
『魚河岸 ひとの町』1988年(晶文社)
『サーカスが来る日』1989年(リブロポート)
『老人と海』1990年(朝日新聞社)
『サーカスの詩』1993年(影書房)
『無限抱擁』1995年(リトル・モア)
『ナージャの村』1998年(平凡社)
『アレクセイと泉』2002年(小学館)
『生命(いのち)の旋律〜本橋成一が撮る人間の生き様集〜』2004年(毎日新聞社)
『バオバブの記憶』2009年(平凡社)
『昭和藝能東西』2010年(オフィスエム)
『屠場』2011年(平凡社)

CA3G0001.jpg

CA3G0002.jpg

CA3G0003.jpg



単行本
『パリのお菓子屋さん』共著・山本益博 1980年(文化出版局)
『砂の水平線』共著・立松和平 1990年(平凡社)
『砂の旅人』共著・立松和平 1993年(駸々堂)
『ナージャ希望の村』2000年(学習研究社)
『イラクの小さな橋を渡って』共著・池澤夏樹

写真絵本
『チェルノブイリからの風』1993年(影書房)
『アレクセイと泉のはなし』2004年(アリス館)

文庫
『サーカスがやってくる』共著・西田敬一 1982年(旺文社)

映画
『ナージャの村』1997年(監督)
『アレクセイと泉』2002年(監督)
『ナミイと唄えば』2006年(監督)
『水になった村』2007年(プロデューサー)監督・大西暢夫
『バオバブの記憶』2009年(監督


  1. 2011/12/23(金) 22:48:26|
  2. 人と作品
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0

『蟹の念佛』福地靖句集

『蟹の念佛』福地靖句集


CA3G0124.jpg



画家の福地靖さんが俳句集『蟹の念佛』を出版した。
1992年に俳句集『しっぽ』を出版以来2冊目の句集となる。

福地さんは1933年に水戸に生まれ。
1955年茨城大学美術科に在学中に美術集団ROZO群を結成する。
以後、ROZO群展、その他のグループ展、個展、企画展で作品を発表している。
作風は何度か変化しているが、ペンの点描で女性を描いた『ファニー』のシリーズが代表的だ。
詩画集『ハレルヤ・耽』(1969年・シロタ画廊)

独特な作風で、知る人ぞ知る、という作家。
ROZO群の他は一切の団体に属さない。
僕の尊敬する絵描きさんだが、今の時代に稀な純粋な芸術家で自分を宣伝しないから、ファンである我々には歯がゆい。

1984年「日めくり」俳句会入会してから俳句の世界に魅せられ、1994年岡田史之主宰「篠」入会し俳句道に精進。
「日めくり句会」では常に高得点を得ている。
その間、何千句をひねり出したのかは分からないが、今回は243句を選んだ。

タイトルの『蟹の念佛』とは「くどくどとつぶやくさま」の意とのこと。
日々のつぶやきを纏められたのだろう。

共感する句が沢山あるが、今の季節の句を紹介します。
原文は縦書きで、ブログと云うことで横書き。
何故、縦書きのブログが無いのか?(大きな疑問ですが)


母の手になる掻巻きもこれひとつ
このへやに居れば安心冬に入る
囲炉裏火に昔の顔のそろひけり
本屋より行くところ無く十二月
寒林になにか折れたる音ひびく
散る紅葉小鬼ふたりが花を引く
血の濃さを思ふことありちゃんちゃんこ
亡き父のとし一つ越え冬苺
マント脱ぎパウル・クレーの庭に消ゆ
  1. 2011/10/28(金) 20:10:37|
  2. 人と作品
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0
次のページ

プロフィール

たかはし よういち

Author:たかはし よういち
離俗の世界に憧れながら、市井の片隅でうごめいています。
ささやかなモノやコトに幸せを感じます。
私が別に運営している「西の谷万葉公園を美しく」のブログは、以下のリンクからアクセスしてください。
重複する記事も有りますが、自然を大切に、簡素な生活を。
の気持ちを大切にしたいと思います。

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

FC2カウンター

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する

By FC2ブログ

Powered By FC2ブログ
ブログやるならFC2ブログ