2009/07/03

「銀塩写真の魅力」展

ぎゃらりー 「ときの忘れもの」港区南青山

地下鉄銀座線、外苑前駅で降りて外苑西通りに、間もなくの細い路地を右に曲がると小さな広場。
周辺は再開発でビルに囲まれたが、昔ながらの住宅地がある。




その一角に「青山CUBE」と看板がある。木造3階建てのビルの1階2階がギャラリー「ときの忘れもの」
画廊主はこだわりの強い人が多いが、ここも同様らしい。
近・現代の作家の版画、油彩、写真、彫刻などを扱い、毎月企画展を開催している。
さらに、オリジナル版画のエディション、美術書、画集、図録等の編集を行うなど、活動の範囲は広い。

編集や出版も重要な部分で『1974年に美術界に入ってから30数年、これまでたくさんの書籍、画集、展覧会カタログ、オリジナル入り詩画集、画文集などを編集・刊行してきました。おそらく100冊くらいはあると思います。今でも在庫があり頒布できるものもあれば、もう手許に資料用の一冊しかないものもあります。』とのことだ。



第175回は「銀塩写真の魅力」展
デジタルカメラによる写真が大方を占め、フィルムをプリントすることも少なくなった。
フィルムもプリントも銀の化学変化によって画像を形成するもので、暗室作業のための勘や経験と忍耐を必要とする。
その行程で、ネガが一番重要で、ある面でいえば、木版画の版木と同じようなことらしい。
画廊で販売していたパンフレットに、写真家の中島秀雄が「ゾーンシステムを巡って」と題し解説している。

展覧会は内外の15人の作品が展示されている。
Herb RITTS の ( Naomi CAMPBELL)が彫刻的で魅力ある姿態だ。
Edward WESTON の(Nude)は造形的ポーズ。



講演会等も頻繁に開催されるようだ、次回は ●7月18日 17:00〜ギャラリートークが開催される。
「戦後絵画の転換点を考える」講師:小泉晋弥(茨城大学教育学部教授)
※要予約(参加費1,000円/1ドリンク付/参加ご希望の方は、メールまたは電話でお申し込み下さい) 
電話:03-3470-2631、 メール:info@tokinowasuremono.com
現代の具象イメージ全盛の状況を見直す試みとして小泉さんに実例をあげて論じていただきます。
●同日18時半より、出品作家を囲んでパーティを開催される。
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2009/07/03

後藤清一彫刻展

後藤清一が80歳を迎える昭和48年2月6日ー20日まで茨城県立美術博物館主催による『郷土の生んだ巨匠シリーズ第3回・後藤清一彫刻展』が開催され、彫刻101点、素描20点が展示された。
後藤作品の初期から近作までの全貌を観られるとあって、開会前から話題を呼んだ。
この展覧会に際して図録が制作された。出品作の写真、サイズ、製作年度、所蔵者、年表等が含まれ、当時としてはかなり豪華な図録で500部発行された。現在は展覧会の図録は分厚く部数も多いが、当時としては画期的であった。
この図録が、現在に至っても後藤の人と作品を知る貴重な1冊となっている。

この図録の冒頭に美術史家の土方定一が次の一文を寄せている。

後藤清一さんのこと
あるいは、ひとつの象徴の彫刻

 木内克さんの彫刻の回顧展にの彫刻の回顧展が開催されることは、ぼくにとって、このうえもなく、うれしいことだ。
 この二人の僕が畏敬する先輩の作家が、ともに水戸市下市に生を享けていることも偶然のことであるが、その後の遍歴が全く対蹠的であるにもかかわらず、清廉にして謙譲、うちに持して外に現さぬ矜持の人であることで共通していることは、水戸という風土のなかで純粋に結晶した作家魂をぼくに思わせる。と同時に、それが巨匠といわれる作家の普遍的な魂に通じているという大切なことをぼくに教えてくれる。
 後藤清一さんと、はじめておめにかかったのは、そのころ「いはらき」新聞の学芸部長をしていた津川公治さんの紹介によっている。「いはらき」新聞は、信濃毎日新聞などとともに硬派の反体制的言論機関として、古い伝統をもった地方紙の名門中の名門であり、そこの学芸部長としての津川公治さんは、長髪をかきあげては静かに語る白哲の人であり、いわゆる中央の文学者、評論家のなかにも深い信頼をもたれていた記者であった。と同時、小川芋銭、山村暮鳥などの茨城県に在住しておられた巨匠とも親交があった。その津川公治さんは、どういう理由であろうか、晩年は不幸のうちに亡くなられたが、その津川さんに、これまた、白哲の、長身ではあるが、骨格の正しく美わしい若き日の後藤清一さんに紹介されたのである。その直後に、上野の構造社展(昭和4年)に出品された「少女の顔」が倉田百三さんによって激賞され、且つ倉田百三さんによって、このような小品に対して、その当時の彫刻の価格としては想像もできない250円で買われたという記事が新聞に報道された。ぼくは、もちろん、この構造社展での「少女の像」を見、そのリリスムに溢れた情感の肉づけと、頬から首にかけての、のびやかな造型に魅惑されてしまっており、いまでも、後藤清一さんというと、まず、この「少女の顔」が浮かんでくる。
 そのころ、草野心平君と高村光太郎さんのところに行き、高村さんはまだわれわれをアトリエのなかに入れてくれた時代で(その後は玄関のわきの部屋となった)、そこで、ぼくは高村さんに後藤清一さんのこの「少女の顔』の話しを出した。高村さんは、ぼくの期待にに反して「弱くて駄目だ」といわれた。そこで、ぼくも少し反対がしたくて、『繊細な叙情詩のような彫刻家だっているでしょう。」といってみた。ところが、高村さんも、こうなると頑固で、「そんなものを破壊しなければ駄目だ。」と答えられた。
 会話の言葉は正確でないが、以上のようなことを高村さんが薄暗いアトリエのなかでいわれたことを、いまも思い出す。ぼくを教育するためにいわれたにちがいないが、また顧みると、ロダン的な彫刻造型と高村さんの彫刻についての考えからの反対であることはいうまでもない。後藤清一さんがロダンを知らない筈はなく、また感想集「隠者の片影」には、多くのロダン賛美の言葉が書かれている。だが、ぼくは、「少女の顔』以後、というより、後藤清一さんの全作品を通じて、ロダン、ブールデルの伝統とは異なった、彫刻の表現の別の系列、後藤さんは絶えざる精神と苦悩と造型への努力を通して、現在も制作しておられる、といっていいようだ。
 先日、久しぶりに水戸で後藤さんにお目にかかったとき、あのころ(結婚される前)、「三年間ほどは彫刻も作らず、僧になろうと思っていたが、偶然、構造社からの誘いをうけたとき、急にまた彫刻ができはじめた。」といわれた。後藤さんのなかに、なにがあったのか、ぼくは想像する外ないが、すでに述べた清廉、あるいは、清潔といってもいいが、それと内に持する矜持とが、このとき、人間の苦悩としての自己の苦悩の中に埋没しつつ、絶えざる自己反省をくりかえされたようだ。ぼくは、そこに原=肉体的なものが濾過されたことを恐れているが、後藤さんの彫刻の性格がつづいて「弥勒」(昭和5年、第4回構造社展)、「悲毋』(昭和6年、第5回構造社展)のような仏像彫刻の象徴の彫刻となり、それが「母と子」(昭和12年、第10回構造社展)、また「誕生仏」(昭和15年、第13回構造社展)にしても、後藤清一さんの試作の経験の象徴としての彫刻となっているのを興味深く見ないわけにゆかなかった。その間、東洋、日本の仏像彫刻からの暗示による形態感、その他をわれわれに予感させるが、後藤さんの一貫した彫刻に対する態度が自己の思索の経験の象徴としての造型であり、後藤さんのひそかなる矜持もここにあるといってもいい。後藤さんが、次のようにいわれるとき、この矜持を、表面的な形態模写に始終している現代の写実主義的彫刻に対する自己のひそかなる主張を語っておられる。
 「造型の世界は、只見ゆる世界よりも、より見えざる世界により多くの構想の因を蔵している。見えざる世界とは内のせかいにして、その示現によらざれば、視るを得ざる境地である。」(「隠者の片影」より)
 ただ、ここでぼくが愚言をさしはさみたいのは、後藤さんが『モデルをつかうのを拒む」と一般にいわれているが、ぼくはそうではなくて、水戸郊外でモデルを使う費用は膨大であることの方が本当の事実であろうと想像する。
 最近、後藤さんは縄文土器、その他のあんじをうけつつ、自己の造形的展開が抽象に向かっておられるようだ。ぼくはその作品を見ていないが、いうことができれば、象徴の造型から記号の造型へといっていいようだ。表現の仕方のちがいであり、背後の精神は不変であることはいうまでもない。
 この清廉、謙譲にして、内にひそかな矜持をもつ象徴の造型の作家の回顧展が開催されるに際して、年少のぼくが不遜を顧見ず、求められるままに、よろこびの言葉を記す所以である。      昭和48年1月25日




詩人でもあった土方定一の後藤清一の人と作品についての考えだ。
若い時から尊敬していた後藤の回顧展に花を添えることが出来た嬉しさも伝わる。

この原稿を美術館の関係者に渡す際、「これで、やっと後藤さんに対する義理が果たせました」と語ったいう。
土方が旧制水戸高等学校在学時代に発行した文芸同人誌「彼等自身」に後藤が協力したことに対するお礼の気持ちだ。

上記の展覧会挨拶文の中で、高村光太郎が自らの彫刻感を述べているが、高村の最晩年の十和田湖畔の「乙女の像」を写真でしか見たことがないが、あれだけの激しさは何処に行ってしまったのか?僕は疑問に感じる。
その点、後藤の制作は外見よりも内側から滲み出たものを現わすことと一貫していた。
常に心に浮かぶ新しい表現を模索した。

光太郎の仏師高村光雲の長男として確かな木彫技術、若き日の欧米への留学、ロダンの紹介とロダン風の作品、「道程」「智恵子抄」等の詩作品。知名度は比較にならない。
しかし、後藤の彫刻家としての生涯の仕事と人柄は高村光太郎に勝っていた。と僕は思っている。

拙著「後藤清一・ひとつの象徴の造型」(1990年8月19日)は上記の土方定一の文章からタイトルとして借用した。
没後25年を経過して、生前の姿を知っている方も少なくなった。
しかし作品は永遠、多くの秀作が残されている。

ソウルの中央博物館に展示されている「薫染」(1940年)を是非観たい、と思っている。
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2009/07/02

代官山 ヒルサイドテラス 40周年

代官山、ヒルサイドテラス


入り口前、案内板と寄せ植え。季節の草の植え込みに気配りが。

東急東横線代官山駅から徒歩五分、ヒルサイドテラスが40年前に誕生した。
ヒルサイドテラスは旧山手通り沿いで数次にかけて実施したプロジェクトで、ヒューマンスケールな空間構成、成長する都市建築として高く評価されている。10m軒線を守り、用途地域が変わった第六期では、10m以上の部分をセットバックさせている。
設計は槙文彦(1928〜)。
地元の土地所有者と協同組合形式の再開発のモデルだろう。この開発以後、代官山エリアは大きく変貌した。

旧山手通りのカフェ。

1969年A棟、B棟ができてから40年を迎えるとのこと。
恥ずかしながら名前は知っていたが訪ねるのは初めて、設計者や住人に関しても何も知らなかった。
この40年間に、緩やかに棟を増やし現在は旧山手通り沿いに12棟があり、これからも徐々に増殖するのだろう。
店舗、事務所、住宅、パブリックスペースからなる複合施設の開発は難しい。
更に、継続発展させるのは、いかに東京都はいえ、至難のわざと思う。

最近の大型開発(例えば、六本木ヒルズ・ミッドタウン)のように広域・高層化した方が効率よく集客度も高い。
片や大量生産、片や手造りの差だ。
姿勢は大幅に異なる。10メートル軒線を守り、人間的な目線を大事にするのは素晴らしいことだ。

住宅として事務所として使用している人たちはの多くは、各界で活躍している人が多いらしい。
その人達の協力もあって、当初からの方針が貫かれているのだろう。
当初からの参加者ではないがヒルサイドプラザ、ヒルサイドテラスの運営者、北川フラムの企画力、実行力は目を見張る。

*『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、
北川 フラム(きたがわ ふらむ、1946年10月5日 - ) は、新潟県高田市(現上越市)出身のアートディレクター。株式会社アートフロントギャラリー代表。女子美術大学芸術学部芸術学科教授。京都精華大学客員教授。父は良寛研究家の北川省一。「フラム」は本名であり、ノルウェー語で「前進」を意味する。を経て東京芸術大学美術学部卒業。国内外の美術展、企画展、芸術祭を多数プロデュースする。1997年より越後妻有アートネックレス整備構想に総合ディレクターとして携わる。国内外で展覧会・企画展を多数開催。
2000年から開催されている「大地の芸術祭越後妻有アートトリエンナーレ」では総合ディレクターを務める。また、2007年には新潟市美術館館長に就任する。


ギャラリースペースと奥のライブラリー。



F棟エントランスとカフェ。

ヒルサイド内に事務所、カフェ、ギャラリー、等いくつか運営しているらしい。
昨年からはヒルサイド・ライブラリーも開設した。
会員制の図書室という感じである。このことに関してはまたの機会にふれたい。

とにかく、世の中に素晴らしい人が沢山いるものだと感心した。


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2009/07/01

千葉県立美術館

東京駅からJR京葉線で約40分「千葉みらい駅」に着く。
何時、埋め立て造成されたのか?街路樹はかなり大きく育っている。



駅からタワーを望むことが出来るが、100メートルの高さとのことだ
水戸芸術館のタワーと同じ高さだが、水戸の方がユニークで存在感がある。

港に向かって駅から10分ほど、千葉県立美術館がある。周辺を含め敷地は広い。
高さを抑えた設計で景観に馴染んでいる。



入り口前には浅井忠の銅像が建っている。千葉県を代表的する画家だ。
この美術館は24体の彫刻が屋外展示されているのも特色の一つ。



入り口を含め、エントランスは設計的に不十分。
狭くて天井も低い。時代的にそのような設計なのか、トイレ等も良くない。
その点、茨城県近代美術館は良く出来ていると思う。

勿論、美術館は設備より企画内容であり、コレクションだが、千葉市立美術館は話題の企画を連発して評価は高い。
展示スペースも比較にならないほどの差がある。
展示室1は、千葉県ゆかりで近代洋画の先駆者浅井忠と、その師フォンタネージやバルビゾン派の作品。
地元ならではの浅井のデッサンも多く展示されている。
先日、笠間日動美術館で観た浅井忠の「小丹波村」の連作の1点も展示されていた。
フォンタネージとバルビゾン派の作品はこの館の目玉だ。



広い展示室で使われてない部分もあり、もったいない。
といおうか、館の方針が定まっていないのだろう。
県民ギャラリーのような感じで貸し出す際に使用する感じだ。
今の時勢にそぐわない、と思った。

あれもこれも、はまとまりが無くなる。


ブールデルの「聖母子像」は一見の価値ある作品。
全体との関連は、と考えると疑問だが、彫刻に力を入れている美術館、とは感じた。
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2009/06/30

蓮と睡蓮

大賀蓮



石神井公園の三宝寺池周辺の散策で水戸の県立歴史館の大賀蓮も咲き出したのではなかろうか?と気になった。
大賀蓮は千葉市の2000年前の地層から大賀博士によって発見された古代の蓮。
その後、全国に株分けされて普及した。歴史館の蓮も見事である。
華の寿命は3日間、真夜中から咲き始め、朝5時から8時頃が満開で香りも強い。
とのことだが、その時間帯に観たことはない。

ところで、蓮と睡蓮はどう違うのかを調べてみた。
蓮は花も茎も葉も水面の上だが、睡蓮は葉も花も水面に浮かんだ状態、ということで分りやすい。


ヒツジグサ

睡蓮の日本原産はヒツジグサ1種のみであとは外来種。
この花は、那珂市の蕎麦や「麦や」で初めて知ったが、白く可憐な花だ。


アサザ
アサザは水戸植物園の池に沢山植えられているが、黄色でちょっと見ると睡蓮のようにも見える。


コウホネ
アサザに似た黄色の花だが、葉の形が大幅に違うのがコウホネ。





三宝寺池の睡蓮

睡蓮は大きさも手頃で、色も多くの種類がある。
タイやバングラデッシュで見た睡蓮は、今も心に焼き付いている。
旅の想い出は、一輪の花でよみがえる。

これからの暑い時期、沼沢植物は愉しい。
千波公園一帯にもう少し水生植物があればと思う。
山野草 | Comments(2) | Trackback(0)
2009/06/29

武蔵関公園

石神井公園の性格の異なる二つの池、石神井池と三宝寺池はどちらも野鳥の宝庫だが、そこから4〜5キロメートル上流の「武蔵関公園」はこれまた野鳥の多い池らしい。石神井川沿いに上流を目指す。貸し自転車の利用は、この様な際に誠に有り難い。夏の陽射しをうけても、自転車なら苦にならない。


新青梅街道に沿って行くと西武新宿線・武蔵関駅の近くに「武蔵関公園」がある。


古くは多摩、新座、豊島の三郡の境界点で、現在はここまでが練馬区で、隣りは西東京市となる。
石神井川の川幅も大分狭くなっている。湧水池「富士見池」の流れが石神井川と合流する。
池の傍らに「早稲田大学グランド」があり『取材お断り』の張り紙がしてある。
”ハンカチ王子”斉藤選手も練習するグランドなのかもしれぬ。
目隠しが在り、道路から見渡せない作りになっている。

今回はバン、カワセミ、ゴイサギ、コサギ、カイツブリ、ツミ等の野鳥に出会うことが出来た。


アマチュアカメラマンや愛鳥家にも出会った。何人かの方からは親切に教えて頂いた。
特にカワセミの営巣地点の前は、三脚をたてて待ち構えるカメラマンが10人近い。
皆さん顔なじみらしい。のんびりとシャッターチャンスを待っている。

今回の、石神井川の上流歩き。いくつかの沼沢の植物や野鳥を観る機会を得て、望外の幸せであった。
美術館用に持ち歩いている単眼鏡がとても役に立ったのも嬉しい。

鳥の羽根の色や草花の色等、どのように描かれても自然の作り出す造型にはかなわない。
動植物、全てはジッと観察するのが最高の贅沢なのかもしれないと思った。

庭園・公園 | Comments(0) | Trackback(0)
2009/06/29

石神井公園

東京の仮住まいは東京都北区王子で、桜の名所飛鳥山と石神井川が近い。
石神井川は程なく隅田川に合流する。
けして綺麗な流れではないが、東京の殆どの河川が暗渠となってしまった中で、川として流れているのは貴重だ。
上流はいかなるところか?先ずは、石神井公園を訪ねることにした。

西武池袋線石神井公園駅の近くに練馬区が運営している駐輪場で自転車を借りることが出来る、
一日借りて百円は安い。

石神井公園は横長に連なる三宝寺池と石神井池の二つの池を中心とした公園。

ボート遊びや魚釣りも出来る石神井池の周辺は、高級住宅地で豪邸や屋敷の一角をレストラン喫茶として営業している家もある。








公園を含む周辺の区域は、環境や景観を保持するため、風致地区に指定されており、水戸の千波公園に近い雰囲気だ。

道路を挟んだ三宝寺池は武蔵野の自然がよく残されている。
井の頭池や善福寺池と同様武蔵の台地の湧水が池となったが、最近は水量が少なく地下水を汲み上げて放流しているとの説明版があった。
その点、千波湖は那珂川の水を導水しているのだから、もう少し澄んだ湖面にならないのだろうか?



三宝寺池は水生植物の宝庫らしく岸辺には睡蓮が花盛り、写生する人たちもいる。


水生植物保護のため、周囲の遊歩道は全て木製だ。


こちらは、水戸の七つ洞公園に近い感じ。
七つ洞公園も水生植物をもう少し多く植えることや木道の改修をしてもらい。
予算が少ない時代だが、維持管理の費用は不可欠。
新たに何かを作るより、現状を維持することが大切だ。

石神井公園の中で東京都公園協会のパトロール員を見た。


水戸市の公園協会もこの様なユニホームで公園内の巡回もお願いしたい。
目に見える形での活動は、環境保護の意識も高くなるだろう。

自然保護が行き届いているので、トンボなどの昆虫類やカイツブリなどの野鳥も多いらしい。
バードをッチングをする人たちも見かけた。

水戸市の公園行政、充分とはいえないにしても、良くやっていると思う。
限られた予算の中で不要な出費を抑え、維持管理は充分にして欲しい。


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